再始動
夢から目覚めたような、いつの間に意識を失っていたか、自分でも分から
ない不思議な感覚。
雲が西から東へと無抵抗に流され、隠れていた太陽が顔を出す。
眩しい日差しを直視しないよう、腕で視線を遮ると、普段は見慣れない何
かが視界へ入り込む。
上空には、崩壊して瓦礫を周囲に撒き散らせながらも、その形状は尚も維
持し続けている巨大な建造物。
重力に囚われる事も無く、宙へと浮かび続ける塔とも要塞とも呼べるソレ
は神秘的とも言い表せるくらいに美しく、禍々しい雰囲気を醸し出す。
―― 俺、New Gameなんて選択したっけか。
彼方に見える建造物も、PCのモニター越しでなら見た事がある。
数ヶ月前に始めたネットゲームのOPで流れた映像。新作よりのゲームだけ
あって、かなり熱中してやり込んでいたものだ。
しかし、それもネットゲームの中の話であって、現実には存在し得ない架
空の物であるはず。何より建造物が空に浮かぶ等、今の技術的にまだ不可能
なはず。
なんだ、夢か…。
毎日暇があればプレイしていた。日常的な記憶として覚えてしまい、夢に
まで出てきてしまうとは、ある意味重症なのかも知れない。
夢ならば仰向けになっている場合ではない。一人称視点でプレイする設定
は実装されていなかった。いい機会だ、思いっきり楽しませてもらおうでは
ないか。
徐に立ち上がろうとした瞬間。貧血を起こしたように世界が回転し、次に
はスノーノイズが発生すると、体は再び地面へと戻されてしまった。
■
再び遠退いていた意識が覚醒する。蘇生魔法を受けた時やリスポーンした
時の効果音と、無数の白い羽が舞い上がるエフェクトに包まれながら、アテナ
は地へと足を付ける。まだ上手く動かす事が出来ない体を無理矢理前へと突き
出す。
覚束ない足取りで行動したせいだろう。目の前にあった宝石の結晶へと頭
をぶつけ痛覚が刺激されて、漸く気が付く。
―― 痛い。 夢じゃないのか…。
ネットゲームで何度も使用した、〈転移クリスタル〉
何百、何千回とゲーム内キャラクターで触れた事のあるオブジェクト。
両手足の感覚を確かめるべく、拳を握ってみたり、飛び跳ねたりを繰り返
しては、夢ではなく現実である事を再認識する。
アテナ本人も驚くほど冷静に物事を把握していく。
周りでは人目も気にせず、困惑して声を上げる者や、嘆き叫ぶ者も見受け
られたからだろう。
他人に無様な姿を晒す事が大嫌いなアテナは、あんな風に成りたくない、
と至って冷静を装った。それが自分の心を保ち、不安な気持ちを少しばかり
ではあるが、打ち消してくれた。
一度でも弱い部分を見せてしまえば、弱者側に飲み込まれてしまいそうで
怖かった。そうなったら最後、立ち直るには他人の助力が必要となる。
だからこそ、こんな状況なのにパニックに成らない奴、そんな自分を創造
する。冷静沈着な自分を。
少なくとも格好悪いより格好良い方を選択したい。最善の選択をしたい。
「原因解明より、情報収集を優先した方がいいな…」
格好付けて独り言を呟く。ゲーム内チャットでなら、痛い奴扱いされるの
だろうが、今は自信を付ける効果を発揮し、自分が今何を考えているか、口
に出して冷静であるか確認も出来る。
思考を止めない。
常に何かを考える。
短時間で発見出来たのは装備の重量。それなりの重装備をしているにも関
わらず重みを感じない。そこらへんに転がった石ころを拾い上げてみると、
僅かながらも重量がある。またしても疑問だ。
(ここはゲームの中なのか、それとも異世界的な何かなのか…)
感覚があると云うことは実体があると云うこと。
しかし装備の件から考えれば、ゲーム内に閉じ込められた可能性も捨てき
れない。
兎にも角にも、まだ情報量が少なすぎる。足を進めて街を一望出来そうな
高台へと向かう。
踏み締める地面の感触、時々蹴り上げてしまって砂利が鳴らす音は現実世
