二羽のウサギ(後編)
次の日もゴールデンウイークにも関わらず学校に強制労働に来させられる。それでも自然と外装班のメンバーと毎日顔を合わせながらの作業は初日ほど辛くはなくなっていた。その日も昨日の四人で屋上で作業を続けていた。岡島さんたちは竹の小枝的なところを処理してくれると言ってくれたのでそのままそれをお願いして、海音と澪は昨日、灰色に着色したお墓風発泡スチロールに〜〜家ノ墓と刻み込もうと言うことになり、竹取物語のあのお爺さんはどういう名前なのだろうと字を下書きする前に大きな問題が立ちはだかる。竹取の翁だと言い張る海音と讃岐の造と言い張る澪は古典の教科書を片手にお互いに一歩も引かない。
「絶対、讃岐の造だって!!」
「いやあ竹取の翁って言ってた気がする」
「いやいや文系の私が言ってるんだから!!」
「えーじゃあ間違えてたらアイスな〜!」
とあまり自信がない海音は自信満々の澪が間違ったら面白いなと思って提案してみる。
「分かった!!じゃあ海音のスマホで答え調べてよ!!」
と単純な澪は勝負に乗ってきた。ここ最近はスマホは海音の手元にあるものの機内モードですらなくほぼ常に電源を切っていた。そうすることで揺らいでいる自分をなんとか保っていたのだった。
「えっとね…無理なんだよね…」
とやんわりそれを伝える。察しのいい澪は多分理解してそれには触れずに隣のベンチで作業中の岡島さんたちに
「岡島さん!!どう思う??」
と少しぎこちなく話しかける。
「え〜確か讃岐の造だった気が…」
と海音に申し訳なさそうに言うと
「ほーら!!言ったじゃん!!」
得意げに岡島さんの方から海音の方へと振り返りながら鼻を高くして
「ジュースな!!ジュース!えっとな、コーラな!!」
と海音の背中をバンバンと叩きながらジュースをねだる。
「なんでコーラなんだよ!!もっと女子っぽいの飲めや!!」
とその腕をはねのけながら言った。瞬時にその手をグーに変え
「余計なお世話だよ!!」
とパンチする。それでも前より威力は弱くなっている気がする。
「んじゃ…買ってくるわ!」
と海音がポケットから財布を取り出しながら言うと
「私も行く!!」
と澪がぴーんと手を上げて宣言する。
「いや!しっかり買ってくるからだいじょぶだよ!」
と遠慮でもない遠慮をするが
「ぜーったいシェイクするからやだ!」
と全くもって考えていなかった言いがかりにむしろ驚いて
「やんないって!!」
と少し呆れながら言った。
「信用出来ない!!」
としつこく食い下がるので
「あぁーもう分かったよ!」
と早々に白旗を上げ、ドアを開けたまま澪が通るのを待つ。ツッパリ棒のようにドアのフレームの下にアーチを作り、そこを澪が
「………」
と何も言わずに顔すら伏せてくぐり抜けて行く。そのまま後ろを振り向かずにスタスタ先に進む澪を
「まったく…」
とため息混じりに呟く。近頃の澪は不自然に素直になったり、それでいて前よりトゲトゲしくなったりそのプラスとマイナスの振れ幅がまったく訳がわからない、と頭にサッと浮かぶが置いていかれる前にとりあえず少し駆け足で追いかけることにした。
ゴールデンウイークが終わり、通常日程に戻るとまず使える時間の差を感じる。授業中にやるわけにはいかないし、クラスのパフォーマンスの用意もあり、あっという間に文化祭前の一週間前の優先期間に入ってしまった。この一週間は午前授業で午後から自由に作業が出来る五日間である。外装はさすがに優先期間初日に使用する教室が発表される前から装飾するわけにはいかないという理由があったので今まではただひたすら装飾という名のパズルの小道具という名のピースを組み立てていたに過ぎない訳である。まあ実際は実行委員から裏情報が回っていたらしいが……。しかし今日の昼休みの放送でB棟の三階の一番奥の向かいに位置する二教室に決まったらしい。そこの教室は毎年、お化け屋敷のクラスの取り合いになる、競争率の高い人気のスポットであった。どんな裏ワザを使ったのか見当もつかなかったが、きっと沙也加辺りが頑張ってくれたのだろう。どんな青葉生でも否が応でもやる気が湧いてくるような展開でなり、G組では大きな歓声が起こった。ちなみに上位クラスのC組ではガッツポーズ程度もなくただ平然と聞き流すのみだったとのことだった。それを聞いた仁はやっぱ頭いいやつは違うのかな…さすが大人だ!と神を見るような畏敬の眼差しを向けていた。その日の放課後から毎日、壁に装飾の取り付けがなされる。一日一日作業が終わるたびに作業していた場所を見ると少しずつ少しずつ完成へと近づいていく、その感じが達成感をじわじわと炙り出して誰かに自慢したい気分になった。
