第2話 あの夏の日の、百合の花を見て/Lily Marleneに包まれたなら
山道、といえどもただ傾斜のあるアスファルトを登るのがここまで辛いと思ったのも初めてだ。
焼け付いた地面から来る熱が、僕に汗を流す事を強いてくる。
流れた汗は服に吸い取られて重くなるが、風に触れるとそこそこ気持ちいい。
すぐ先に見える田畑が、人の住む地が近い事を実感させてくれる。
少しだけ軽くなった足取りで、僕は休める所までは歩く事にした。
道を行く途中、何人かの人とすれ違った。
通る人々は、集落の真ん中の方へと行くにつれてだんだん多くなっていったが、しかしそれでもやはり街の人混みに慣れた僕からは少なく感じる。
集落の中心辺りまで来て、疲れ果てた僕は甘味を求めてかき氷の暖簾をくぐった。
その先にあったのは、かき氷の涼しさと、独特な甘い香り。
そして、腕のない女の子だった。
「……余所から来た人かい?」
不意にかけられた言葉に、動揺していた僕の意識は引き戻された。
足を器用に動かして、アイスを食べている女の子をまじまじと見る。
やはり、腕はない。
手術の後がない所を見ると、生まれつきうでが無いようだった。
「珍しいよな、こういう腕してんのは」
驚き戸惑う僕の様子を見ても、嫌そうな表情を見せない女の子は、食べ終わった器にスプーンを戻してこちらに向き、胡座をかいて座り直した。
「……いつまでもジロジロ見られるのも、なんか変な気分だからやめてくれ」
そう言われて、やっと自分がじっくりと彼女の腕を観察していた事に気付いた。
「ごめん、気を悪くしたなら謝るよ」
「いや、いいよ。慣れてるし、この程度別に気にしてないからさ」
体裁を直して謝る僕に、彼女は怒るでもなくただ微笑むだけだった。
「ところで、君は神崎百合さんの家を知ってるかい?僕は彼女に会いに来たんだけれど、生憎村の場所しかわからなくて」
切り出す言葉が見つからなかったので、とりあえず何か言おうとして出た答えがこれだったが、言ってから僕は失礼をしたかと思いはじめた。
だが、そんな心配をよそに彼女は立ち上がり、
「ついてきて。家まで案内するから」
と、そのまま歩いて行ってしまった。
……多分、素で忘れていたのだろう勘定は代わりに僕が払っておいた。
先ほどの場所から2分程で、神崎という表札の家を見つけた。
周りと同じ古民家で、少し庭が広い位。
山からの涼しい風が絶え間なく流れていて、暑さを忘れられるいい場所だった。
ふと彼女の方を向くと、何の遠慮もなく家の中に入っていってしまった。
村社会とは、こういう所が寛容なんだろうかと考えていると、メールが届いた。
…―…―…―…―…―…―…―…―…―…
受信先:神崎百合さん
本文:わざわざお越し頂きありがとうございます。
どうぞ入ってきて下さい。
いつも長いメールを打っていた百合さんにしてはメールは短いが、入る事にした。
引き戸を引き、お邪魔しますと声をかけると、奥の間からリリーマルレーンが聞こえてきた。
レコードの歌声だと気付きつつ、そこに行けば百合さんもいるのではと思い、僕は失礼しますと声をかけてから奥の間へあがった。
襖に手をかけて、失礼しますともう一度言ってみた。
すると奥から、どうぞ、と声が聞こえてきた。
僕は緊張していたが、高ぶる心を冷静に抑えて襖を引いた。
その先にいたのは、かき氷の暖簾の先で出会った、胡座をかいていた彼女だった。
彼女は、少し悪戯な笑みを浮かべて僕に言った。
「初めまして、尾上清彦さん。神崎百合です」
僕をからかってた腕のない彼女の、その微笑む姿に、いつしか僕は恋心を抱いていた。
気付くのは少し先の事になる。