機内モード(後編)
「なににやにやしてんの?なんかいいことあったの??」
と莉乃に指摘を受け、今、どんな顔をしてたんだろうと自己分析も出来ていなかったが
「いや〜なんか〜おもしろいなと思って〜」
と誤摩化しているうちにその視線はふいっと元に戻ってしまう。
「え〜それでは第一回合同会議、始めます!」
といかにも真面目でリーダーシップがありそうな頭の良さそうな男の子が仕切り直して
「ではまず自己紹介から始めましょうか?」
とそのまま自ら自己紹介をして会議室にさっきまでのふわふわした空気感を一気にフリーズドライされたようにピーンと張り詰める。さすが上位クラスのまとめ役とあって近藤君はハイスペックでとても同い年には思えなかった。次々に立っては一言話して一礼して座る、そんな波が徐々に自分のところへと押し寄せてくる。クラスの時とは雰囲気が違いすぎてギャグなんてとてもじゃないけど言える空気ではない。とりあえず当たり障りのないようなことを言ってお情けのような拍手をもらう。
「では、最初にコンセプト…というかお化け屋敷ということでテーマから決めていきたいと思います。」
とリーダーの指示に朝早くから活発な議論が展開される。うちの、青葉高校では文化祭の企画では学習的観点や文化的視点…つまりただやりたいことをやれるわけではなく、例えばポップコーンを売りたかったらその歴史から産地、そして自分たちでその豆を育てるなどしてとったデータを校長の前でプレゼンし、許可されたらそれをを販売する教室の展示しなくてはならない。要するに総合的な学習の一環としての文化祭なのだ。毎年、生徒会に立候補するものがこれをなくすことを公約として掲げるが校長権限を行使され、生徒からの評価は最悪な悪法はそうして残っている。結局、今回のお化け屋敷は歴史的観点を全面に押し出していくことに決定し、こないだ国語でやった竹取物語風にすることが決まった。朝のホームルームの始まる時間まではまだ少し時間があったがクラスに帰って人員整理をしないと使える人も少ないので今日は一旦ここまでにしようということになった。次回はテストの終わった後のゴールデンウィークの間に集まり、用意をしようとスケジュールを決めた解散となった。席を立つとその近藤君が
「一応連絡先交換しとかないか?」
と教室に戻ろうとしていた海音に問いかけると隣にいた千尋が
「この際LINEでグループ作っちゃおうよ!」
とその小さな身体のどこにそんなエネルギーがあるのか理解出来ないが、朝からなんでそんなに元気なのかというくらいのテンションで海音の答えを待つまでもなく答える。
「これ私の!」
「僕のも入れといて!!」
「とりあえず名前は何でもいいでしょ?」
「じゃあとりあえず当分はこれで連絡取り合う感じで!」
と言っている間に一人だけ会議室から出て行く背中が目に入る。
「みお?」
と呟き、周りを確認するがそれと自分をを除いた八人しかいない。「も〜しょうがないな〜」とため息を一つ漏らしてから彼女を追いかけた。丁度階段を昇るところの澪を見つけ、
「み〜お!LINEのグループ入んなくていいの??」
と尋ねるとまたぼそっと
「私、スマホじゃないし…別に会議のときだけしっかり聞いてれば大丈夫でしょ?」
と少し伏し目な感じで答えた。どこがそう感じさせたかは定かではないが素直じゃない感じがして逆に人間味が増し、澪という色が濃く、より濃く、より鮮明に心に刻まれたようだった。
「だったらさ、LINEの中で決まったこと俺が連絡してあげるからメアド教えてよ!」
とてを差し伸べたつもりが、
「…みんなにそんなことやってるのか?」
と一気に心の距離を置かれてしまったので急いで
「…いやいや……そーゆーわけではなくて…いや…なんか…ごめん!」
と弁解する。それでも怪訝そうな顔つきのままの彼女は
「…本当か?嘘だったら……駆逐するよ?」
とひそかに怖いことを言い放つ。それでも一向にメアドを開示してくれる様子はなく
「ねーえー!メアドくれませんかね〜〜?」
と催促しても「ケータイ嫌いだからやだ」だの「まだお前のこと信用してはいない」だの理由をつけて自分のケータイを取り出す気配すら感じない。
「わかったよ〜!はい、じゃあこれ、俺のね!気が向いたら送信して!!」
「…お、うん…気が向いたらな…」
とカミカミの台詞を残して階段を駆け上がっていってしまった。「今日中にくるかな…てかなんでこんなこと考えてんだろ」と考えつつ彼女が何秒か前に通った道を昇っていく。今の楽しい時間と今はまだ小さい不安の塊が心の中に渦巻きを生み出し、自分が良く分からなくなってきた。この重く、どす黒いものが時を追う毎に胸の中の自我と理性のバランスを崩そうとしていた。
