心の隙間
マックで荷物番を任された女子三人は午後のワイドショーの如くお決まりの噂話に花を咲かせる。
「C組の加藤って三年の女バスの先輩と付き合ってるらしいよ〜」
「えっ!マジ?いつの間に…けっこーいい感じだと思ってたのに〜」
「…千尋…それ多いね」
「そんなことないよ〜」
すると恵が周りを見渡し、入念に顔見知りがいないことを確認して
「実はさ…今、光流と付き合ってるの!」
と囁くようにして言った。
「え!?どっちから、どっちから?」
と食いつく美雪と
「え!?なになに?聞こえなかった!もっかい言って!」
と大きく口を開けてハンバーガーを方張る音に紛れて聞き取れず、もう一度と聞き返す千尋、
「あっちから!文化祭の打ち上げの帰り道で!」
それはスルーされて話しは続く。
「へぇー良かったじゃん!」
美雪はお似合いの二人の幸せを祝福した。対象がイマイチ分からない千尋は自分の入れない話題を早々に放棄し、
「てかさ、文化祭と言えば海音と澪ちゃんってどうなったの?」
入れる話題へと大幅に修正した。
「それな!実際どーなんだろー」
と食いつく恵に
「えーまだ付き合ってないんじゃん?」
とどこか顔を引きつらせて美雪は言った。
「えーでもね一緒に帰ってんの見ちゃったんだよ!!しかもめっちゃ仲良さげだったし!」
と千尋は莉乃に頼まれた手前、手ぶらでは帰れない。きっと海音と仲の良い仁の彼女…つまりは美雪ならば周りとは一歩踏み込んだ情報を持っているのではないか…そう思って出来るだけ多く聞き出すためにまだ食い下がった。美雪には悪いけどこちらにはこちらの事情がある。
「でもあの二人はけっこー意外な組み合わせだよね〜でも海音って彼女いなかったっけ?」
と恵が偶然にも千尋のナイスフォローをしてしまう。もう…恵のばか〜と心の中で呟くが彼女は気づかない。焦る美雪に着々と追い詰める千尋、ディフェンス側が負けるのは時間の問題かと思われた。その時
「あっちー!てか坂キツすぎな!」
とそこらへんのバイトに無料てま貰ったタウン誌をうちわ代わりに仰ぐ仁が勢いよくドアを押しのけて入ってきた。昼時を過ぎた店内は人はちらほらしかおらず、彼は一直線に私たちの方にやってくる。やましいことは特にないはずなのに三人はビクッと肩を釣り上げ、固まった。
「ん?どーかしたか?」
さすがの野生児も空気の異様さに感づいたのか首をかしげる。
「いやー…いや特になんでもないんだけどね…」
千尋が咄嗟にごまかす。仁はスーツケースの横ポケットから財布を取り出し
「まあ…なんでもいいんだけどさ!」
と鼻歌交じりにレジに向かってスキップしていった。他の二人はどこに行ったんだろうと三人の頭の中で考えることが一致した時、また勢いよくドアが開き、
「おい〜!仁!早く!!こいよ〜!アイス食うって言ったじゃ〜ん!」
と海音と光流が待ちくたびれたように語尾を伸ばして言った。三人の肩はさらに持ち上がり、一時は首の存在も危うくなった。出来るだけ存在感を消そうと何にも話すことなく、意味もなくケータイを覗き込む。
「いやでもよ、暑いじゃん、喉渇くじゃん、マックシェイク飲みたくなるじゃーん…」
「最初から言え!」
「さっきは下のファミマでアイスつったろーが!!」
頭を掻きながら説明する仁に他方の二人から容赦ないツッコミが入る。まあこの暑さで待たされたらそれも致し方ない。それでも二人はなんだかんだ文句は言いつつもレジの前の仁の後ろに財布から百円玉を取り出しながら並んだ。
熱海駅前には青葉高生が集合時間を前にして続々と集まり始め、バスが五台、整備されたばかりのような縁石沿いに生徒と同じように綺麗に整列している。
「はい!じゃあいる人から担任に名前を言って〜そんで、早よバス乗っていっくよ〜」
その独特な話し方は賑わう熱海の駅前でも響き渡り、それを満足そうに見ている学年主任の武田であった。
「急げって!!」
「しょうがないじゃん!重いんだから!!」
「なんか…みんな行ってる!」
「やばい!!やばいって!!」
駅側とは反対の横断歩道からそんな声が聞こえる。武田は振り返ってみるとものすごい形相でこちらに走ってくる。ヤバイ気がする、なんか本能的に逃げなくてはならないような気がした。
「せんせー!まだ集合時間じゃないでっしょ」
と一番後ろでヨタヨタ歩く女の子が怒鳴る。少しびっくりして後ずさりした。
「…そ、そーだよ、乗れるな、乗れるならその二番のやつ乗っちゃいな」
その六人はバスの腹にスーツケースを押し込んで早く座りたかったのか競争するようにして乗り込んでいった。変わった子達だなと顔を新たに脳内の奥へとインプットして
「せんせー!」
