8話
太陽がもう少しで頂点を通過する。昼時、元来た道を精神的にボロボロになったルシナと戻る。待ちに待った昼食だ。
「あ、そうだルシナ、一緒にお昼どうかな」
ナナがお友だちも呼んでね、と言っていたのを思い出した。まぁ、友だちではないけれど。ちなみにタクとマイも合流する予定だ。
「いや……俺は大丈夫ですよ」
「ほら、厳しい事言ったからさ、そのお詫びも兼ねてなんだけど……」
黒い思考を白い言葉で包み隠した。それも知らずルシナは自然に頬を緩ませた。
「分かりました、お言葉に甘えます。あの、厳しいことを言ってくれてありがとうございました。大切なことを学べてよかったです、次に生かします」
「……え」
今日一番聞きたくなかった一言が胸に突き刺さる。違うんだ、そんな綺麗なものじゃない。僕は純粋な気持ちを持って接していない。全部、全部僕自身の為なんだ。そんなこと言わないでくれ、ありがとうなんて、言わないでくれ。
「ちが」
「ほんと、なんなのよ! 魔術師ってだけであんなに優遇されて」
「何が魔術軍隊の者で、よ。ゴースト退治しかできないクセにでしゃばりやがって。あーもう、ウザすぎ」
声がけした女性の二人組だ。話した時は優しそうな顔をしていたのに。気付いたルシナはただ目を逸らしていた。あぁ、そうか。僕もあの人たちと変わらない、人間なんだ。ずっと見て見ぬ振りされ続ける本質をただ隠しているだけなんだ。
「――行こう、ルシナ」
彼女たちは何もなかったかのように通り過ぎて行った。
*
ナナは僕たちを見つけると大きく手を振った。
「ユウ、お疲れ様!」
「ごめんね、待たせたでしょ」
「ううん、私も今来たところだよ。そちらの方は?」
ルシナは一歩前に出て、軽く会釈する。
「ユウさんの後輩のルシナです。先輩に誘われて来ました。邪魔じゃないですか?」
「邪魔だなんてそんな! むしろ作りすぎちゃったくらいなので大歓迎ですよ!」
「ありがとうございます。いただきます」
ナナのおおらかさでルシナも安心したようだ。ナナは読んでいた本を閉じ、ピクニックボックスから弁当箱を取る。蓋を開けると色とりどりのおかずたちが顔を出す。
「あ、ユウ、タクさんとマイさんは?」
「少し時間がかかるんだって、先に食べててってさ。ということで、いただきます!」
「はーい、どうぞー!」
たまごサラダのサンドイッチを掴んで、口に運ぶ。手作りの食パンと軽い口当たりのたまごサラダを空っぽのお腹がもっともっとと欲する。うーん……たまらない、美味しすぎる……って、余韻に浸っている場合じゃない。
「ルシナ」
「ん、はい」
卵焼きを飲み込んで、もう一個取ろうとしていた。少し目が輝いている。お気に入りらしい。
「学園でどんな授業してる? あと時間割りってどんな感じ?」
前から気になっていた学園の仕組みやカリキュラムを知る良いチャンスだ。
「そうですね……魔術関係なら何でもです。概念、歴史、扱い方、魔術師としての立場、在り方など、もっと細かくしたものを座学で習います。演習では攻撃、防御、回避の基本行動から近遠距離攻撃の対処までやります。最近ではゴーストの戦闘に備えた立体モニター練習も行われるようになりました。あと、時間割は軍単位で分けられています。上位にいくほどコマ数も増えて勉強量も増えます。A軍はだいたい一コマ四十五分を七回、ですね」
「ほー……そうなんだね」
僕も卵焼きに手を伸ばす。しかしルシナが自分の狙っていた物をすばやく奪い取った。相当お気に入りらしい。
「知らなかったんですか。本当に違う都市から来たんですね」
「え、あ、ま、まあね、アハハ……。あぁ、そうだ! ルシナって特殊部入隊希望者なんだよね! あと、試験があるんだよね、やっぱり緊張する?」
やっとウィンナーに手をつけたルシナは真顔のまま口を開いた。
「別に、もう慣れました。緊張感なんて軍の階級昇格試験で何度も経験するので。それに入隊試験も一回受けてます、落ちましたけど」
そう言って口へ放り込んだ。平然とした態度で逆にこっちが面食らってしまう。普通、試験に落第することは嫌な思い出のはず。それを自分から言うとすると自尊心やプライドが傷つくものではないのか。当たり前の感情が見えてこない。
「……嫌な事言わせちゃったよね、ごめんね」
しかしルシナは疑問の顔すら浮かべる。
「なんでユウさんが謝るんですか」
「なんでって……」
「他人なんです、嫌な事言われたって自分を知らないんだから仕方ないでしょう」
さらりと流れた言葉に針のような鋭さが宿る。何も間違っていないと信じてやまない目の強さが余計に針先を光らせた。
