上手なお餅の焼き方(後編)
「ぴーんぽーんぱーんぽーん」とお決まりの店内アナウンス前に流れる曲が海音の肩をしきりに叩く。
「本日はホームセンターK2小山北店にお越しいただき誠にありがとうございます。ご来店中のお客様に迷子のお知らせを致します。青葉高校からお越しの伊藤仁様、伊藤仁様。お連れの方がお待ちです。一階、カスタマーセンターまでお越しくださいませ。本日もご来店誠にありがとうございます。」
「ん?」
と海音は今、聞いたことのある名前が放送された気がした。それと同時に澪と目が合い、もう一度考え直してみる
「なあ澪!今さあ…もしかして、もしかしてだけとさ、青葉高校って言わなかった??」
と澪にも一応確認すると
「もしかしてじゃなくてはっきり言ったな!呼ばれたのはいとう………仁じゃなかった??」
やっぱり聞き間違いではなかったか…と頭をかくが
「高校生にもなるんだし…ねえ…」
「大丈夫だろ!それより早く残りのペンキも見つけるぞ!」
「まあそーだな!さっさと片付けて一番乗りしよー!!」
とまるでなかったことのごとく一度は右耳から入り込み、脳内に留まったものの左耳から強引に抜き取ってポイ捨てしてしまう。一方その時、恵と光流はどっちの商品にするかで揉めており…いや恵が一度に三発の攻撃を繰り出し、光流が小さな…しかしスジの通った一発を返すと強さが倍になって三発返ってくる。判定で言ったら正当性も含めて五分五分だが、たまたまそのタイミングを見た人々は彼女にいじめられている彼氏というように彼らの目には映るだろう。そんなこんなで約束の時間に仁を除く五人が集まると仁と莉乃に頼んだ商品は一つもかごには入っていない。
「ごめんなさい…仁くん、探してて」
と莉乃は謝ると光流は気を使ってるのが分かりやすいくらいオドオドしながら
「まあそう気にしないで!!気楽に行こうよ!!」
と励ますが莉乃の耳にはまったく届いてはいない。すると後ろから足音が聞こえ振り返ると仁がかごを持って立っている。その右手に持ち上げられているかごには頼まれたものがしっかり入っているではないか!!……まあ花火のお買い得セット二束とお菓子の山と二リットルのジュースを除けばという話だか……やけに機嫌の良さそうな仁は
「いやさあこの後、作業終わったら花火したいなあって思って花火取りに行ってそしたら近くに一つ目に頼まれてたのあってお菓子とジュースも食べたいって取りに行ったらまた近くで発見してさあ!!俺なんか今日、ついてね!!」
と自信満々に自慢してきたので莉乃の顔を伺いつつ、笑っていいものかと迷うが…仁ならしょうがないという諦めをとっくに通り越して少しウケ始めていたので、周りを気兼ねすることなく思う存分笑った。
「伊藤くん、高校生にもなって迷子のアナウンスって!面白すぎ!」
「運ありすぎだろ!」
「てか、そのドヤ顔ムカつく〜!」
と口々にいじりや文句が飛び交い
「よし!じゃあ仁の私物以外は俺のかごに、仁は自分で買ってこい!」
と財布を取り出しながら海音が言うと
「え〜これ予算で落ちないの!?落ちると思ったからこんなに買ったのに〜」
と半ば本人は大真面目でそんなことを主張する。
「出るわけないでしょ!!」
と今日、二十分間だけの相棒は裏切った仲間に容赦はせずにぶった切る。海音は他のメンバーは先に出てているように指示を出し、同じレジに並ぶ仁に
「実は予算からお金が………」
とミリオネア風のみのもんた風に言うと仁は海音の口を手で強引に引っ張り、出ると言わせようと必死にその口の形を作る。しかし口の形がどうだろうが声は出せるので
「残念…でした!出ませーん」
と口で言いつつも文化祭関係の会計を終えた海音は仁のかごから飴の袋を一つ取り出し、レジに差し出した。
「え?まじ?海音、サンキュー!!」
と誰だか分からない芸人のモノマネをする。
「お、おう。てか…その芸人だれ??」
と聞いて欲しそうだったので聞いてみると
「よくぞ聞いてくださった!これはな、朝のZIPでこないだやってたネタなんだよ!!面白いだろ?」
と鼻を高くしながら、お菓子たちを袋に詰める。
「んーもっと面白いのいるんじゃない?」
と面白みの欠片も感じないその芸に辛辣な意見を飛ばすと
「馬鹿野郎!これからブレイクするんだぞ、きっと、おそらく!!」
と絶対の自信を見せる。そして先ほど仁のかごから買い上げた飴を仁も含めた五人に時計回りに選ばせる。すると予想通り仁は一個しか取ってないという顔とスピードで五、六個を鷲掴みでポケットへと運ぼうとするが仁がチラッと海音を見て二方向からの視線は重なり、レーザビームに当てられたようなダメージでビクッと動きが止まる。