界でも聞き慣れている物。ゲーム内ではこんな細かい仕様は存在していなか
った。
「やっぱり、ゲームの中っぽいんだけどなぁ…」
街の中に建築された時計塔。そこから街を見下ろすようにアテナは目の前
に広がる光景を
みて言葉を漏らす。自分を含め、視界に入る人間全てが鎧だったりローブだ
ったりとファンタジーゲームの格好をしている。
アクティブ人数が数十万にも及ぶ、大規模な国産オンラインゲーム〈ワー
ルド・リスタート〉で、初期キャラを作成した際に、強制的に送られる〈始
まりの街〉で間違いない。現在地の時計塔も、オブジェクトの一つとして記
憶してあったからこそ、真っ先に足を運んだのだ。
そもそも、自分はここに来るまで何をしていた。
ぼんやりと覚えているのは、友人とネット電話で通話しながら〈ワールド
・リスタート〉をプレイしていたはず。
丁度、定期メンテナンス作業が行われる曜日だった事もあって、運営側か
らサーバーが落とされるギリギリの時間まで狩場で粘っていた所までは思い
出せる。
突如として、知名度の無い運営会社がβテスト版を発表。最初こそ期待さ
れていなかったゲームだったが、始めてみると内容に夢中になるプレイヤー
が増加。気付いた頃には正式にサービスを開始して、今日に至るまでネット
ゲームの人気ランキングでは常に上位を保っていた。
プレイヤーの事も考えられてか、メンテナンスは毎週月曜日の朝五時から
行われており、仕事や学校から帰宅した頃にはサーバーが開いてある。バー
ジョンアップでの実装内容も毎回納得が良くような内容だった事もあり、あ
そこまで大規模なオンラインゲームにまで成長したのだろう。
アテナもプレイし始めてから数ヶ月と、経歴だけなら新参プレイヤー。
だが、飲み込みの早いアテナにとっては経歴など関係は無かった。
ネットのサイトから情報を集め、経験値の良い狩場や金策方法までも調べ
上げ、その知識から更に独自の考えを組み込む事により、β版から始めてい
た何人かの知り合いに追いつくまでに成長している。
各ギルドからも、期待の新人として目を付けられているほどに。
確認を終えると、時計塔を降り始めるアテナ。
知っている世界といえど、一人でいるのは流石に不安に感じる。未だに嘆
き続ける彼らの元へ向かうのは気が引けたが、こういう時は誰でも良いから
人を見たい。
「おい、あんた。何でここにいるか分かるか?帰り方は?夢なのかっ!?」
中級装備をした剣士が、初期装備の魔導師に縋り付いてパニックを起こし
ている。気持ちは分からなくも無いが――。
騒いだ所で解決はしない。アテナからすれば、あんな無様な姿を晒すくら
いなら、物陰に隠れて一人泣き崩れた方が何倍もマシに感じられた。
(この際、ゲーム世界でも異世界でも構わないや…。俺以外にも飛ばされて
きたみたいだけど、登録していたプレイヤー全員が該当するのか?んー…試
してみるか)
今何が出来て、何が出来ないのかを確かめたい。
近くの古ぼけた民家を見付けると、扉を開いてお邪魔させてもらう。香り
付けのオブジェクトなだけで、NPCが配置されていない家屋は何件も存在す
る。
誰も見ていない事を確認した後、少し躊躇するも悩んでいる状況ではない。
「…開け。…メニュー画面、オープン。………フレンドリスト!パーティリ
スト!所持品確認!!ログアウトォオオ!!!」
魔法の詠唱のように口に出してみるも悉く失敗に終わり、アテナに与えら
れた物は敗北感のみであった。誰も住んでいないはずの民家にも家具は設置
されているのは、ゲーム内ならではの仕様。そこら辺に置いてある椅子を引
き寄せて腰掛ける。
(…ゲームではオブジェクトは移動させれなかったけど、今は出来るのか…。
認めたく無いけど、今の俺にとってここが現実世界なんだろう…)
手の平に視線を向けて、指を動かしても違和感がない。