テスト前一週間ということもあって普段あまり顔を出さない自習室と職員室にも仕方なく顔を出し、校門を出る時には今日も左手についているお気に入りの腕時計は九時をちょっと過ぎたあたりを指していた。朝も通った道を朝の逆再生するようになぞっていく。空を見上げると夏の大三角が夏の空に堂々と居座っていた。左上のデネブの白く神々しい光りがここから光源までの距離をまったく感じさせず海音の目の深いところまで焼き付ける。デネブも構成するはくちょう座は今にも飛び立ち……いやもうすでに大きい翼を広げ、真っ黒な空間へと自由に飛び回っている。下りの電車の七人掛けの椅子の端っこに座った海音はふぅ〜と一息つき、ポケットからスマホを取り出した。最近はケータイを機内モードにはしない。以前からよく電池残量を減らしにくい裏技として紹介されている方法で海音はほぼ常に機内モードにして極力電池が減らないようにしていた。でもそれはそのとき自分に流れてくるはずの情報もストップする代償を払っている。電池と情報とどちらが大事かは人それぞれだが、なかなか会うことのできない大切な人が出来てからは簡単に合理性だけでは選択出来なくなった。いつからだろう…、こんなに弱くなったのは…と思うほど最近はふと気づくと未来の言葉を…声を……出来ることならば…姿を…欲している。だから最近はケータイを機内モードにはしない。三週間前に送った自分から彼女へのメッセージをまるで自分から自分へと書いた未来への手紙のように読み返し、また深いため息が漏れる。心が埋まっている身体の深いところへと穴が刳り貫かれ、その穴が徐々に大きくなっている気がした。何度見ても結果は変わらないだろうと認識しつつ、彼女とのトーク画面に既読の文字を探した。もう何日も目の前に座る疲れきったサラリーマンのルーチンワークのように繰り返しているが、開く度に浮かぶ淡い期待が一瞬にして真っ黒といっても違和感がないくらいの濃いブルーな波に洗われ、黒く…どす黒く染まっていく。その色が濃さを増す度に胸の肉が抉り取られ、穴の深さも広さを進行しているように思えた。
「次は〜……」
降りなくてはならない脅迫文が鳴り響くが、脱力感が心の大半を埋め尽くし立ち上がるに立ち上がれない。少し前までは明日新しいメッセージが届くだろうという高揚感で寝るに寝れなかったものだが今はそもそも新しい一日を始める気力も湧いてはこなかった。最後の力を振り絞ってどうにか電車のドアをすり抜け、今の海音には高すぎる階段を見上げる。近くの大学の学生や会社員ともすれ違うがまるで透明人間のごとく自分のことが視界に入っていないようで、その時瞬間的に感じた独特の浮遊感が自分をこの世から消失させたかと錯覚させる。自分の信じていたものが足下から崩れ去り、今にも心がどす黒い大津波に飲み込まれようとしている。まだかろうじて保っていられるのはまだどこか信じている、いや信じたいという願望的なものがまだ目の前で明かされていない真実を覆い隠しているからだろう。それでも日を追う毎に着々と妄想が現実へと変わっていき、自分を嫌な自分へと変えていく。
「いつからこんなにも重くなったんだろう」「いつからこんな嫌な人間になったんだろう」
「いつからこんなに気持ち悪くなったんだろう」
「いつからこんなに弱くなったんだろう」
と自分ではない自分からの鋭利な言葉が次々浮かび、胸に深々と突き刺さる。一人の人間の存在がこんなにも自分を揺らがせている、そんな自分の姿が鏡でも電車の窓でも映し出される度に自分への嫌悪感でその姿を直視することもままならない。自分の部屋のドアを押し開けると弟との二人部屋は真っ暗で海音のベッドの隣のもう熟睡している弟を見て自分も布団へと滑り込む。真っ黒なキャンパスのように見える天井を見上げ、今日の一日を大まかに振り返り明日のシュミレーションを映し出す。最初のうちは勘違いだったら…まだ一週間だから…と悩みつつ誰にも頼ることなくやり過ごしてもう……三週間になる。ふと明日は誰かに相談してみようかなと当たり前の発想が飛び出すと少し肩の辺りが軽くなった気がした。なんで今までこんなことが思いつかなかったんだろう…と思ったがきっと分かってはいたがそんな非常事態になる前にきっと返信がくるだろうと信じたかったんだろうと思い直した。少し勇気を出してみようかなと手を伸ばし、手の届くギリギリの距離にあった扇風機のスイッチをつけるといつになく肯定的に首を振った。一階のリビングの明かりが目に差し込んでくるが、それがおぼろげな水平線のように消えていった。
「キーンコーンカーンコーン」
テスト及び勉強からの解放を告げる鐘が鳴り響き、赤点の重圧から解放された鳥たちは自由に教室を飛び回る。
「ホームルームやっちゃうから、はい、席着けぇ〜」