「仁くーーーん??」
と満面の笑みで見つめると今日は珍しくブーブー言わずに元々貰うはずだった一つを残してその他の飴を返却した。ご褒美に一個オマケしてやろうと思ったが
「海音、お前の笑顔はぎこちなさすぎて、もはやそのままノーメイクでお化け屋敷に存在できるぞ!」
と飴を貰って少し機嫌がいい澪が気分に水を差したのでそんな考えはたちまち消え失せた。
「やかましいわ!つかマジな笑顔じゃないわ!」
と不平を言いつつ、誰からというわけでもなく帰り始める。ちゃんと学校残留組もしっかりやってるかなと少し心配になったがこちらの雰囲気が一体感を増しすぎてそんな不安を根こそぎ吹き飛ばしてしまった。
学校に到着すると彼らは彼らで発泡スチロールからダンボールまでの資材を会議室に運び込んでいた。
「ただいまー!!」
と莉乃と恵が明るく声をかけるときっと学校を隅から隅まで何往復もしたのだろう、目に見えて憔悴しきっている。
「お、おかえり」
と一見、チャラそうだが実は真面目な康は律儀に返事を返す。
「じゃあこれ、レシートね!」
と外装班の会計係を担当する水無さんに手渡す。水無さんと呼ぶたびに麗奈って呼んでよと言われるが海音には雲の上の存在で敷居が高すぎて呼べるはずもない。申し訳ないとは心底思うがそんな簡単に呼び方を変えられたらこんなに苦労しないよ、心の中でつぶやく。でも憧れにも近かった水無さ…いや麗奈さんは今まで話す機会もなかったおかげというかなんでも完璧に見える芸能人のように見えていた。でも文化祭を通して話せば話すほど人間として厚みが薄れ、自分の中で彼女のカラーが濃くなることはなかった。海音がもっと器用だったらいい雰囲気に持っていくのだろうがあいにくそんな技術は持ち合わせていない。なんか魅力が半減して失望感しかないとクラスの面々にこぼすと贅沢だと首を締められる。俺は贅沢なのだろうかと自問自答する。きっと彼女より澪の方が友達も少ないし、顔の作りも派手ではない。だけど彼女の方がよっぽど人間として面白いと思った。でもそこでなんで澪が出てくるのかは自分に聞いても答えは出なかった。こんな美人を前にして今、思っている、この違和感は消えることなく増大していく。何か悪い気もしたが笑顔の水無さんに特に反応することなく出来るだけ静かに会議室をあとにした。そのため残された教室ではその数秒後に
「あのさ、海音くん!このレシートなんだけど………あれ?」
と麗奈が海音の残像に話しかける羽目になっていた。
一日の材料集めも終わり、荷物が置いてある教室に戻る途中でふと窓から空を見上げると雨がポツポツ降り始めている。残念だかこの後やる予定だった仁たちとの花火は明日に繰り越すことにして、傘を片手に雨が強くなる前に帰ろうと階段を駆け下りた。すると昇降口の屋根の下には澪が立っていた。
「よっ。おつかれ〜。………どうした?早く帰んないとすぐ暗くなるよ?」
と海音が話しかけると澪は
「うん…まあ…覚悟をね」
と仏頂面で答えた。まだ覚えたての彼女の暗号を解読してみる。合ってる自信は無かったが一応
「…あのーもしかして傘、忘れたの??」
と答えを聞くまでもなく傘に入れてやるつもりで横に立ってみると
「うん、タオルを被って走ろうかと思ってた。なんか…うん、ありがとう。」
どこで判断したという理由はないがなんとなく彼女の素直な気持ちを聞いた気がした。強いて理由を挙げるなら目が段ボールの中の捨て犬と同じ目を感じた。
「お、おう!」
とそう言われてこっちまでなぜだか固くなってしまう、澪のせいだ。どちらからともなく屋根のある中庭へ歩きだし門に向かって右に曲がる。その時、二人の距離感が変わったせいかお互いの手が近づく。そしてパシッとぶつかり合いお互いに
「っ!」
と意識しないうちに声でもない声が出てしまった。声が被ったことも、雨で涼しいを越えて寒くなっている右手は彼女の左手の体温を少し奪った。門を出る前に傘をさして二人の距離はさらに縮まる。奪った体温のせいか体が妙に熱くなった。顔にも出ているであろう赤みをどうにか澪に見られないように顔を伏せた。隣の澪は濡れないように海音に寄ってくるものの、海音と目が合うことはなかった。二人とも顔は見ないもののお互いの雰囲気を心の目で確かに感じつつ、歩く。そんな二人を通りがかるお店のショーウィンドウはまるで恋人のように映し出し、道路に広がる水たまりは二人の距離を正確に映し出した。すると何か、タイミングを見計らったようにふっと顔をあげた澪は
「あ…あのさー、うん、海音はさ、かの………じょとかはさ…いるのか?」
