片道切符(後編)
朝早かったため鍵はまだ職員室にあると思い、A棟二階の職員室の壁のフックを見るが三階の他の教室の鍵は当然のごとくあり、控え教室のある三○九号室のところだけ凹んで見える。おかしいな??と早すぎる先客に首を傾げつつ、実際に行ってみることにした。学校全体としても毎朝一番早く来て昇降口の鍵を開ける事務員ぐらいしかいないはずの時間に誰がいるのか…想像もつかなかった。いや一瞬、予感はしたが確信的な根拠はまったくなかったためもう一度飲み込んだと言った方が正しいかもしれない。しかし一度浮かんだイメージはなかなか消えてはくれない。なんでそれがふっと浮かんだのかと理由を探すというよりは半分遠くの誰かに言い訳をするようにひねり出そうとする。階段を上がって行く最中にさっきの感覚が肝心の途中計算は遠く遥か彼方でぼやけてしまって見えないのになぜか答えだけが思いついてしまった数学のテストの時に似た感覚だと思った。控え教室の後ろのドアから教室を見渡したみるが特段昨日とは変わったことはないように見えた。それは入ってみても同じだった。さっき感じた言わば刑事の勘は狂っていた可能性は十分に…というよりそもそも刑事ですらないことを忘れているがさっきの理由なき自信の源が自分自身でもわからなかった。それでも一人でボーとしているなら用意でもしていようと自分たちのお化け屋敷のB棟三階に行ってみることにして荷物を机の上に放り投げ、昨日と同じスタイルに着替え直す。海音がすり抜けて行った、教室の前のドアのフックには昨日からお泊りしていた鍵が腕を引っ掛け、ドアが勢いよく閉まると同時にバイバイと手を振るように左右に大きく揺れた。一度一階まで下降し、もう一度三階まで上昇する、言うなれば箱根駅伝よりアップダウンの激しいコースを文化祭期間において珍しく時間に追われることなくダラダラと完走する。本来ならダラダラなんて歩く気はさらさらないものだがこのコースをを昨日、一日に何度も完走させられる羽目になれば致し方なくもなるのも当然である。それでもやや筋肉痛の残って囚人のような重りをつけられているような重い足を根元からよいしょっと持ち上げる。それは海音だけの例外ではなく、なぜか文化祭が終わった翌日の打ち上げの店に自分のうちの近くの店を推す人が多数発生し、大論争の結果、中間点である小山駅前の店に決まったのはおそらくその二日間の代償が癒えることはなかったからだろう、というのはまたもう少し先のお話である。
三階フロアの廊下を突き当たりに向かって進んでいくと否が応でも妖気が漂っているように見えてしまうエリアが見えてくる。その根源であるようなお墓風発泡スチロールの前には人影が一つ存在していた。そこの周りが暗すぎるせいか、顔も髪型も見えない。従って誰か分かるどころか男子か女子すらわからないが…お化けではないことは確かである。少しずつ近づくにつれて目も慣れてきて、何かを割るような音がしてくる。一応顔を確認するためにお墓風発泡スチロールの横の椅子に腰掛けてみるがまったく気づく様子はなく、淡々(たんたん)と手を動かしている。
「おーい!!おーはーよー!」
と顔の前で手を振りながら話しかけると
「…っ……」
と反応らしい反応はしてくれない…いや反応してくれないというよりはこっちを向いていることは分かるが何も言葉らしい言葉を出そうにも出なかったと言う方が正しいかもしれない。その反応を不思議に思った海音は
「…ん?おはようは??」
と催促してみると
「おはよ」
とサッと顔を手元に戻して言い
「てかびっくりさせんな!!手元切ったらどーすんだよ!!」
挨拶とは正反対のセリフとパンチが飛び出してくる。それに苦笑しながら
「あーそっか、わりわり!」
と頭を掻きながら一応謝っておく。今日はワックスつけてたんだとふと思い出し、さっき掻いて乱れた髪を戻しながら
「今、これ、なにしてんの??」
とこんな時間からなにをやっているのか聞いてみる。
「…いやなんかここの中ににライトあったらどうかなって昨日、受付シフトやってる時に思って…」
と言いながらカッターでお墓風発泡スチロールの内側を削って薄くしていた。澪の横にはどこから持ってきたのか不思議な電球セットと延長コードも置いてあった。澪のイメージが耳からスッと入ってきてそのまま目を閉じると網膜の深いところに映し出される。
