3話
たった五分くらいのはずなのに土を踏む感触が懐かしく感じた。平地にぽつんと佇む少し大きな家。正面に綺麗に装飾されたドアと大きなガラス窓、ふりふりのレースカーテン。想像していた物よりは普通……と思ったが、明かりで照らされた外壁がなんだかピンク色に見える。
「めいぷる♡くらふとはジュナルが経営する雑貨屋さんです! あと予約してもらえれば泊まることもできますよ〜!」
彼女は大袈裟な身振りでドアを開けて、私たちを招き入れる。
「「「おじゃましまーす……」」」
左の広いスペースに商品棚がずらりと並べてある。一番手前の棚には小さい水筒やポケットティッシュ、ハンカチ、日傘……。全てファンシーな物ではなくてシンプルなデザインの商品もある。あ、あのポーチいいな……。
「ここはよく旅人さんが通るからトラベルグッズやアウトドア・レジャー用品をたくさん置いてますっ! あとあと〜魔法グッズとかもあるから後で見てみてね!」
そう言って次は『すたっふ♡おんりー』と書かれた札をかけてあるドアを開く。真横に小さな靴棚と、中は家庭でよく使われる一般的なダイニングキッチン。こちらも綺麗に整理整頓されている。シンク周りがぴかぴかだ……嬉しい……。
「ここから先が民宿スペースですっ! 節度を守って自由に使ってね!」
ジュナル、意外としっかり者なんだ……。
それから風呂、男女別のトイレ、洗面台と各場所の説明があった。細かくルールが決まっていて、彼女の経営者としての心が垣間見えた気がする。
「きゃるるん! お待たせしました〜! 左が男子、右が女子のお部屋ですっ! 一斉にドア、どうぞっ!」
苦い顔をしたタクとワクワクした顔のマイが一気に腕を伸ばす。彼女の後ろから覗いた景色に私は息を飲んだ。
白を基調とした花柄の壁紙、ピンクのカーテン。
ハート型が掘られた木製のベッド、ドレッサー、ミニテーブル。
そしてうさぎやくまの愛らしい人形たち。
これが、女の子が一度は夢見る完成された『かわいい』だ……!
「「はぇ……すごい……」」
女子二人、思わず感嘆の声が漏れた。楽園を目の前にして一歩も部屋に踏み入れられないところに、ユウが隣で不思議そうな顔でこちらを向いた。
「立ち止まってどうしたの?」
「いや、なんか入るのが恐れ多いというか、ね、ナナ」
高速で首を縦に振る。
「ふーん……女の子はこういうのが好きなのか……」
「おいユウ、早く荷物置け」
「はーい」
って私たちも部屋を整えなきゃ。マイの手を引っ張り勢いよく踏み出すと、仄かな花の香りが私たちを包んだ。
「きゃー! ナナ見て! ふかふかよ! 布団にはない柔らかさだわっ!」
入ってしまえばこちらの物、と言わんばかりにマイがベッドに飛び込む。興奮して一気に十歳くらいの精神年齢になっている。
「何騒いでいるんだ……」
いつの間にか男子組が怪訝そうな顔で廊下に立っていた。今マイは人と会話できる状態ではないな、と一瞥して彼らに近づく。
「あ、そうだ、ジュナルさんは?」
部屋に気を取られていて、主のことすっかり忘れていた。
「店の仕事するって言ってたよ」
「そっか、ところで二人の部屋はどんな感じなの?」
「至ってシンプルだ」
タクは少し、いや、かなり引いた目で部屋と童心に帰る彼女を見ている。そんなマイの動きがぴたりと止まった。何秒か停止した後に、真剣な目で私たちに向かってくる。
「ねぇ、みんな……」
「どうしたの……?」
切り替えの速さに、またしてもついていけない私を取り残して、彼女のお腹が鳴る。
「お腹がすいたわっ!」
「お前を見れば分かる」
どんなときでも飛んでくるタクの冷静なツッコミ。
「そう言えばお昼から何も食べてないね」
そしていつでも柔軟に対応するユウ。正直に二人のそういうところが羨ましい。
「でもどうしよっか、ジュナルは冷蔵庫の中の物好きに使っていいって言ってたけど……」
ぞろぞろとキッチンに戻り、仲良く食料を求めて中身を探る。どうやら五人前の一食分、確保できそうだ。さて、問題は誰が作るかだけれど。
「「「お願いしまーす」」」
満場一致。視線が痛いです。
「僕、手伝うよ!」
「俺も手伝う。自分が食う物を人任せにできないしな」
いつも二人前しか作らないから、手伝ってくれるのは本当に助かる。優しい男性二人でよかった。
「ふふっありがとう、ユウ、タク」
「じゃあ私は溜まりに溜まった書類整理するわ……あとジュナルさんに声掛けてくるわね」
「お前は手伝わないのか?」
「……タク? 私が料理できないの分かってて言ってるわよね? 射るわよ?」
――やはりお互いを分かっている仲間だからかな。蛇口から流れる水のように、滞りなくこれからの予定が決まっていく様子は見ていて気持ちがよかった。私が今まで見てきたものは、利己的な押しつけの口論ばかり。そんなの簡単に話が通らないなんて少し考えれば分かることなのに、結果ただの罵倒合戦や陰口祭りになっていた。それを端から見ていて、私は心の中で嘲笑した。
自分の都合ばかり考える頭、なんて醜いのだろう、と。
そんな世界で生きてきた私にとって、ここはとても美しい。お互いのことを考慮しつつ、どうすれば効率よく進むか。相手が相手を思いやる気持ちと客観的に物事が見れる知性。そんな優れた人たちと一緒に働けるなんて、私は幸せ者だ。
「ナナ、嬉しそうだね」