と言いながら担任の谷繁は黒の背表紙の出席簿を左手に持ち、朝の堅苦しい恰好とは打って変わって青に黄色の三本線が特徴的なジャージに身を包み、サイズも見ず適当に買ったのかズボンの裾を引きずって歩いている。教壇にやっと辿り着くとまだ静かにならない教室に手を叩いて静かにさせようとする。
「お〜〜い。静かにしろ〜。そんなんじゃ始まらんぞ〜」
と嘆きに近いような呟きに近いような言葉が漏れる。
「ほらほら、文化祭のこと決めるから静かにして〜!」
と多分、まとめることが好きな…いかにも人当たりのいい笑顔を見せる千尋はその身長の精一杯背伸びしても届かない黒板に議題を書きながらみんなに呼びかけると次第に教室が静まっていく。教室の後方の席に座る航輝は壁に椅子ごと寄っかかって
「あいつってさーTHE八方美人じゃね?」
と隣の順也に話しかける。背が高く威圧感が強く周りから毒吐き屋と称される航輝は自称情報屋の順也と
「それな!!あいつ無駄にテンション高過ぎて疲れんだよな…」
「だよな。ああいう偽善者キモくね?見てると吐き気がするんだよ」
などと悪口を言っていると横から女子が口を挟んでくる。
「そーゆーの最低!自分じゃ何も出来ないくせに!」
「こっそり悪口言ってるとか、うわ女々しい!!」
と近くの席にいた元々正義感の強い恵と友達思いな莉乃に見つかり、二人は集中砲火を受ける。そこでへこへこ謝って話題を変えちゃう、そんな器用さを持つ順也を尻目に後ろのロッカーの上に腰掛け、航輝は前方の黒板を見据える。
「そんな怒んなって!!」
と順也も後からついてきて隣に腰掛けた。
「じゃあ今から文化祭のクラス企画の部門わけします!えっと…内装と外装、あと衣装&小道具の三つにわけたいと思うので前の黒板にやりたいとこに名前書いてって!」
と千尋の声と同時にせっかちな男子から人の流れが出来る。瞬く間に黒板に白いチョークで名前が埋まり、崩れないようにしっかり積み上げられた石垣のように見えた。しかし全員書いたと思われたがなぜか六枠残っている。すると急に静かになって目立ち出したのか
「じゃあ俺が書くよ!!」
「いやいや!そこは僕が!!」
「慌てんなって!ここは俺に任せとけ!!」
「じゃー僕が…」
「どーぞ!!どーぞ!!どーぞ!!!」
としょうもないネタが聞こえてくる。
その状況がまったく理解できない千尋は
「……あんたら…なにやってんの…??」
とバカ真面目に聞いてくる。それに仁は「いや〜人が多いからね〜リストラみたいな?」
とさらによくわからない説明を繰り出し千尋の顔が目に見えてイライラしていく。
「…じゃあもうじゃんけんで決めようよ」
と怯えた光流は千尋から発せられる無言の脅迫に沿うように話しを進める。
後ろで寝っ転がっていた順也と航輝を呼び込み、丸く六つの点で円を作った。すると右隣にいた仁が小さな声で
「パーで合わせろよ」
と同盟を結んできたのでそのまま左前の光流にもサインを送り、
「最初はグー……じゃんーけん……」
幸か不幸か神様はチョキに微笑んだ。
C組に向かって歩いている三人は敗戦の原因究明という名の責任のなすりつけ合いに発展している。多数決の末、仁が責任を追うことに、最終的に決定し階段を上がる。
「てかC組って誰いたっけ??」
「えーハンド部いないんだよなー」
「確かさーバスケ部のマネジャーの可愛い子いなかったっけ??」
「あー水無さん??去年のコンテスト学年一位の子でしょ??」
「外装に来てないかなー割と切実に願ってるんだけど!!」
「てか仁は美雪いんじゃん!!」
「いや〜〜水無さんは別腹だよ〜!」
「水無さんをおやつみたいに言うんじゃねーよ!」
と一通り水無さんの話題で盛り上がると段々C組のドアが近づく。ふと澪はいるかなと顔が浮かんできたがなんで浮かんできたんだろう?と自らの行動に疑問符を浮かべ、半ば強制的にその残像をかき消す。仁の左手がドアの取っ手に手をかけ、勢いよく開ける。勢いが良すぎて全ての音が消えて時間が止まったように感じる。三人そろって
「…失礼します。」
と少し申し訳ない雰囲気を出しつつ、教壇の前に仁を先頭に並ぶ。仁の緊張した口調で説明するが時折、声を裏返してクスクス笑われる。その度に穴があったら入りたい気分になり、顔が真っ赤になっている気がする。
「…ということで…C組の外装担当の方、打ち合わせしたいそうなので明日の朝、G組の教室にお願いします!」
と珍しく仁がその場を締め、三人で声を揃えて
「…失礼しました!」
とさっきより少し元気に言った。出るなり
「…めっちゃ緊張した……」
と仁が溜めていた息と一緒に吐き出すと自然と安堵感が湧いてくる。
「結局、誰が外装担当か聞けなかったね…」
「緊張し過ぎたもんな…」
「まあ明日には分かるっしょ!」
「明日早く来ないかな!!」
と水無さんが来ることを負け組の分際でおこがましくも神様に祈った。