月下氷人(後編)
挨拶は終わった。緊張した。どこを見て話そうかと焦ったがとりあえず身体は出席者に、顔は二人に向かって話し始めた。二人との出会いから馴れ初め、思い出話…その辺りをいい感じによろしくと今日の主役から仰せつかっていた。いい感じってなんだ?よく分からんが出来るだけ要望に沿った形で話してはみた。涙は二人の出し物のためにとその前座として所々、笑いも差し込んでみると思いの外、会場の反応も良かったのでついつい話しすぎてしまったかもしれない。緊張すると多弁になるのは悪い癖だ。まあ良くて七癖と聞くからあと六つはセーフだろう。まあでもきっと周りが許してくれるなら何個あってもいいのだろう。今のところ、彼女はそういうところは寛容なのでとりあえず安心はしている。というか愛するってきっとプラスな部分もマイナスな部分も引っくるめて受け止めるってことなのかな?まだ分からないけどそんな気がしてる。昔、お袋が言ってた。「若いうちはいっぱい恋しなさい、恋しただけ魅力的になるから。恋は見返りを求めること、愛は見返りを求めないこと。人を愛せる人になりなさい」身内ながら上手い言い回しだと思う。あの夏に言われた言葉だ。何も分かってないくせに僕の心の中を見透かしたような言い様だった。悔しいかなジーンときてしまった。そんなことを思い出すほど今、愛をすごく感じている。ここは愛に満ち溢れている。友人から、家族から、仁から、美雪から……お互いに飛び交うネットワークみたいにこの会場をその黄色い糸を張り巡らせ、大きく包み込んで…あったかくする。心がポカポカする。いい心地だ。こんな結婚式がしたい……と心の底から思った。
もう結果から言ってしまおう。僕は泣いた。自然と涙が溢れ出していたという方が正しいかもしれない。美雪の両親への感謝の手紙、仁の締めの挨拶、感動した。ついこの前まで一緒にバカやってた仲間がいつの間にか家庭を持つなんて実感が湧かなかった。同じ会場にいるのに二人との距離がやけに遠く感じた。結婚式が幸せの最高潮だとテレビで聞いたけれど、きっとこの二人はこれからもずっと幸せだと思う。だって二人はどこでもいつでも幸せそうだったから。二人みたいな関係に…ずっと憧れてた、羨ましかった。そんな二人の結婚式。自分もそろそろという年代に入ってくると感じ方がこんなにも違う。昔の叔父さんや従兄弟の結婚式とはまた全然違う。仕事がもう少し安定したら言ってみようかな。ふっと隣のやつを見た。泣いていた。両目から大きな粒を可愛らしいドレスに落としていた。ハンカチは忘れたらしい。ティッシュで涙まで拭っていた。こぼれ落ちるその涙は、いつかの記憶に引っかかったような気がした。綺麗な、とても綺麗な透明というよりどちらかというと光に照らされて澄んだ白く輝く涙。この涙も綺麗だった。顔は笑っているのに泣いている。どっちか一つにすればいいのにと思うがきっといろんな気持ちが混ざって、混ざり合って複雑なのだろう。普通の涙より深く純粋な涙だ。ねえ、君は今、僕と結婚してと言ったら怒るのかな?今みたいに泣くの?それとも笑い飛ばす?返答は分からない、分からないけどどう転んでもオッケーしてくれそうな気はした。きっと今から準備をしたって半年、一年すぐ経ってしまうだろう。何しろ、僕の好きになった女は一から十までこと細かに決める。その一つ一つにこだわりがあるらしい。まあそれに適当に合わせていたら仁たちの結婚式からそれなりに時間が経ち、ちょうどいい時期になるだろう。僕は彼女の口にあてている手とは反対側の手にそっと触れた。理由は分からない。雰囲気に呑まれたのかもしれない。なんかとにかく彼女に触れたくなった。彼女の手は抵抗せずに前を向いたまま、僕の手にスッと潜り込み、自分の熱を送り込む。あったかい。僕もそれを少し強く握り返した。