「それ!!いいね!!んで??俺なにすればいい??」
と半分はグッドアイデアに、もう半分はいつも通りにしようと意識して暗闇に明るい声の波長が伝わっていく。
と今日の海音のテンションが悪かったのかそれとも元々澪本人の問題なのかは不明だったが変にかしこまった澪は
「…よし、じゃあコンセント探してきてくれたまえ!」
と軍曹と二等兵の間柄のように辞令を下される。
「へーいへーい!」
と気の抜けた返事をしようものなら
「返事は一回!てかやる気はあるのか!!」
と海音にはムチに見える新種の延長コードでひっぱ叩かれる。心の中ではどんな羞恥プレイだよ…と思いつつ、口では
「りょーかいいたしました!!」
もちろんポーズ付きでサービスする。ざっとコンセントを探してはみるが見つからない。壁を黒いビニールで包んだ段ボールで覆っているためあるはずのものも存在しないことになっているようだった。隣の男子トイレも探してはみたものの、あったのは壊れて差し込むことのできない、非常に使えないコンセントのみであった。実行犯への少しの怒りとなかなか見つからないことへの落胆がため息になって流れ出す。
「…どーした??」
とトイレのドアが開くときに鳴った、ギィーギィーという音に反応してこっちを向いてた澪が言った。
「……いや、ないなって感じ」
とショボショボする目を抑えながら言うと
「んーそっか、それは困ったな。じゃあ……もうこれ、やめるか!」
と手に持っていたカッターを床に押し付け、背伸びしながら言った。
「いや…それじゃ」
お前の朝の努力無駄になっちゃうじゃん、と言おうと思ったが途中で言語系の思考がストップし、何か根本的なところで見逃しているような感じがしてどこかむず痒くなる。その時、一瞬のひらめきが海音の靄がかかったようにはっきりしない何かを照らし出し、その輪郭からその細部に至るまでが段々とはっきりとしていく。
「…つかさ、女子トイレってコンセントなかったっけ??」
普通に考えたら男子トイレにあったはずのものが女子トイレにないはずもない。当然と言えば当然なのだが固定概念と使えないコンセントによってもたらされた落胆が本質を覆っていたのだろう。
「え?そんなに女子トイレ入りたいのか??」
と哀れむような顔をした澪が言った。
「てか海音!変態!ばか!」
澪の暴言にそういう取り方もあるのかとむしろ驚いてしまう。しかし特にそういった思惑はなかったので
「んなわけあるか!あほ!じゃあ澪が探してこいよ!」
と期待して無かったら嫌なので面倒ごとを押し付けた。
「うむ!」
押し付けられた澪は勢いよく立ち上がり女子トイレの中を見られないようにすぐにサッとドアを閉める。その三秒後……またドアはそっと開き、しかし断固として中を見られないように首だけ出した澪は
「おい!海音!お前、女子トイレ入ったことあるだろ?」
と疑わしい目で海音を問いただす。
「…んなわけあるかよ!!俺がそんな変態に見えるか??」
と澪の突拍子もない言いがかりに驚き、弁解してみるが
「…うん、見える!」
と何の躊躇もなく頷き
「てゆか…そういう風にしか見えない!」
ととどめの一突きを入れてダウンさせる。もうなにを言っても聞く耳を持たない澪をほっといて延長コードを放り投げた。ドアから首しか出ていなかった澪は慌てて手を伸ばすが掴み損ね、ブーブー言いながらドアをしっかり閉めて中に入っていく。瞬く間にお墓が青白く光りだし、一気に不気味な雰囲気が醸し出される。手彫りした内側が光の濃淡を作り出し、お墓を取り巻く暗闇に不気味な火の玉がゆらゆら揺れていた。
九時の開店時から受付のシフトに入った海音は隣に立つ澪とお化け屋敷の説明をして、懐中電灯を一本手渡し、中にいる人からの通過報告をLINEで待つ。墓を取り巻くように並べられた椅子に座る人々は皆、壁に書かれた血塗られた壁と青白く光る墓の醸し出す雰囲気に飲み込まれ、体感気温が…個人差はあるものの…五度前後下がったらしい。きっと在校生の兄弟であろう小学生たちが今にも逃げ出したい気持ちを押さえつけて勇気を出して入っていこうとした時に澪が
「たかがお化け屋敷だ。そんなに固くなるな!男の子だろ!」
と仮にもお化け屋敷の前でロマンもへったくれもない言葉で背中を叩く。
「は、は、はい!!」
