第3話 君の世界と、僕の常識の狭間で/Lily Marleneが奏でるのは
涼しい風が、見つめあって動かい二人の間を吹き抜けていく。
先ほど僕が、彼女―――百合さんと出逢った売店の中でしたように、彼女も僕を舐めるように、はたまた観察するようにじろじろと見てきた。
上へ下へと視線が動く度に、彼女の表情が微かに変わるのを見ていたが、しばらくしてから次第に恥ずかしさが出てきた。
「……いつまでもジロジロ見られるのも恥ずかしいからよしてくれ」
彼女は、そう言って顔を斜め上に逸らした僕を見ても、また嬉しそうにしていた。
「まぁ、さっきの仕返しだよ。もし気を悪くしたなら謝るさ。……でも、想像してたより尾上さんは、その…なんだ。しっかりした体つきなんだな」
少し恥ずかしそうに頬を染めてこちらを見る百合さんは、立ち上がって椅子に腰掛けて座った。
普通、人間は腕で重心を動かしてやらないとちゃんと立ち上がるのは難しいらしい。
だが、彼女はその重心操作が出来ない。
どうも彼女は今の動きを見るに、完全に重心を動かさずに立ち上がれるようだ。
「また、ジロジロ見て……。なんだ、私の格好がそんなに変か?メールしていた時にも、私の事を見ても引かないでくれるかとわざわざ確認したのに……」
最初こそ怒るような口振りだったが、次第に消え入るように声が小さくなる彼女。
「そんな、君をそんなふうに見たつもりは無いんだ、ごめん。ただ、君の立ち上がる姿を見て気になった事があっただけで」
どうも僕の言葉の中の何かにに興味を示したらしい百合さんは、顔を上げた。
「気になった事、か。なんだ?まさか、胸が揺れたとかか?そんなだったら怒るぞ」
「食いつく所を間違えてるよ…。いや、君はその……」
言いかけてから気付いたが、何と言えばいいのかがわからない。
率直に言うのは簡単だが、彼女を傷つけないように言うのはかなり難しい。
察したのか、彼女は言った。
「別にそのまんま言っていいよ。それが事実だし、元からないから気にしてないし」
気遣う気持ちは有り難いが、やはり普段ダメと言われている事をするのも何かいけない気がしてならない。
少し気が引けるが、ここは素直にいうべきと判断した。
「君は、腕がないじゃないか。なのにすんなりと立ち上がれるのは凄いと思ったから、ジロジロ見てしまった。すまない」
すまない、はどちらかというと言ってはいけない事を言った事に対しての気休めに言ったが、彼女は気付いてないようだった。
「まぁ、確かに一度重心を崩すと私の場合は大怪我だからね。小さい頃はいつも気にしてたな。いつの間にか普通に立ったり」
そういいつつ、立ち上がった彼女は、
「ほいっと、こんな風に座ったり出来るようになったんだよね」
さっと胡座になる。
そうして座った後、沈黙が場を10秒間程制してから、
「その、あー……尾上さん、はさ。私みたいなのと話してて楽しい?わざわざ街の方から電車で山登らせて、来てみたら私はこんなだろ?かたわの女と話してて楽しいか?」
卑屈になりやすい性格なのか、百合さんは自身を貶めるような事を言い出した。
今思えばこれが全ての始まりだし、今の僕がこれを思い出した時、なんでとっさに取った行動がこうだったのかはよくわからない。
だが、彼女を無性に抱きしめてあげたくなったのは事実だった。
「僕は、君とメールを交わせたのがこんなに良かったと思えたのは初めてだ。君と出逢えたのも、あの日文通メールを偶然見つけられたからだ」
そういいつつ、抱きしめていた。
迫ってくる僕を見て、少し驚いたような顔をしていた彼女だが、今抱きしめている間暴れないのは、嫌と思われてないと取ることにした。
「僕はさっきまで君が百合さんだった事に驚いていたけれど、君が嫌だった訳ではないんだ。それに……、君の性格は好きだ」
当時の僕は、ただ思った事を、そのまま言っただけだったつもりだ。
ただ、考えてみればこれは、相手からは告白にしか聞こえなかっただろう。
気恥ずかしさからか、彼女はそれ以上は何も言わなくなった。
そうして、しかしお互いは黙ったまま、返事をせず、また返事を求めない二人はしばらく抱き抱かれる姿勢で、穏やかに流れるリリーマルレーンのレコードが歌う部屋で座っている事にした。
流れるレコードは、僕らを包み込んで、僕はこの時辺りから、彼女を異性として意識していった。