12話
短く速い呼吸で僕は軽く走る。空は薄暗く、夜の帳が落ち始めていた。一回立ち止まって大きく息を吐くと、ひんやりとした風が頬を撫でた。まだこの時間は肌寒いのか。
「久しぶりにこんな時間になっちゃったな……」
いつもは五時前には帰れるのに、疲れからか教室で寝てしまった。気付いた時には六時半。さすがにナナは夕飯を作って待っているだろう。一緒に買い物に行く約束も守れなかった。彼女の性格を考えれば怒りはしないだろう、でも、凄く心配しているはずだ。
「……あれ?」
家の前に誰かいる。顔は見えないけれど、出で立ちは女性のようだ。ゆっくり歩いて近づいてみると、その人は僕に気付いたらしく駆けてくる。
「すみません、ユウさんですよね」
「はい、貴女はシュリさんですね。お話しするのは初めてですね」
小さな籠バックを持ち、少し乱れた髪の毛を耳にかける。僕より少し背の低い彼女は優しく微笑んだ。彼女はシュリさん、ナナの母代わりの人。実は初めて顔を合わせたわけではない。今までにも家に訪れてナナと談笑していたし、一人でいる時に外で見かけたこともある。改めて対面すると……シュリさんって若いな。まだ四十歳には絶対になっていないよな? あ、いきなり相手の年齢を考えるなんて失礼か。
「さっき夕飯の余りをおすそわけしに行ったんです。それと、ユウさんに話があってここで待っていたんです」
「でもここじゃ寒かったでしょう。家の中で待っていれば」
「それではダメなんです」
悲しい顔をしていた。上着のポケットの中から一通の手紙を取り出す。
「とりあえず、これを見てもらえますか。暗いのは分かっています、それでも、読めるので」
白い、飾り気のない封筒。そして住所も名前も何も書いていない。直接郵便受けに入れたのか、中身は――。
「なに、これは……?」
「あの子とは三年前まで一緒に暮らしてきました。こういうことをされても支え合ってきたんです。でもナナは、中等学校卒業の節目で一人暮らしを始めました。優しい子だから私たち夫婦をこんなことから遠ざけるため、決断したんだと思います」
あまりの衝撃で頭が働かない。
「今でも彼女は闘っています。この手紙が一日で何十通送られてくる日もありました。だけどユウさんが来てから落ち着いてきたんです。本当に、あの子を守ってくれてありがとうございます」
「僕は、何も、してないですよ……」
僕は何も見えなかった。僕は何も知らなかった。
「少しずつ私たちはあの子と疎遠になってきているんです。こんな風に手紙の数を少なくすることしか、私にはできなくなってきています。どうかあの子が困っているようなら、いいえ、あの子は困っています。助けてあげてください、あなたしか、頼めないんです……」
僕の目の前で深々と頭を下げる。
「ナナを……助けて……」
そして泣き崩れた。シュリさんは地に膝をつけ、顔を手で覆い隠す。指の間から溢れた涙が、雨のように零れていく。その姿が、なんとも痛々しい。彼女の隣に腰を落とす。何か声をかけてあげないと、でも……なんて言えば……
「ぼ、僕がなんとか、っ……あ、だ、大丈夫ですから……」
自分で言っておきながら、なんて頼りがいのない言葉なのかと思ってしまった。しかし、これ以上言えることもなくて、ただ僕は彼女の傍に佇むことしかできなかった。
数分後、シュリさんの旦那さんがこちらへ走ってきた。彼女の帰りが遅いから何かあったのかと心配した、と彼は息を切らしながら話した。僕も事情を説明すると、彼はご迷惑をおかけしてすみません、と言いながらシュリさんを抱きしめた。彼女はすすり泣いていた。彼も苦しそうな顔をしていた。今、僕は去り行く二人の背中をずっと見送っている。僕は一人、僕たちの家の前にいる。『大丈夫』なんて言葉、よく言えたものだ。どうすればいいかも分からないくせに。
「どうすれば、いいんだよ……」
真っ暗になった道で一人そう呟いて、何事もなく風が音をさらっていく。もう一度手紙に目を向ける。ぐしゃぐしゃになったそれは、派手な色の「死」の文字が少ししか見えなくなっていた。
*
「やっ!!」
「マイ!」
「はい! ユウ、ラスト!!」
「ロータション!」
よし、四体撃破!