とぎこちない返事と背をぴーんとしたのが特徴的なガキ大将は澪の男気に惹かれて新たに弟子に入門したようだった。
「おし!言ってこい!」
お互いに敬礼を交わして暗闇に入っていった。男らしい母性という言葉があっているのかどうかはわからないが…とにかく彼女の中に母親を見た気がした。
「澪って子供好きなん?」
と海音は入っていった小学生から澪へと視線を移して言った。
「…まあ…それなりにね…てかそもそも他人に興味を持てるようになったのは最近だよ」
と澪は振り向きながら伏し目がちにそう言った。触れちゃいけない感じがした海音は
「そんなんか!まあなんかいいお母さんになりそうだけどな!」
と励ます意味でとりあえず褒めた。するとそんな言葉とは裏腹に表情の暗くなった澪は
「私…な……うーん、まあ親に嫌われてるん。私だけ母親の連れ子で…って私の親、再婚してるんだ。」
と両親の喧嘩でさえ見たことのない海音からしたら、その…ものすごくヘビーな話が飛び出す。海音がその重さゆえになかなか簡単に口を開けないでいると
「それでね、お姉ちゃんと妹が出来たんだけどお母さんは私をほっといてそっちばっか可愛がって、お父さんは前の男との子供だからかな……無視される、なんかやらかすと殴られる…」
と今まで誰にも言ったことはないことを…きっと思い出すだけでも辛かっただろうに話してくれる。
「多分ね、私のこと愛してくれる人なんてもうこの世にいないんだ…唯一大好きだったおばあちゃんは一昨年亡くなったし…。だからね…私は…他人にとって優しい居場所になりたい…ってまだまだ全然おばあちゃんには敵わないけどね」
目元は光を乱反射させる水たまりを作り、そこから床へと滴り落ちていく。暗闇でこの中で彼女の涙に気づいているのはきっと自分だけだろうと海音は思った。落ちていく大粒の涙はこれまで強がることでいや、そうすることでしか涙腺に栓をして留めておくことが出来なかったのだろう。自分の目の前で彼女が泣いていてそれを慰めようと何度も、何度も思うものの、今の自分に何が出来るのか、甚だ疑問だった。そうこうしているうちにいつの間にか自然と見とれてしまっていて、不覚にも彼女から流れ出す綺麗な涙は今まで見たどの涙より美しいと思ってしまった、そして今の自分にはこんな涙は流せないと思った。その後は次のシフトが来るまでお互いに…何か話すということはなかった。それでも時々二人から発せられる言葉といえばお客さんへの説明とお客さんからの質問に答えるぐらいだった。
今日のシフトは全て終わり、仁と光流と一年生の団子屋、パンケーキ屋、ホットドッグ屋を周り、腹ごしらえをしていた。
「あんだけ真っ暗なとこいるともう日光で頭がクラクラするよ」
と光流が愚痴ると
「いやいや!暗闇で人来たの確認してLINE送る方が辛い!!目がしょぼしょぼしてくんもん!!」
と仁が押しのける。この中では楽な方だったなと自覚した海音は息を潜めてオーラを消した。
「あっやべ!俺さ、ダンスのステージ見に行かなきゃいけねーや!!」
と急にそのこと思い出した光流は両手に持ったホットドッグとパンケーキを同時に口の中に放り込んだ。
「ん?急にどうした?お前そんなダンス好きじゃねーだろ?」
ともったいなそうに光流の口をガン見して仁は言った。
「あったりまえだろ!!興味の欠片もねぇーよ!」
となんでそんなに自信満々に言っているのか理解出来ないが光流は胸を張って答え
「いや〜恵が来いってゆーからよ〜」
と本人はさもしょうがないという仮面をかけているつもりなんだろうが、仁と海音から見たらそんな仮面はチラチラ外れているように見えていた。いや実際、見せたくて見せたくて仕方がないのだろう。とちょうどそこにシフト明けの美雪と沙也加、愛梨と莉乃の四人が…少し遅めのお昼ご飯なのかおやつなのかは定かではないが…とにかくパンケーキを買いに来たようだ。
「仁!これから暇?つか暇でしょ!!一緒に回ろっ!」
と美雪が仁を連れ去る宣言を発令する。みすみす仁をやりたくはないのだが…今のところこれに立ち向かう方法はなく、早急に対応策を練っているところだった。
「いやいや!仁は俺とダンス見に行くから無理無理!」
と光流が無謀にも抵抗する。無駄なことしなきゃいいのに…と横で海音は見ていたが
「あら?うちらもそこ行くよ!多い方がいいし!一緒に行こうよ!」