その日は内装班によって二つの教室の奥側に位置するドアとドアを繋げるための敷居が建てられ、外装班の活動スペースがそれぞれの教室の唯一の出入り口のところまで押し出されてしまった。それでは他の人の出入りを妨げてしまうとのことから移動することになった。しかし待合室の中央に設置するお墓の装飾をしていた海音と澪は床と既に接着していて今さら動かすことなど出来ない。よってその二人を置いて他のメンバーは屋上で作業をすることになった。若干、莉乃が留まりたげな顔をしていたが最終的には恵に引っ張っていかれた。
「….よし、続きやるか!」
と海音が続きを促すと
「…そうだな!」
ともう一度マジックを持ち直す。何をしているかと言うと、この間決定した翁の名前を書く作業だ。じゃんけんで負けた澪がガチガチになりながらマジックのペンのキャップを抜き取る。
「丁寧にいけよ!!」
と茶化すというよりは一緒に戦うという姿勢を見せる海音、それもそのはずその墓にこれまでどれだけの時間をかけてきたか一番分かっているのは二人だからである。一度、目をぎゅーと瞑り
「よし!」
と決心したようにペン先を凝視する。灰色の壁面にペン先を触れさせると勢いに任せて一気に書き上げる。あっという間の出来事過ぎてうまく言葉が出てこない。
「…。んー少し傾いちゃったかな?」
と納得のいかないように頬を膨らましている。
「え?普通に上手いじゃん!」
と全くもってお世辞ではなく素直に褒め称える。
「まあ…このくらいいいか!よし!次いこう、次!」
と海音の言葉は右耳から左耳へと流れ出ているように見える。床に置いてあったハサミとカッターのうちカッターを手渡し、ハサミを右手に持ち直す。
「じゃあ俺は上からいくから澪は下からね!」
と一応提案してみるが
「いやいや、一気に上からやってった方が良くないか!」
と不思議なこだわりがここでも顔出し
「んじゃそれでいこ!」
と海音は讃の左から掘り始めた。外からの見た目には相当地味に写っているだろうが実際、やってみるとなかなかな集中力とスピードが大事だった。早く刃を動かさないと断面がギザギザになり、とても不恰好になってしまう。刃先に全神経を注ぎ込んでいると
「…ごん」
と鈍い音が聞こえるほんの少し前に頭に痛みが走る。
「痛ってぇ〜」「……いったぁ…」
と同時に声を上げ、空いている方の手で頭を抑える。
「いや〜これは痛すぎるって!!お前、石頭すぎだろ!!なんか目がチカチカするし!」
とあまりの衝撃でクラクラする目をつぶって目頭を抑える。それに比べてそんなに痛くなさそうな澪は
「しょうがないだろ、生まれつきなんだから!!てか私は当たりにいったわけでは断じてない!!」
と全然申し訳なさそうにしていない。
「まったく…保健室で氷嚢貰ってくるわ…」
そう言って座り込んでいた体を反転させてもう一度立ち上がる。ところがそこにはさっきまではなかった壁が立ちはだかっている。高くそびえ立つベルリンの壁とは……違ってネズミ一匹くらいなら簡単に通り抜けられそうな隙間があるものの人間に乗り越えることは難しそうだった。後で聞いた話によると座り込んで作業していた二人に気づかずに中で余った段ボールを外に積み上げ、一夜もしないうちに壁が出来ていたらしい。そんなこと知らない二人はおーい!と呼びかけるが中では内装班が声を張り上げ、通路を作っているためまったく聞こえていないらしかった。元々お化け屋敷をするために用意していたのだから光が堂々と入ってくる窓など借りてきた暗幕で覆われていて僅かな光が差し込んでくるくらいである。
「…さっきまで俺らよくこんな中でやってたな…」