とおそらく自分の持っているクラスの子の声が聞こえた。出発するバスに背を向ける形で振り向き、その子に返事した。乗った方の六人は空いている座席を探すが最後に乗ったため、まとまった席は見当たらない。
「とりま座っちゃおーよ」
と千尋が目の前の空席に座り始め、唯一の二人席の空きは仁と美雪が目敏く見つけていた。恵も同じ陸上部の友達を見つけ、座席を確保し、その隣の補助席に光流が座った。残った海音は一番後ろまで知ってる人がいないか行ってみようかなと足を踏み出したが
「発車します〜。お客さん、お座りくださ〜い」
と運転手に急かされてその場の補助席に座った。すると左隣のやつの肘が海音の頭にガンガン当たる。なんだ??こいつ!と思ってちらっと見たいと思うが目が合ったらやだなぁと真正面を見て気づかないふりをする。すると海音の顔に白くて細い手が二本向かってきてぐいっと左に回した。
「ねぇ!なんで無視すんのよ!」
おっとこれはこれは…澪だ。
「いや…誰かと思った…」
とわざと無視したわけではないことを強調するが
「だったら自分でこっち向けばいいじゃん!」
「…いや…でも知らない人と…かだったら怖いじゃん??」
「そんなの感じてよ!バカ!」
とビンタを食らう。それも結構強めのやつだ。音は響くし、周りに人はいるし、すごく恥ずかしくなった。なぜか澪はどことなく満足気だった。まあ…女子というのはなんでこんなに…面倒くさいのか。そしてなぜその面倒くささが可愛く見えるのだろう…。きっと嫌いなやつにそんな態度をとられても嫌悪感しか抱かないだろう。俺がここにいて澪がそこにいてそんな当たり前の状況ですら輝く。そして彼女が僕の特別な存在でそれは彼女にとってもおそらく同じで当たり前の中に特別を作り出す。でも輝いている本人は自分からは自分が輝いているかどうかなんて見えるはずもない。たぶんこれは幸せなんだろうなと勝手に思いながらその時を生きていく…本当はどうだったかなんて後で知るものなのだろう。このままずっと続いていきそうな日々の中に特別に何かを見出す…付き合い始めはそんなこと当たり前に出来ていた。
旅館は割と綺麗だった。そんなに期待もしていなかったがこれなら四日間なんとか過ごせそうだ。これは青葉高校、夏の恒例行事、夏の勉強合宿である。去年は千葉のなんとかという超田舎だったが今年は熱海である、遊びに来たわけではないが、観光地ということもあって去年よりもみんなのテンションは少し上がった。
「おい!一ノ瀬!このバッグ重すぎないか?」
とバスの腹から荷物出ししてくれた谷繁が尋ねる。ドキッとした海音だが
「はい!今年はたくさん勉強しよーと思ってたくさん教科書とか持ってきました!」
と敬礼した。嘘だ。教科書など勉強道具は必要最低限しか持ってきてない。持ってきているはずの教科書の場所にはWiiが…青い電子辞書のケースの中にはDSが…入っていた。特にWiiは重い。コードやらなんやら全てのセットを持つと軽く三キロは越えるだろう。来年は受験だから今年は遊びつくそうという話になり、持ってきたのである。そんなことを知らない谷繁はすっかり上機嫌になって
「そーか!そーか!!頑張れよ!!」
と海音の肩を豪快にバンバン叩いた。その時はそのくらいの嘘で俺の心は揺らがないと思ってた。事実と口から出した空想、その矛盾が公になった時にどうなるのかまったく分かっていなかった。エレベーターは女子専用と学年集会で言われていたのでむさ苦しくもくそ重いスーツケースを片手に階段を上がる長蛇の列に並ぶ。腕がちぎれそうになりながら必死に運んでいるとき、海音の左ポケットの奥底では勝手に画面が青白く光りだし、見知らぬ…怪しげな電話番号が大きく映し出されていた。荷物をとりあえず部屋に置いた後は、大ホールで学年集会、夏期講習と自習のサンドイッチの予定だ。筆箱と勉強道具一式、電子辞書ではないDSイン電子辞書ケースを持って四階から一階のロビー横に向かった。
「この夏は君たちの学力を-----」
と武田に暑苦しい演説を聞かされる。クーラーも効かなくてクソ暑いのにさらに暑くなる。こんなのに感動する奴なんて元々やってる真面目な奴らしかいねーだろと内心叫びたいがステージの一点を見つめて焦点をわざと外し、最小限のエネルギーしか消費しないようにして約十分間の演説を乗り切る。確か次は数学だったな〜担当誰だっけ?と二つ飛ばして右にいる仁にハンドサインすると目線でおじいちゃんこと数学担当、松木を指した。昔はその道で有名でどこかの校長をやった人らしいが今はすっかりおじいちゃんになり、言ってることの意味は分からないし、そんなこんなでまあ…一言で片付ければ……なめられてる先生だ。んーこれは暇だ、つまらない。次の講習、DSをやろうと提案するとりょーかいと返ってきた。こっちは光流に、仁はゲーム好きな順也に同じくハンドサインした。これでクソつまらないお話も演技でニコニコ笑っていられるくらいにテンションが上がった。こんなテンション、澪に見せたら気持ち悪いと言われるだろう。まあしかし彼女のツンツン具合は一向に治る目処は立っていない。まあ一日に一回くらいあるデレが際立つという意味ではそれもいいのかもしれない。どちらにせよ、そういったところで今のところ嫌な気持ちにはなっていない。
