11話
ベルの音が店内に響き渡る。いらっしゃいませ、と若い女性の声と落ち着いた音楽が心地よく僕の耳に入ってきた。明るい店内にカラフルなケーキたちが映えて、不思議と心が踊りだす。と言っても何を買うかは決まっているのだが。
「苺のショートケーキとレモンメレンゲタルトを一つずつください」
「かしこまりました。お持ち帰り用ですか?」
「はい、あとこれで会計お願いします」
僕はプレゼント用クーポン券を差し出す。店員さんは嫌な顔せず受け取ってくれた。慣れた手つきでそれを通し、ケーキを箱詰めして袋に入れる。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
店の前まで見送ってもらい、僕は軽く頭を下げた。ルシナから学園帰りに渡された『昨日のお返し』。そしてナナが好きなさっきの店の苺のショートケーキ。うん、完ペキだ。内心ニヤニヤしながら帰路に着く。
猪のゴーストを倒した後マイとタクのグループに合流し、ひとまず学園に戻った。ルシナと一旦別れて、特殊部隊の任務の一つであるゴースト討伐報告書などの庶務の仕事に手をつけた。二人のグループが主犯の大型ゴーストを担当したらしく、山積みの後処理作業に追われていた。一方で僕は中型ゴースト、小型ゴーストの簡単な書類作成。そこまで大変な物はなく、先に終わらせ暇になってしまった。手伝おうかと尋ねたが疲れただろうから早く帰りな、と追い返され今に至る。ルシナと帰りが一緒だったが用事があると言われて途中で別れた。少しは仲良くなれただろうか。いや、なれただろう、今度一緒に演習しよう。
「ただいまーナナ、ケー、キ、が……」
いつもの甘い紅茶の香りだけじゃない。消毒液、トマト、洗剤、パン、香水、ハーブ……。
そして鉄の臭い。
目の前に広がる、赤の液体。
「ナナ⁉」
赤は洗面所へ点々と続く。
どうしよう、ナナに何かあったら、僕……!
「ナナ!!」
洗面台に流れる水の音。
その前に立った彼女は大きく目を開く。
高く小さく漏らした驚きの声は僕の頭の回転を速め、素早く手を動かした。
不釣り合いな、小さく戸を閉めた音。
――――。
「ごめん、いきなり開けてごめん!!」
「いやいや大丈夫、こっちこそごめんね!」
優しく閉めた戸とは裏腹に僕の心臓はうるさく鳴る。ナナの半袖Tシャツと短パン姿、初めて見た……いつも長袖ワンピースに黒のタイツ……だったのに。シャワーでも浴びたのかな、髪の毛が濡れていてタオルを被っていた。でもそうじゃない、そこじゃない。
「トマトジュースこぼしちゃったの、そして濡れた床で滑っちゃって……えへへ……」
無数にあるアザとキズ。
「着替え終わって髪乾かしたらすぐに片付けるから」
赤く腫れた肌と青くなっていた腕や足。
「驚いたよね、本当にごめんね」
それは一体、どうしたの?
「私はなんともないからね!」
耳にまとわりつく心音と汗。
「……だから、なんでもない、から、ね?」
――声にならない息が出た。
「……僕も片付け手伝うよ」
「ありがとう」
「あのさ」
僕はずるずると戸を背にしてへたり込んだ。
「片付け終わったらケーキ食べよう、買ってきたんだ。……箱、玄関で落としちゃったけど」
ドアの方を見る。彼女の靴は黒く汚れ、ボロボロになっていた。
*
トマトジュース騒動、大型ゴースト襲来からちょうど一週間。あれから事件は起きていない。普通の日々だ。だからだろうか、あのナナの姿を忘れることができない。心の中にもやがかかっているみたいだ。不吉な予兆……一瞬そんな考えが浮かび鳥肌が立った。やめよう、こんなの考えたって意味が無い。どうしようもないじゃないか……。
「――ウ!」
そういえば最近ルシナ見てないな。一緒に練習したいのだけれど。
「ユウ!!」
「ふぁいっ⁉」
マイが膨れっ面で立っている。ホワイトボードに背を向け、黒ペンを握りしめる。
「なにボーッとしてるの? ちゃんと先生の話を聞きなさいね」
座っている僕の頬にペンでツンツンとつついた。微妙に痛い。
「マイ先生、ごめんなさい」
「ふむ、今回は大目に見ます。次やったらレモネード没収」
「えぇ⁉」
「ふふ、冗談よ。さぁ続き続き!」
マイは楽しそうだ。教卓に戻るとペンのキャップを取り、ボードに文字を書いていく。性格が出ているのか、字はとても綺麗で読みやすい。
「さっきまで魔力を発見した、通称魔術の父デイラーの話をしたわね。その中で一番重要で有名な研究があって、その内容がこれ」
唯一書かれたその単語二つを指差す。
「魔力と因子……因子って?」
僕の問に彼女は頷く。
「まず、魔力は全人類持っていると言われているわ。最大でどれくらい魔力を体に溜めることができるか、つまり、魔力保有量の限界値は生まれた時に決まっているのよ。遺伝に影響されやすいみたいね。一般人は魔力保有量も限界値も限りなく少ない。大体は体の保護の為、皮膚の上に魔力をうすーく覆っていればそれで済む話だからね。体の機能的にそこまで必要としていないのよ。まぁ、薄すぎてあんまり意味をなしていないようだけれど」
「へー……魔法使いや魔術師だけが魔力を持っているわけではないんだ。じゃあ、違いはなんなの?」
個人授業の良いところはすぐに質問できることだと僕は思う。
「まず一つに魔力を受け取り、使う……コントロールする能力があること。これは魔法使い、魔術師共に必須よ。そして戦える能力があること、これが二つを分ける力ね」