と今、一番したい質問を澪はする、その質問は海音とって一番されたくない質問というお互い真逆の感情を持ちながらその質問に向き合う。
「……俺は…」
と一呼吸置いて
「付き合ってるつもりだった人はいる…ただ実際、今その人とどういう関係と言えるのかわからない…というか……………今、どうなってんのか、俺が知りたい」
と傘からはみ出た左肩はびしょ濡れで右肩と比べると青いシャツがお店のウィンドウでポーズをきめてるマネキンとお揃いのツートンカラーに見えた。それはもうどっちが元の色かも分からなくなり、左胸は吸い付く暗いシャツに負けじと波打った。
「……そっか…辛いんだな………じゃあ…うん、話題を変えよう。えーと…じゃ、好きって、どういうことを??」
とさらに追求はせずにあえてそこを放置して新たな話題を振った。その優しさにここ最近の心の黒さを洗い流されている気がして、嫉妬心から嫌な想像で渦巻く心を意識的なのか無意識なのか包み込んでくれている感じがした。
「好き…か…自分とか〜自分の持ってる全てのものを捨ててでも守りたい人に対しての感情かな……って思ってた」
と後で聞いたら恥ずかしいくらいに真剣に答える。澪はそれを一度自分にしか聞こえないくらい小さな声で復唱した。
「….そーか、それだったら私はお前のために出来ることやってみたい。出来ることなら変わりたい。まあどう変わるか、どう変わればいいかはわかんないけどね〜」
と澪は初めてこちらに顔を向けて綺麗な笑顔で言った。その笑顔は綺麗だった。どす黒い空とそこから仕切りに傘を叩く雨の中で一段と輝いて見えた。道端の無表情なアスファルトから這い出たタンポポ、雨に負けず必死に耐えるタンポポ、そんな姿がふと重なった。駅にたどり着くとよく分からないがいきなり
「ありがとう!」
と言ってタオルを貸してくれた。そして少し走り出すとまたこっちを向いて
「風邪引くなよ!!てか多分、メールする!…いや保証はしないけど。まあそれまで頑張って生きてろよ!」
と勝手に心配している澪を見て、自分をこんなに心配してくれる人がまだいたのかと思った。でもまさか澪にこんなことを言われるとは思ってもみなかった。意外だった。どこか本能的に彼女の棘は引っ込められ、そして自分に刺さっている棘を抜いてくれそうな気がした。
「…分かったよ!あー…また明日な」
と照れ隠しで仏頂面を決め込み、手も振らずに見送る。階段をダラダラ降りて一人で電車に乗り込み、ポケットからスマホを取り出す。予想はしていたが期待していた……LINEは今日も来てはいなかった。ふぅーとため息が無意識に燃料漏れのように流れ出て、あっという間にロードサービスを呼ぶほどの重傷になる。俺って単純すぎだな…とまた気持ちが沈みかけたその瞬間、ぶるるるとバイブレーションが鳴ってメールが来たことを知らせる。気になって開いてみると
「まだ生きてるか?みお」
と書かれていた。たかが数行のメールなのに…空っぽの心に何かあったかいものが流れ込むのを感じた。それは次第に水位をあげて溢れ出した。本当にありがとうと心の中で何回も言っているうちに必死に堪えるが涙が表面張力の限界を越えて目から溢れ出る。俺は今、誰を世界中で一番大切に思っているのだろう。なぜ人は誰にも教えられてもいないのにそのときめきを恋と呼べるのだろう。自分の今まで抱えていた誰かへの気持ちや恋に対しての概念が大きく根本的なところから揺らいでいるのが揺れている自分でも分かった。でもそれが苦しいとは全く思わなかった。なぜ澪はこんなにも的確に俺の胸の穴を埋めてくれるのだろう、どうして埋めることが出来るのだろう。でもこの先、この穴が残り続けたら他のどんなものでどう埋めていいのか自分でも分からなかった。この孤独感はどんなものでも埋められるとは思わない。しかし埋めないと苦しくて苦しくて仕方がないのだ。一度味わった幸せはそれがどんなに美しく誰もが羨ましい思い出でもそれが過ぎ去ってそれでも忘れきれずに反芻して生きている、コピーの劣化版の恋は決してリアルの恋には敵わない、……というか敵うはずもない。でも俺の一度味わった幸せの大きさだけ空いた穴は過去の思い出と忙しく動き回る日々の充実感、…あとは澪に頼ることでもう埋まったつもりだった。これで済んだものだと思っていた。まだ自分の周りには自分の知らない感情が自分の心の中には潜在的にたくさん溢れていて、それが何なのか理解するにはもう少し大人になる必要があったのかもしれない。自らを取り巻く感情について、彼女について、恋とは何かについて、俺自身の気持ちについて…もっと…もっと…知りたいと思った。向き合うものの存在を知った日曜日の夜だった。