後ろに一体いたからすぐに!
「えぃやってあれ」
「あーまた消えたわね……」
またぽつんと立つ三人組。三日前、シュリさんと話したあの夜も六体倒してからいきなり消えたっけ。確実に僕たちも奴らも力は強くなっている。
「さすがにこれでは埒があかない」
イラつき気味にタクは首を回し、普段着に戻る。
「そうねぇ……本格的に対策しないと今度はこっちがもたないわ。あと、こんなイレギュラーな存在を捕獲できたら最高なんだけど」
それができたら苦労しない。もちろん二人は分かっていたらしく、大きな溜め息をついた。
「と、いうことで朝特訓ね」
「七時集合」
ビシッとタクは僕を指差す。
「もちろん僕もですよね……」
「当たり前だろ」
「もうユウも立派な特殊部隊員なんだから、ね? さぁ、頑張りましょ!」
軽快にマイは僕の肩を叩いた。認められている嬉しさと難航している歯痒さとその他諸々が混ざって変な顔で返事をする。こりゃ、寝不足確定だ……。
――寝不足だ……。寝不足が一番体のコンディションを狂わせるんだよなあ……。大きな欠伸が止まらない。うまく回らない頭を無理くり動かしてペンを握る。メモを上から黒で染めていく。朝の光が手元を照らす。そういえば、タクのドールと戦う前はランプの光だったなぁ、と記憶の寄り道。迷惑かけたな、一番心配させたよな、あのとき。そして、絶対にナナに恩返しするって心の中で決意した。でも、その気持ちは変わらないけれど、だからといって。
「ここにいる必要はあるのか……」
たまに出掛けたり、一緒に昼食をとったり、話を聞いたり。ナナと友だちでいることが、僕にできる最大の恩返しなのではないか。分からない、何も求めてこない彼女が欲することなんて。なら、いいのではないか。
一緒に暮らす必要なんて、ないのではないか。
『本当に、守ってくれてありがとうございます。』
『ナナさんに触ってもらえばいいんじゃない?』
『ナナを……助けて……』
『有名ですよ、新しく来た隊員が女性と同棲してるって。』
『そんなので、理解者になろうだなんて……失礼だよね。本当にごめんなさい。』
『「だから、なんでもない、から、ね?」』
いつの間にか手は止まり、書き終えていた。
もういいだろう、もう充分だろう? 人の生活にまで踏み込むのは、あまりにも、醜すぎる。
「――いってきます。」
もうじき引っ越すこの家の玄関をスニーカーで打ち鳴らし、直の日光へ向かって僕は進む。
*
早朝の生活にも慣れてきた。五日連続の早起きも、今では苦痛ではない。もともと朝は強いほうだったからだろうか。マイはまだ眠いとぼやいていたが。
「よぉし、ひとまず休憩‼ しっかり水分補給してね!!」
手を叩いて僕とタクに呼びかける。彼女は凛とした面持ちで汗を拭う。タクは塩分補給用のキューブを口に放り込む。僕は満たされるまで水を煽った。
「ん」
彼が僕に向かって何かを投げた。手で受け止めてみるとキューブの入った小さなパック。お前も食っとけ、ということだろう。
「ありがと」
「ん」
「あ、私にも一つくださいな」
「ん」
「ありがとう」
三人で特訓練習する時は、いつも休憩時間になると空気が緩む。そうすると心も開放的になるのか、言いたかったことがすんなり出てきた。
「伝えそびれてたんだけど、僕、寮で暮らそうと思うんだ」
タクは両目で僕を見る。まぁ、とマイは口に手を当てた。
「なんだ、いきなりどうした」
「いや、前から考えてたんだよ。マイからの紹介もあったしさ」
やっとか、と言いたげな顔で僕を見ないで、タク。これでもしっかり考えて決めたんだ。水筒の蓋を開ける彼を横目に、彼女は不安そうな顔で口を開く。
「ナナさんには言ったの?」
「まだだけど……でもナナなら分かってくれると思うんだ。オーケー貰ったら手続きするから、マイ色々と教えてくれる?」
「えぇ、ただ男子寮についてはタクから教えてもらってね」
「了解!」
僕の様子から安心したのか、短く息を吐き微笑んだ。彼も飲み終えて一息つくと僕の顔を見る。