と自分たちの集中力に驚く。周りがよく見えない、一度目を閉じるとまた暗闇に慣れるのに少し時間がいりそうである。すると暗くてお互いの顔が見えにくなって気が大きくなったのか、怖くて不安になったのかはわからないが
「…海音はさー、今もその人のこと好きなのか?」
と色んな感情が混ざり合った声で聞いてくる。それに戸惑いつつも
「…うーん」
と十秒ほどの沈黙が続き、自分から
「…いや、自分がよくわからない。自分のことは自分が一番分かって当然なはずなのにな…」
と改めて言い直すと
「そっか…」
とつぶやき
「今日は帰り、寄りたいところがある。一緒に来てくれるか??」
と言った。海音は何も言うことなく頷いた。暗闇で見えていないかもしれなかったが空気で伝わった気がした。
「…ごぞごそ」
と壁の方から音がして壁があちら側に突如崩れていく。どうやらやっとレスキュー隊が到着したようだ。
「あれ?海音じゃん?」
「なんでこんなとこいんの?」
「てかなにやってたん??」
としきりに聞かれるが言いたくない海音は
「なんでもない!」
とどう聞いても、誰が聞いてもなんでもないようには聞こえないワードを残して一人階段を降りていった。
門の横でスマホをいじることなく、通りすがる人を眺めながらボーとしていると
「…お待たせ。それじゃいくよ」
いつもみたいにツンツンするわけではなくかと言って黙って殴ってくるわけでもない。いつもと髪型が違うせいか、どこかいつもと雰囲気が違い、澪とは正反対だと思っていた女子っぽいところを垣間見る。二人はそのまま何も話すことなく、海音の少し前を澪が歩き、駅の帰り道の途中で脇の農道に逸れていく。
「…ねえ!澪!どこ行くつもりなん?」
すると前を向いたまま
「まあまあ!すぐだし、行けばわかるよ」
と珍しく分かりやすく優しく返す。その振り返った笑顔を見つめながら澪がいる川の堤防の階段を上がるとキラキラ輝いている黄色が一気に視界に飛び込んでくる。
「これ…どうしたの??」
と驚きを隠せない。
「前、好きな花なに?って聞いた時にひまわりが好きって言ってたじゃん?こないだ寄り道したらたまたま見つけたんだ!」
と見せてくれた経緯は話すがなぜ見せてくれたかは話さない。そこが彼女らしい優しさなのだろう。
「私は…」
と言い出し、一度下を向いて呼吸を整える。
「海音のために何かしたい。でも私が出来ることなんて限られてると思う。」
足元を見ていた澪は少しずつ顔を上げる。
「だけど私はこんなにいい笑顔する人初めて見たの。自分でも暗いって思う私のことを太陽みたいに照らしてくれた。そのおかげで私の中の何かが少しずつ変わってきてる気がする。」
と一度左一面に広がるひまわりを眺めてから海音の目を見つめる。
「あなたに悲しい顔なんて似合わないよ。もっと上向いて、胸張って、また明るくて眩しいくらいの笑顔、見してよ。私は…それだけでいい、あなたが…いや海音が海音らしくいてくれたらそれだけでいい。もうなんにもいらないから。」
と決意に満ちた目でそれを丁寧に言葉にしていく。逆に海音は言葉を探しても頭が真っ白になって出るに出てこない。
「あ、あのさ….」
と言うと急に澪が
「今はなにも言うな!ここで泣きたくはない!これは………これは…んー…私がしたくてしたことだ!えっと…うん、終わり!もうおしまい!」
と海音はまだ何も言っていないのにそれを遮る。
「…うん」
と頷くとなぜか視界がぼやけていく。手を伸ばしてこすってみると濡れていた。泣いている意識なんてまるでなかったのに自然に溢れ出てくる。澪は海音の背中をさすって
「男の子だろ?そんな簡単に泣くな!あほ!」
とバンッと叩く。自分が今、どんな顔をしているのかわからなかった……が今はそんなこと気にしてはいなかった。サッとひまわりも堤防も青い空も夏の積乱雲も何もかもが消えて、いつかの真っ白な異次元空間に来たように感じる。でも反芻している時のように一人ではなかった。それを共有する人がいた。もう寂しくなんかなかった。
「明日、文化祭だな!楽しみだな!!」
と澪の方がひまわりみたいな笑顔を見せる。お互いさっきのことには触れずにひまわり畑を背に川に沿って駅へと歩き出した。