「たった二日の縁なんですから。特別な思いがなければ弱みなんて握りすらしないでしょう? そんな時間がもったいないですしね。だから他人には笑えるんです。パトロールの時、見たでしょう? 仲間は、窮屈で気ばっか遣うので嫌いです。俺は……一人でいいんです」
伏し目で淡々と言った。僕の行動への牽制に聞こえるが、それ以上の重さがあった。強がりか本心か、いや、そんな簡単に踏み込んではいけないだろう。でも
「あ、マイさん、タクさん!」
ナナが持ち前の体質で二人に気付き、手を振る。卵焼きを一個食べて、ルシナは立ち上がった。
「それじゃ、俺はここで」
「あれ、もっとのんびりしていっていいんですよ?」
無表情で首を横に振る。
「いえ、ご馳走様でした。明日お礼とお返しを渡します。本当にありがとうございました」
ナナの誘いに迷いもせず断ると学園に向けて去っていった。様子を見ていたタクとマイも通り過ぎたルシナの背中を見る。
「あの子」
マイが何かを思い出したかのように呟いた。
「確か父母ともに魔法軍隊のお偉いさんじゃなかったかしら。そう、両親が忙しすぎて寮暮らしなのよね。たまに廊下で顔合わせるもの」
タクもあぁ、と声を漏らす。
「最年少……十二歳で入試試験を受けて有名になった人か」
「そうそう、でも去年は落ちちゃったみたいね……。今年は上手くいけばいいんだけど……」
同情の瞳で背中を見送る彼女。タクはそそくさと僕の隣に座る。ナナはペットボトルのコーヒーを紙コップに注ぎ、彼に渡した。俺の好物よく分かったな、と言いたげな顔だ。
「ルシナさん、だっけ。とってもかっこいい男性の方だね!」
ペットボトルの蓋を閉める彼女に、僕ら軍隊の三人は首を横に振る。頭を斜めに傾けるナナ。いつもの微笑みのまま、マイが一言。
「ルシナは女の子よ」
「えっ⁉ じょ、女性の方なの⁉」
そうなんだ、ボーイッシュで声も低めで一人称が俺だが、女性。僕っ娘ならぬ俺っ娘。強気で結果重視、キッパリサバサバ、性格も男気質だとか。
「ただ、ああいうのは困る」
タクが一気にコーヒーを飲みほすと息を大きく吐く。乱雑な言葉の割には、彼から呆れるような、面倒だと言いたいような、そんな感じは伝わってこない。
「困るって?」
「男勝りで強がりは接しにくい。指導者の立場だと、彼女が何を求めているのか見えてこない。全部自分で何とかしようとするからな」
感情が伝わってこない、か。僕はもう一度振り返った。さっきまで一人歩いていたと思えないほど、ひたすら丘は広がっている。彼女の姿は、もうなかった。
*
レモネードをすすって時計を見る。早いな、もう十五時か。パンフレットにしてはなかなかの厚さがあるそれを、ずっと読み続けていた訳だけれど。あまり有益な情報は得られなかった。強いて言えば軍隊と学園の関係性の記述のところは自分が知らないことが書いてあった。
そもそも軍人はこの学園の教諭を担当していたらしい。軍隊の仕事を主にしつつ、子供を見守るかのようにのんびり指導をしていた。急いでいない教育方針だから成り立っていた。しかし、大災害後状況は一変。大量の魔術師、魔法使いを必要とした。しかも『即戦力になる』という条件付きで。そのため元から強い軍人は教師まで手が回らなくなった。変わりはもう動けなくなってしまった元軍人。生徒もランク付けされて、ほぼ本職の人たちと変わらないハードなスケジュールをこなしている。すべて大災害のせいで関係性が複雑になってしまった。だから生徒・先生・軍人の境目があやふやになりつつある。誰に聞けばいいのか頼ればいいのか……そこから悩みが広がることもあるのかもしれない。一方的に人気になるマイとタクのイレギュラーさの意味が分かった気がした。
「ん……あぁー疲れた……」
大きく背伸びをしてパンフレットから視線をずらす。開放的なカフェテリアには僕と数人がちらほら。パトロールがあったから実践練習が一時間だけだったけれど、疲労で体が全然動かなかった。ドール戦で使った教室で同じドールの二倍量を相手にしたが、今日は八人でギブアップだった。タクに体力が足りないと小言を食らった。喉を通るレモネードが体の労りと同時に屈辱を連れてくる。もっと、もっともっと、強くならなければ。自分自身の為に相手を貶すような、もうそんな醜いことをしないために。
「速報でたってよ!」
「さて、どんな感じかなー」
「どうか得意科目でありますように……」