「なら明日は休め」
「え、なんで?」
こんな大切な時に……と言おうとしたが止める。彼の顔が思いっきり歪んだ。言うのも面倒くさい、なぜ分からない、と。タクほど分かりやすい表情の人って滅多にいない気がする。って、そうじゃなくて、なんでそんな顔をするのか……
「だから、そういう関係じゃないって!」
「嘘は良くないぞ」
「嘘じゃない! 真実だよ!」
「またまたぁーお熱いくせに!」
やっぱりマイもつっかかってきた。でも……もう少ししたらこの言われようも収まる、はず。ただ僕は右から左へ、左から右へ流していくことだけを必死にやっていく。我慢だ、頑張れ、自分。
「――ということで、寮暮らしを始めようと思うんだ」
夕飯後、僕は淡々と告げる。コーヒーの入ったマグカップで手を温める。なぜかナナの目を見れなかった。恐る恐る目線を合わせると、彼女は驚いた顔をしている。
「そっか、いいと思う」
そして、あっさりと答えたナナは穏やかな笑みを浮かべた。
「今の生活よりも寮の方が過ごしやすいかもしれないもんね! うん、お仕事大変だしね」
分かってくれたのか。なんだ、大丈夫じゃないか、過度に怯みすぎだ、僕。
「それで明日丸一日時間もらったからさ、どこが出掛けようよ」
「ほんと⁉ じゃ、買い物行こう! 行きたいお店いっぱいあるんだ!」
楽しみだ、なんて言いながらティーポットから自分の紅茶を注いでいる。安直だけれど、僕はただほっとした。顔が緩み始めた時、ズボンのポケットが震えた。体にまた緊張が走る。取り出すと小型警報が鳴っている。この鳴り方、またD区間か。
「ごめん、ナナ、ゴーストが出たみたいだ」
急いで立ち上がり剣を持つ。
「気を付けてね」
ナナの一言を受け取り、足を乱暴に靴の中に入れて外へ出た。魔法服になり、スケボーを転送、一気に町中を駆け抜ける。
「マイ、タク、今どこにいる?」
通信機の声に耳を傾けた。
「今二人とも寮を出たところよ。私たちは遠いからあらかじめワープ術でD区間に繋いでおいたわ。今から二分後に着くわよ」
「わかった、僕はスケボーで向かっているから!」
「了解! 現地で落ち合いましょう!」
またあいつらなのか……だとしたら最悪だ。明日は大切な用事があるのに。構っている暇なんて……!
「おぉっ⁉」
車体が大きく揺れた。落ち着け、落ち着け自分! 気持ちが先走って魔力コントロールできてないって! まずは今の状況にしゅうちゅ
「あ、着いた」
あっという間にいつもの場所へ。一秒で状況を把握して、すぐさま走る。
「え?」
二人の足音が近づく。
「待たせた」
「ごめんねって、え、これだけ?」
そう、これだけ。いつものロボットではなくて熊のゴースト一体のみ。
「なんだよー! 気合入れてきたのにー!」
全身の力が抜けて、間抜けな声が出る。
「ま、いいわ、ちゃちゃと片付けちゃいましょ!」
それもそうだ、早く帰ろう。剣を持ち、構える。あとはマイの指示
突如、目の前が灰色に変わる。
「きゃあ!」
「うわっ!」
「くっ」
突風が僕の足をすくい、体を吹き飛ばす。宙を回り、瓦礫の地面に体を打つ。
「いった、い……」
何が起こっている。ただの中型ゴースト一匹だけだったのに。なんでこんな爆発が。
最前戦、どうなっている……? でも砂で見えない。マイは、タクは?
「月が、見えて、きた……」
頭では分かっていても、体が痛みで麻痺して動かない。今ある情景を声に出すことしかできない。
でも、僕の目に映るのは。
「君は……誰?」
月の前に立つ少女。十メートルくらい先、瓦礫の山頂に立っている。ゴーストをあの爆発一回で倒し、魔力を吸い取っている。宝石みたいな物が不気味に光る。逆光で顔が見えない。なんとか立ち上がり叫ぶ。
「君は、誰なんだ!!」
聞こえたのか、頭が少し動いた。しかし彼女は僕たちに背を向け暗闇に消えていった。力が入らず、座る。僕の前に歩いてきたマイとタクも、何も言わずさっきの光景をじっと見ていた。
少しだけ欠けた月を僕は、僕たちは眺めている。