モニター越しにプレイしていた時であれば、この指がクリックして決定ボ
タンの役割を果たしてくれるのに。そう考えながら右手の人差し指を意識し
ながら動かしてみる。
「おぉ、ビンゴ…みたいだな。…これは、喜んでいいのか?」
上から下へ、宙をなぞる様に動かしてみると、見慣れたメニュー画面が表
示され、下から上の場合は、何事も無かったかのようにメニュー画面が閉じ
られる。
色々弄ってみて発覚した事は、所持品や金銭などは自分自身のキャラクタ
ーが所持していた物で間違い。ステータス数値も間違いなく自分の物だ。
(いつ、元の世界に戻れるか分かったもんじゃないし、レベルも高い方が何
かと有利なのは確かだろうな。レベルも…大丈夫そうだ)
〈ワールド・リスタート〉の世界では、キャラクターのレベル上限の決ま
ったRPG。
現在の上限は百二十。プレイ時間で左右されるが、約一年もプレイしてい
れば上限に達する事は出来る。それ故にレベルが高いからと自慢出来るよう
なものではなく、強さを求めるのであれば、スキルレベルまで上げる必要性
があるのだ。
高レベルになるに連れて、スキルレベルは重要な役割は果たし、技の成功
率やスキル自体の威力も上昇させる事が可能となる。
同レベルであっても、スキルをどれだけ極めているかによって強さが異な
るのも面白さの一つとしてプレイヤーから評価されていた。
アテナの選んだ職業は〈剣闘士〉、状況次第で剣で攻撃、盾で防御をする
バランスの取れた職業。他にもパーティの壁役として高い耐久力と防御力を
持つ職業や、近接、或いは遠距離からの物理攻撃を得意とする職業。攻撃魔
法の得意な職業もあれば、パーティ全体を支える回復役の職業なども存在す
る。その中から自由にスキルを伸ばせるとなれば、組み合わせは無数。
更には、非戦闘職のサポート職業も一つ選べるのだから人気が出るのも頷
ける。戦闘を楽しむも、サポート職で金策するも自由の世界。
〈剣闘士〉は戦況に合わせて、前進したり後退したりと仕事の多い職業だ
が、だからこそ遣り甲斐があるのだと選択するプレイヤーも少なくはない。
壁役や回復役のような、パーティに絶対必要な存在ではないものの、プレ
イスキルによっては誰よりも目立つ事が出来る最高の職業とも呼べる。
(壁役が耐え切れそうに無かったら、俺が援護。攻撃力が足りなさそうだっ
たら全力で攻撃に参加する…。誰にも気付かれずにパーティ支えるのって気
分良かったし)
パーティと云えば、意識が飛ぶ前まで友人と一緒に狩りをしていたはず。
パーティリストを開いてみると、アテナの名前と職業、レベル、現在地しか
表示されておらず肩を落としそうになる。
(いや、待てよ…強制的に解散させられた可能性も捨てきれないな)
〈ワールド・リスタート〉の仕様では、パーティを組んだ状態でログアウ
トした場合、自動では解散される機能は無く、メンバーの名前が灰色へと変
色するのみである事を思い出す。
慌ててフレンドリストを表示してみると、半数以上がログアウト状態の灰
色になっているが、もう何人かはログイン中を知らせる緑色に点滅している
ではないか。
こちらの世界に飛ばされて、初めて安堵して溜め息を吐き出す。
フレンドリストに登録されてある相手には、こちらから自由にチャットを
送る事が出来る。――が、ここではチャットはどうすれば良いのか。
普段ならばキーボード入力して、クリックすれば送信されるのだが。
「………物は試しって言うし、やってみますか」
数人の知り合いがいる。
誰を選択するか悩むんでいる最中、何も触ってもいないにも関わらず、突
然鳴り響く効果音に一瞬心臓が活動を停止。落ち着きを取り戻しながら表示
された画面を確かめると、そこには友人の名前が表記されている。
嬉しさのあまりニヤけるのを我慢しつつ、アテナは画面へと指を伸ばす。