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夏と、君の花  作者: 御剣悠一
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第7話 今から、君を僕色に染め上げる/Mermaid Songを捧げても

酒場へと行く前に、彼女は服を取るため家に帰っていった。

僕は、先に酒場へ着いてまたあのラム酒とデラウェアを注文した。

よく冷えたデラウェアを口元に運びつつ、周りの男達がカラオケを歌っているのを眺めていた。

何をするでもなく眺めていると、隣に大柄な男が腰掛けてきた。

昨日の、酒を差し出してきた男だった。

「坊主」

「…はい」

少し楽しそうに僕を見る男。

その口がまた、ゆっくり開かれる。

「どうだ、うちの歌姫は」

「素敵です。優しくて、心を揺さぶるいい声で。僕なんか到底真似出来ない」

その答えを聞くと、また嬉しそうにして、えくぼの深みをより一層強めた。

彼はそのまま手元の酒を飲み、僕を見て訊ねてきた。

「なあ坊主、お前さんはうちの歌姫の何が好きになったんだ?」

僕もラム酒をひと飲みして、ゴトンとグラスを置いた。

「何の変哲もない僕に、あんなに優しくしてくれるいい女性、って所ですかね。あとは、僕がそんな彼女を、一番近くで支え返してあげたくなったのが一番強いですね」

カシューナッツをひとつまみして、口に放り込んだまま僕の話を聞いていた彼のそばに、カラオケを歌っていた男がマイクを持ってきた。

「神崎さんも歌えって、農業組合の連中が言うんだよ。頼むぜ」

神崎…。

この辺りで見た神崎という名前の家は、百合の家しかない。

ならこの男は……。

「坊主、うちの娘より前に、一曲何か歌ってみるか?」

「百合の、お父さんですか?」

「あぁ。なんだ、もう呼び捨てる仲か。どうする、歌うか坊主?」

何を今更と受け流す百合のお父さん。

勧められたなら、やってみるか。

そう思う気持ちが微かにあった。

「僕は、百合ほど上手くありませんよ?」

それでもいいさ、とマイクを寄越す。

僕はそれを受け取り、レコードやCDに何か知っている曲がないか探してみた。

ひとつだけ、歌いたい曲があった。


-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-


赤と黒の、お気に入りのドレスを持って甘奈処に向かうわたしの耳に、聞き慣れない曲が聞こえてきた。



100度も夢に見る街で

人が立ち止まるよ

音がして海のなお深く

かすか呼ぶよキミは

(Mermaid Song/平沢進)



声を聞いても誰かわからないが、聴いた事のない声をしている。

つまりこれは、清彦さんの歌だ。



いつか知られてた声で泣き

わずか一時の歌に住み

高く飛ぶ鳥さえ聞けない

風に塔は騒ぎ




ゆったりと、しかし力強く歌うその声は、近付くにつれてあたしの心を揺らしていくようだった。



古の空のなお高く

今も呼ぶよキミは



中を覗くと、いつになく静かに聴き入った男達が何かを思い出したかの様な顔で清彦さんを見ていた。



いつか知られてた声で泣き

わずか一時の歌に住み



あたしの声とは違う、力強くもしっかりした歌声が場を揺らす。

男達が聴き入ったまま、いつなら陽気に酒を飲みつつ聴くあの男達が、グラスに手をつけてすらいない。



花を手に人よ来て

あの声に身を投げよう

風の日に舟を出す

年老いた水夫のように



誰かを思って歌う様な清彦さんの歌声にいつしか瞳が熱くなってきた。



花を手に人よ来て

あの声に身を投げよう

風の日に舟を出す

年老いた水夫のように



歌いきった彼がいつの間にかあたしを見ていた。

微笑むと、彼の歌を讃える幾人もの男達の拍手が響き渡る。

彼はむしろ驚いていて、ゆっくりと礼をしているだけだった。

「もう………、これあたしの歌要る?」

苦笑するあたしに、彼は近付いて来た。

そして、親父殿の方を見た。

親父殿は、清彦さんの方を見てゆらりと立ち上がった。

真剣な顔、あたしも中々見たことない。

ポケットから出した手が、強く握り拳を作っていた。

「お…親父どっ…!?」

「清彦、とか言うらしいな。坊主」

「はい」

真剣な眼差しで、拳を握り込んだままの姿で立ち尽くした親父殿。

「坊主、言いたい事はあるか」

グッと、眉間に皺が寄る。

あたしの脚が前に出ろと叫んでいたが、その目に脚が竦んで動けない。

清彦さんは少しだけ息を吸って、あたしの肩を掴んで言った。

「―――百合さんを僕に下さい」


あたしは、あたしの中で世界が止まったような気がした。


ゆっくりと、親父殿が清彦さんに手を伸ばす。

そして、その手を開いた。


「うちの鍵だ」

「いやちょっと待てよ親父殿!?」


あたしの叫びに甘奈処の皆が笑い出す。

当人を差し置いてあたしは嫁になった。

……まぁ、嫌じゃないけど。

嬉しいけどさぁ。

順番が違うよな。

あたしに告白するのが先だよな。

そう考えていたら、清彦さんがあたしを好きになってくれたという実感が湧き、徐々に顔全体が紅潮していく。

「百合。皆待ってるからまずは歌おう」

「清彦さんが言えた事かこれは……」

といいつつマイクを握り、テンションが上がっていたあたしは連続10曲歌った。

だけど、私は悲しくもあった。


清彦さんは、明日帰るのだ。



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