とまさかの展開だ。その言葉に密かに莉乃の顔が赤くなったことには誰も気づかなかった。しかしダンスなんて、全然、まったくもって、興味の欠片もないし、それに今は外の空気を吸いたい気分だったので
「あー俺、パス!じゃあ後夜祭で!」
とその後もしつこいくらいに莉乃の誘いも断り、廊下を反対方向に歩き出した。すると縁日の中から前に欲しがってた黄色のゆるキャラのぬいぐるみを抱えた澪が出てきた。
「お!澪!」
とさっきの今だったけれど声をかけてみた。
「う、おう!てかこれいいだろ?」
右手に取ってきたばかりの獲物を見せびらかす。このキャラは確か、今バックにつけている趣味の悪いゆるキャラだ、いや確かとかではない。そんなダサいのなぜつけてるの、と言われれば答えようがないが、んー強いて挙げるとすれば流行っているから?ま、まあとにかく可愛いとは到底結びつかないそのブサイクさは簡単に忘れることなど出来ない。
「これな、射的で取ったんだ!すごいだろ?」
とさっきからずっと褒めろ褒めろオーラをフルスロットルで出してくるので単純に褒めたくはなかったので
「すごーいすごーい」
外国人が使うような日本語で言った。
「全然すごそうに聞こえない!てかなんで海音は一人なんだ?ついにみんなに嫌われたか??そーか〜かわいそうに〜」
とよしよしするようにせっかくセットした髪をぐしゃぐしゃにしやがる。
「んなわけあるか!!みんなダンス見にいったの!!」
と澪の白くて細い左手を払いのけて
「てか人に酔って疲れたから…どっか行かない?」
と言った。その時、払いのけた腕の付け根に絆創膏が見えた気がした。でもその後サッと隠してしまい、単なる海音の見間違えかもしれなかった。
「んーじゃあ川がいいな!そーだ!川にいこう!」
と澪はその誘いに乗って、二人しかいないものその先頭をきって歩き出した。川のどこに行くのだろう…と思ったが聞かない方がいい気がした。
こないだのひまわり畑に行くのかな?と密かに期待していたが、そこの階段は通ることはなくその一○○メートルほど手前の農道を左に曲がった。すると何の木かは分からないがすごく大きな木が堂々と土手の向こう側に立っているようだった。土手の階段を越えて反対側に着くと、綺麗な黄緑の芝生の上に大きな自分の分身を作り出していた。澪は陰のほぼ中央にしゃがみ込むと、バターンと倒れこんだ。まだ土手の上で綺麗な景色に見とれていた海音に
「はやく!こっちおいでよ!!」
急かすのでもう一度だけ顔を上げて、目に深く、そして強く景色を焼き付けて坂を転ばぬように慎重に踵を窪みに引っ掛けた。芝生に降り立った海音は澪の寝ているすぐ隣に寝転んだ。その時にはもうすでに澪は寝ているように見えた。海音自身も朝早かったため、横になると自然と瞼がどんどん重くなっていく。風の吹き抜ける音、水が流れていく音、鳥の鳴き声に囲まれてリラックスしたのか海音の瞼も…完全に……閉…じた。何分…いや何十分…経ったかは分からなかったが目は閉じているものの意識が少しずつ戻ってきたあたりで
「海音!起きてる?」
と澪が尋ねる。ふあぁあと芝生の上で背伸びをした後、
「ん〜起きてるよ〜」
と起きてそうにない声で返す。
「あのさー海音…」
と澪が何かを言いかける。
「ん?」
海音はその続きを促すように相槌を打った。
「ありがとう。本当にありがとう、海音」
と黄金色の空を見つめる。
「う、うん?どした?急に…」
と澪がいきなりすぎるのか…単に自分が寝ぼけていて聞き逃したのか…やっと意識が完璧に戻った海音は戸惑った。
「…私な、こんなに人生が楽しいの初めてなん!ここ一ヶ月くらいほんとに楽しかった!今までの人生の幸せが一度に降ってきたくらいにね!」
太く重そうな幹から伸びる小枝、そこから広がる緑は黄金色に輝き、根っこから吸い上げた大地のパワーを空気中へと放出しているようだった。
「小学校の時、離婚で名前が変わって…そしたらなぜか友達だったはずなのに…いじめられて…助けてくれる人なんて誰もいなかった。友達なんて信じない、人間なんて!って生きてきたんだ。でもな、最近違う気がするんだ。そうやってたら誰も新たに私を見ようとなんかしてくれない、私が先に壁を作ってた気がするんだ」
急に体ごと海音の方へ向けて強い意志を持ったような目で海音の目を見つめながら
「海音…」
と名を呼んだ。
「ん?」