どっと廊下に声と足音が響き始めた。なんだなんだ。カフェテリアのドアから身を乗り出すと、一つの掲示板に人がわんさか集まっていた。見ると生徒だけじゃなく先生や特殊部隊の人もいるようだ。どちらにせよ、この感じじゃこちらに人が流れてきそうだし、ちょっとだけ覗いて武器のメンテナンスに行こう。
「うそ……私A日程だ……」
「よぉし、今回はいけるかも!」
「どうしよどうしよ苦手科目だ、落ちちゃうよぉ……」
「大丈夫、大丈夫、なんとかなる、なんとかなる……」
思い思いの声色が混ざり合う。ちらっと見えた表と文と大きな朱印。重要な情報が開示されている時に絶対に押されている判子だ。把握したいけれど、これは……人波が落ち着いてからにしようか。とりあえずここを抜けよう。
「すみませんちょっと通ります」
「いたっ」
「あ、ごめんなさ」
くせっ毛の黒髪が揺れる。光に反射した大きいピンが少し曲がる。顔を上げた彼女の瞳には隠しきれない影と動揺があった。ここから離さなければ、壊れてしまうのではないか。一瞬で言い表せない何かを感じ取る。そんな危うさが僕の手を動かした。
「っルシナ、ちょっとおいで」
――機械が噛み合う硬い音が空間に響く。彼女の手元には黒く汚れたタオルとスプレー缶、簡易工具、そして大砲。慣れた手つきで黙々とメンテナンスを進めている。僕は窓側にいるルシナの姿をじっと見ていた。会話はなく、ただ力強い動作の時の吐き出す息遣いだけしか口からは漏れてこない。さっきの光のない瞳よりも何も始まらないこの空気の方がよっぽどましだ。
「明日」
「っうん」
「今日のお昼のお返し渡すので、ナナさんに渡してもらっていいですか」
「あぁ……ってなんで僕」
「有名ですよ、新しく来た隊員が女性と同棲してるって」
うわ……見られていたのか。そもそも前例のない異動となっているみたいだし、目立つのも当然か。しかし同棲と言われると……なんかナナと付き合っているみたいに聞こえるじゃないか! あ、だからマイに彼氏彼女ってからかわれるのか。いや、今はそんなこと考えている暇はない。
「まぁ、同居とか同棲とかそんなことは置いといて! さっきそこの廊下で何見てたの?」
右手の動きが止まる。
「入隊試験の出題科目表です。ペーパー試験三教科と実技試験一題が書かれているんです」
「そうなんだ。どう、得意な教科とかあった? もし実技練習とか力になれることがあったら協力するよ」
「いえ、別に、大丈夫です」
また大砲を磨き始める。
「大砲、かっこいいね」
「誇りですから」
そしてまた時間が簡単に過ぎていく。今いる第二演習室からグラウンドにいる生徒たちの大声が聞こえてくる。支援を求めたり、褒め合ったりとせわしなく飛び交う。やっぱりチームっていいよな……なんか、青春って感じがするな……と、いきなり足下から無機質な高音が響いた。はっと我に返って、音のした方を見る。工具がルシナの手から滑り落ちたようだった。
「あの」
落ちた金属を拾わないまま、彼女は手を握りしめた。
「ユウさんは仲間に甘えられますか、信用できますか?」
――その目は。
「甘えはできないけど、信頼してるよ。とっても大切な仲間だから」
初めて会った時や、指導を受けている時、昼食を共にした時のような。
「なんでそんな簡単に信頼してるなんて言えるんですか。裏切らないかとか、見放されるとか思わないんですか」
何事にも屈さない強さはなく。
「ルシナそれは」
「人間みたいな不確かな物なんて信じられない。最近異動してきた珍しい人なら一人でいると思ったのに、結局他と変わらず班員になって……。そう貴方のことですよ! 第一ユウさんだって……」
年柄の女の子が見せる誰かに縋りたいと思う気持ちだけが映っていた。
「……ごめんなさい」
大砲を魔力に戻し、工具セットを待って教室の扉を開けっぱなしで走っていった。
「ルシナ!」
急いで廊下に出たが、もういなくなっていた。あの苦しそうな瞳がひたすら胸を痛めつける。助けてあげたい、でも僕に何ができるのだろう。少し、少しだけでいい、心がふっと軽くなるくらい、それだけで全然違うだろうから。
「ユウ、どうした? ……最近、お前へんだぞ、大丈夫か?」
長身の影が伸びる。後ろの彼に向き合った。
「……へんって何がへんなんだよ」
予想外の言葉に肩をすくめる。なぜか声に強情が含まれていたことに自分でも少し驚く。
「それは」
タクは言葉をつまらせ、少し沈黙する。
「何かあったのか」
「いんや、何にもないよ。あのさ、入隊試験の実技の方、どんな内容だったっけ」
彼はプリントを取り出す。今年はかなり厳しいな、と呟いた後、顔を上げた。
「グループ実戦、だそうだ」
「……そうか」
西日が窓から消えていった。