この部屋は狭い。とにかく狭い。それに涼しいが変な臭いがする。クーラーに溜まったホコリの臭いだろうか。気持ち悪くなりそうだ。臭いか涼しさかどっちを取るか悩ましい。
「ということで………こ…とそこをまと…てさっきの……を使っ…はい、おわり」
おじいちゃんの授業の問題は分かりやすい、にくいが問題ではなく、聞こえるところと聞こえないところの虫喰い文を解かなくてはならないことだ。そんな暗号を解きながら数学をしなければならない、そのワンステップは面倒に感じてしまう。だからこんなの真面目に聞いているのは単なるバカ真面目な奴だけだ。要領がいいやつと単なるバカは授業を放棄して勝手に好きなことやっている。
「よっ…こうな…ます」
おじいちゃんの説明は続く。
「なるほどね〜難しいね」
光流はつい呟いた。お互いにもう一枚ずつ引いた。今のところ、光流は一方的に押されている、圧倒的に劣勢だ。四連敗中。もうコインは尽きるやもしれぬ。
「もっとはってん…なもの…と…ページの……」
海音は新たにカードは引かない。二枚で前に差し出した。相当自信のある手札なのだろう。それに比べてこっちのは微妙だ。安定と言えば安定。しかし勝負にはもう一手足りない。もう一枚引こうと山にも手を伸ばした。
「それ…はま、まさか!!」
海音も迷っていたからおそらく、十九か二十。でも今のところ勝っているから無駄に勝負はふっかけてこないだろう。一方、講習の方は合いの手が入っておじいちゃんもどこか嬉しそうだ、言っている本人は気づいていないが。光流は自分のアバターが引いたカードを少しためて…そして捲った。
「きたあああぁぁあ!!」
光流は右手を高く突き上げ、つい叫んでしまった。賭け金に残りの金、全部突っ込んだため一発逆転、耳の悪いおじいちゃんもさすがにびっくりして
「そーか!君はそんなに数学が好きか!」
曲がって固まった背骨を精一杯伸ばして言った。画面では光流のアバターが踊る。
「いや…まあ好きっすよ、それなりに」
と当の光流は突き上げた右手を遠慮するようにさりげなく折り曲げる。
「そーか!!そーか!!それならあとで……」
気にせずというかそんなもの視力的に目に入らず、ちょうど時刻は四時になった時計を振り向いて確認した。
「いや、ちょうど終わったから今から私の部屋に来なさい!晩飯まで特別な問題をやらせてあげよう!」
悲惨だ。これから部屋に戻って自由時間だというのにどこのバカがこんなの喜ぶ?さすがおじいちゃんだ。そんな展開にもうブラックジャックどころではなかった。なにか一緒に来てよという視線を送ってくるが両手を身体の前で合わせてお辞儀した。ご愁傷様です。そんなもん親友だとしても行きたくない。数学は嫌いだからだ。仁と二人でいっつも最後に怒られるのって光流だよな、と笑いながら部屋に戻り、自室のテレビをWii仕様に衣替えしているとちょうどコードを拾おうとした時、足元にほっぽり投げていた海音のケータイがなっているのに気がついた。なんか嫌な予感がした。第六感がざわざわ…と騒ぎ出した。そんな思いを振り切ろうと思い切って画面を開く…………ビンゴだ。未来からだ。なんでいまさら?見たくなった。でも勝手に見て勝手に返すのは澪に対する裏切り行為に思えて画面のそこを触ることは出来ないように思えた。なにか理由があったのかもしれないよ?絶対開いて見たほうがいいって。そんでさっさと返しちまえ!意外といい内容かもしれないよ…いやいや俺は今、誰が好きなんだ?澪だろう?ならそんなことするんじゃないよ。もう決めたなら無視しなさい!心がチクチク傷む。その痛みは海音の心を揺らがせ、端っこには少しの亀裂が入り始めていた。でも…思った。少なくとも今、好きなのは澪だ。強い決心を持って無視することにしてケータイを布団のある方へ放り投げた、自分から軽々しく見えないように。テレビを振り返ると仁がもう作業を終わらせ、自分のアバターを作り始めていた。またケータイが鳴る。無視した。あいつだと思ったから。なんで今さら、こんなに自分の意識の中に入ってくるんだ。あっちこっちで蝉が鳴いている。責め立てられているみたいでむしゃくしゃした、蝉はきっとそんなこと考えていないのに。でもなぜだかそう思った。海音は意識で耳を塞いだ。