本当は鼓動が大きくなっている気がしたがそれを見せないように短く答えた。
「お前が私の壁を壊してくれなかったら何も変わってなかったかもしれない。お前のお陰で変われたんだ。自分を少しは好きになれたし…だから海音には感謝してもしきれないほどの気持ちが…」
最後まで言い終わる前に海音は
「そんなことない!!お前自身がお前自身の力で変わったんだ!俺は何もしてないし…むしろ俺の方がありがとうだよ…」
と自分の言葉で澪の言葉を遮った。海音も澪も何を言っていいか分からず頭が真っ白になり、沈黙が訪れる。その少し長めの沈黙をタイミングを探しつつ、先に破ったのは………
「…あのさ、」
「…あのね、」
どちらでもなく、ほぼ同時にお互いが話し始めた。空も黄金色から段々とオレンジに染まり、海音と澪の顔もそのせいかどうかは分からないがその色と同じ色に染められた。
「あ、いや先にいいよ」
と海音がぎこちなく先を譲ると
「え、いや海音が言ってよ!」
「いや、澪からで!」
双方の譲り合いの永遠ループになる。ダチョウ倶楽部ならばすぐ決まる…いや元々決まっているのだが。
「じゃあ私からでいいよ」
と先に折れた澪は芝生から起き上がって正座になり、右手で髪についた芝生を落とした。そして一呼吸おいて
「こないだは…そばにいて…笑っててくれたらそれだけで…いいって言った。もちろん…今だってそう思ってる。だけど私…贅沢者だからそんなんじゃもう足りなくなっちゃった。綺麗ごとだった。カッコつけてた。私は…私は…海音に………私の海音でいて欲しい」
最後の言葉へと澪なりの言葉で紡いでいく。
「本音を言ったら…優しい海音も、意地悪な海音も、かっこいい海音も、涙もろい海音も…きっとまだまだ私の知らない海音もいると思うけど……その全てを…知りたい。私しか知らない海音が欲しい」
そして
「私と付き合ってください。私はもっと海音のところにいきたい。私なら…」
涙が一つ、二つ…そこから先は数えることが出来ない。なんとか最後まで話そうと嗚咽を堪えて話を続けようとするがそんな簡単なことが今は出来ない。するとサッと立ち上がった海音は澪の目の前にしゃがみ込み、顔を覆っている手を両手で掴んで左右に大きく広げた。そのまま強く…強く…抱きしめた。泣いていた澪は呆気にとられて固まっていたが、次第に解凍されると
「…か、海音!な、なに、何やってんだよぉ?」
と涙は止まることなく溢れてきて、今なにが起こっているのか、澪にはまったく検討もつかない。澪を抱きしめたまま海音は
「俺さ…」
少し抱きしめる力を緩めて、海音の顔と澪の顔は改めて、距離にして三○センチほどの隙間を置いて向き合った。とても目を見つめることなど出来ない海音は足元を見る。
「…俺な…澪が…んーと、その…言ってくれて…うん、嬉しい。でも改めてさ、俺の方から言いたい」
下を向いたままの海音は澪の肩を両手で掴んで
「俺は…その…澪のことが好きだ」
顔を上げた海音は澪の目を見据えるようにして言った。
同じく足元を見ていた澪はビクッと顔を上げて
「…え……でも…」
と弱々しく呟き、また足元を見つめる。
「俺は…澪のために何かしたい。俺はここ一ヶ月澪に助けてもらってなんとかやってこれたんだ…そして澪が初めて弱みを見してくれた」
澪の両目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
「俺は俺なりに決着をつける。だから…その…」
海音が言いかけると
「お願いします!!」
と今度は澪が海音の言葉を遮った。
何をお願いされたのか分からなかった海音は
「……へ??…」
と思わず聞き返してしまった。
「今はまだそれでもいい。私と…その…付き合って下さい!」
と叫ぶように言うと海音の胸に飛び込んだ。
それを両手で受け止めた海音はもう一度強く抱きしめた、もう二度と自分のところから離れていかぬように。いつの間にか二人のいたところは木の陰からは遠ざかり、燃え盛るような夕陽のスポットライトに照らされていた。後夜祭の時間が近づいていることに気づいた二人は来た時とは違い、隣り合ってどちらもどこにも離れていかぬように手を合わせ、強く握った。自分たちを繋いでくれた大木に…絶対に澪を幸せにしてみせると誓った。赤々と輝く今日の夕陽に照らされた大木はどこか嬉しそうに見えた。