ノートにまとめて頭の中を整理する。コントロールする力と戦える力。僕の中にもこの二つが備わっているのか……。
「コントロールする能力を持っているなら、己の魔力を増やすことも可能よ。方法は魔力を消費し、多く回復すること。体は魔力がないと保てないから、消費すると必死に回復しようとするの。そして余った魔力は自らの力になる。つまり、練習すればするだけ強くなる、ということね」
「なるほど……ちなみに体から魔力がなくなったらどうなるの?」
「死ぬわよ」
想像以上の言葉に息を呑む。
「私たちは一般市民より魔力が多いから、それだけ皮膚上のバリアも厚い。そのおかげで斬られても叩かれても血は出ないし痛みも少ないでしょ? でもその分魔力が消耗し、減り続けるとバリアも薄くなる。やがて……体重は軽くなって皮膚が切れ、息苦しくなり、回復が間に合わなければ死ぬわ。魔力の吸収口も閉じるから、蘇生もできないの。不思議よね、魔力の量が多いだけで死に方も変わるの。特別な力を持っていたって、命は一回きりなのよ」
幾多の戦場を経験してきたであろう彼女の言葉は重い。ふとマイは窓の外へ顔を向ける。真剣で悲しそうな眼差しが、今までの苦い思い出を空に投影しているようだった。でも、あの……物思いに耽っている中、申し訳ないんだけど……
「……きゅうしゅうこうってなに……?」
「え、あ、教えてなかったっけ? 魔力を使っている時や、ゴーストの吸い取りをしている時に体の一部が温かくなるでしょ?」
あぁ、たしか僕は喉仏あたりだったかな。あまり気にしたことはなかったけれど。
「そこが吸収口。魔力の出入口とも言われているわ。その場所から全身に魔力が巡っているのよ。つまり……そこを狙えば大ダメージを与えることができる弱点でもあるの。あと性感帯でもあるわ、ナナさんに触ってもらえばいいんじゃない?」
口に手を当て不敵に笑うマイ。なんでナナ?
「せいかんた……っ⁉」
自分で言ってようやく気付く。普通にアウトな言葉を言ったよ、この人。火が出そうなくらい顔が熱い。主犯は目の前でケラケラ笑っている。
「だっかっらっ!! そんな関係じゃないって!! で⁉ 結局、因子ってなんなの⁉」
「あはははっ、はぁーおもしろい……」
どこがだよ。
「因子っていうのは魔力の性質のことよ。ユウは回復の技を持っていないでしょ? それはユウが回復の因子を持っていないってこと。逆に言うと剣術、付加、コントロール能力の因子をユウは持っていることになるわね。この全部の因子を合わせた物がユウ専用の魔力。あと、因子の関連に近い物は新しく習得することもできるわ。なかなかの努力が必要だけどね。そうね……ユウだったら付加に関係が近い妨害とかいいんじゃないかしら」
「えっと、ま、まって、ちょっとまって」
簡略にすると、因子とはその人が持つ魔力の個性のこと。様々な因子が合わさることで魔力は作られる。そして自分と近い位置にある因子は取得できる……なるほど。なんか、魔力って料理みたいだ。材料が一つ違うだけで新しい料理になり、食べたら無くなっていく。もし食べ物が全て消えたら、僕たちは生きていけない。お腹すいたな、もう昼か。
「ところで」
いつの間にかマイは僕の前の席に座っていた。
「ん?」
「ユウ、寮入る気ない?」
「どうしたの、いきなり」
ノートを閉じて筆記用具をしまうと、マイが僕の机に肘を乗せた。もう先生ではなく、友だちのマイだ。
「いやぁね、寮だと楽なのよ。学園と繋がってるし、食事も出してくれるし、特別無料だしね。あと、ユウには副魔術の実技の先生になって欲しいのよ」
「それは、先生になったら帰りが遅くなるし学校への行き来も増えるから、通勤的な意味でも寮が便利だからってこと?」
「そゆことよ~」
寮か……正直少しは気になってはいたけれど。でも僕にはナナが
『なんでもない、から、ね?』
あぁ、まただ。またあのナナの姿が脳裏に浮かぶ。
「何かあったの?」
心配そうな顔でのぞき込むマイ。さすがにニヤニヤ笑っていられるような状態じゃないと気付いたのだろうか。
「……ナナが、何か隠しているみたいなんだ。しかも……重大そうで……」
さっきまでとは一転、重い空気になってしまった。申し訳ない気持ちと共に、自分の余裕の無さを痛感する。想像以上に気にしてしまっている。
「実はね、私気になってナナさんの個人情報調べてみたの」
「ナナの……個人情報……」
そういえば僕、恩返しすると言っていながらナナのこと何も知らない。
「っおしえて、マイ!」
「そう、ね……まずあの子、上級学校に通わずに働いているみたいなの」
上級学校に、通っていない?
「え、それ本当なの? だって普通は特級まで進学するものなんでしょ?」
「そうだけど、でも本当なのよ。義務教育の下級、中級はちゃんと卒業しているみたいだけれど、そこから働いているみたい。下級中級学校が私たちの学園みたいに特殊な所、というわけでもなさそうだし……」
今思えばそうだ。ナナが学校に行っている姿は見たことがない。なぜ進学せずに働いているのか。一人暮らしだから? それとも……
「だからね、ユウ。ナナさんも悩み事きっとあると思うの。ちゃんと面と向かって話し合うのよ」
マイは微笑むと僕の手を取り、レモンキャンディーを握らせた。彼女は軽く手を振り、教室を去った。
「……話し合うって言ったって」
どうすればいいんだろうか。僕は貰った飴を見つめることしかできなかった。