隣で豚肉を焼くユウが微笑む。
「そう?」
「うん」
「んージュナルさんが私のご飯楽しみって言ってくれたからかな」
私の背面で彼女は楽しそうにマイと談笑している。お互いなかなか尖った性格をしているが、意外と気が合うらしい。テーブルの上いっぱいに広がる作りかけのグッズと書きかけの紙面から見て、二人には似ているところがあるのかもしれない。
「……そっか」
含蓄のある声で彼は答えた。
「どうしたの?」
なんとなく聞いてみる。
「なんでもないよ」
少し素っ気ない。
「そっか」
小鍋の蓋を開けて、お玉杓子で出汁を掬う。美味しくできたかな。
「ナナの隣で夕飯を一緒に作る……そんないつもと変わらない立ち位置に、嬉しくなっただけ」
何秒かの沈黙の後、目を見開いた。
小皿を持った手を止めて、横の彼に視線を移す。
背けた顔を隠す髪から覗く耳が、ほんのり、赤い。
「風呂上がった。ユウ、交代だ」
「あ、うん、分かった!」
そそくさとキッチンから離れるユウと入れ替わるタク。どうすればいい、との問いに、きゅうりを輪切りに、とまだ放心状態で返事をする。自制心が騒ぎ始めて、慌てて皿に口をつける。うん、野菜の味が出ている。ちゃんと美味しい。
「なぁ」
面白そうだと言いたげな目でこちらを見る。
「なんだか嬉しそうだな、さっき何かあったのか?」
私にも話しかけてくれるようになった彼へ
「……なんにもないよ」
なんて言って、笑ってみせた。
「「「「――いただきまーす!」」」」
驚きと感嘆の声に挟まれて、私は胸を撫で下ろした。慣れない料理たちを無事作り終え、食卓に並んだことで緊張の糸がふっと緩む。
「きゃるるるん! 初めて見る料理ばかりだよっ!」
「そうなんです。東の国の料理にいつか挑戦してみたいと思ってたので」
たまたまあったインスタントのお味噌汁を一口。もしもこれがなかったらいつも通りの献立にしていただろう。達成感からか、今日の白ご飯は特に美味しい。
「思い出したっ! そういえば前の宿泊したお客さん、東の国の旅人さんだったっ!」
「道理で見慣れない調味料があったわけか。ん、このサラダに入っている海藻美味いな」
「このお肉の味、不思議ねー。なんだか懐かしい気持ちになるわ!」
わかめときゅうりの和風サラダと豚肉の生姜焼き。ユウは笑窪を浮かべながら、人参とじゃがいもの卵とじを食べている。
「ナナすごいわね、こんなに沢山の野菜を使って美味しい物作るんだもの」
「えへへ、なんとか形になって良かった」
シェリルムで多く栽培されるじゃがいもはレシピが豊富にあるのに、他の野菜は数少ない。こんなときに重宝するのが他国の郷土料理。鎖国しているといえども情報の宝庫である図書館に行けば、試したい調理方法がわんさかでてきた。しかし流石に調味料までは市場に出回らない。一人暮らしの時、足りない材料でなんとかレシピ本を見ながら作ってみたが、納得のいく味にはならなかった。まさか……こんな所でやってみたかった小さな夢が叶うなんて、思ってもみなかったな。
「私とタクは東の国の血が流れているからかしら。この味、とっても好きだわ」
「なぜ俺も巻き込むんだ」
「だってそうでしょう?」
「……まぁ、お前の失敗料理よりは何千倍も美味しいがな」
「な、なんでそこで私のこと⁉」
「だってそうだろう?」
彼らの張合いと私たちの笑い声が混ざる。いつも昼間に聞く会話なのに、今日は気付けばもう夜の七時半。ご飯の良い香りと共に不思議な気持ちが宙を舞う。
「それじゃあ、お二人共東の国の出身なんですかっ?」
「いや、ただ血が流れてるってだけで生まれはシェリルムよ。ジュナルはどうなの?」
「ジュナルは根っからのシェリルム人でっす! ユウさんは?」
「あ、え、僕⁉」
夕飯に集中していたユウは慌ててジュナルの顔を見る。問いかけを理解して数秒、彼は目を泳がせた。そんな反応にしまったと言いたげな表情をする彼女。
「多分だけど、魔術的にユウはシェリルムだと思うわよ。剣術使いが一番多い国はシェリルムだって、どっかの資料で見たことあるわ」
「そ、そうなんだ……」
「きゃる〜ん……ユウさん、またまたごめんなさい……」
「大丈夫だよ、気にしないで」
皆、シェリルム生まれなんだ。ユウは確定しているわけではないけれど、でもきっとそうなんだと思う。何だかしっくりくる、言葉にできないけれど納得感がある。
――じゃあ、私は?
私には親がいない。いや、いるけれど、育ての親であってシェリルムで生まれたとは断言できない。しかも魔術は『月の力』。私以外で使っている人は見たこともないし、色んな資料を漁ってみても何一つ記されていなかった。生みの親もいない、魔術も当てにならない。
「私の故郷は、どこなんだろう」
気持ちが抑えきれなくなって、呟いた。
はっと思考の渦から戻ってくると、一斉に視線を浴びていた。
「ナナ」
マイの力強い声と瞳で私の背筋が冷える。
「ご、ごめんなさい。場の空気、壊しちゃって」
「違うの」
真剣で、真っ直ぐで、迷いのない、瞳。
「私たち、ナナに言わなければ」
決意の念を断ち切る、大きな音。
椅子を引いた彼が一人立ち上がる。
「……ごちそうさま」
彼女と対象的に彼の目は酷く暗かった。一言だけ置いて部屋に帰ったタクの食器は、新品のように綺麗で。嬉しいはずなのに、なぜか悲しくなった。




