「この白手袋が不貞の証拠ですか?」濡れ衣を着せられた令嬢の代わりに決闘します――剣より先に、婚約者の嘘を暴きましょう
「エミリア・ロゼットは、亡き母の墓参りを口実に、別の男との逢瀬を重ねていた。この白手袋が、彼女の不貞の証拠です」
王都大神殿の神前決闘場で、ロイド・グランベルはそう告げた。
裁定官の脇に立つ神官が、証拠品を収めた黒い箱を開く。
中にあったのは、片方の白手袋だった。手首の内側には、ロゼット男爵家の紋章である白薔薇が縫われている。
エミリアの物で間違いない。
決闘代理人として彼女の後ろに立つ私は、手袋ではなく、それを受け取ったと主張する男を見ていた。
ノア・ベレン。
王都守備隊に属する下級騎士である。
ノアは両手を腹の前で組んでいた。
ただ、右の親指だけが落ち着かず、左手の爪の縁を何度もなぞっている。決闘場へ入ってから、その動きは一度も止まっていなかった。
決闘場の中央では、青白い聖火が燃えていた。
神前決闘では、剣を交える前に双方が主張を述べる。聖火は証言と証拠を聞き、より正当と認めた側へ加護を与える。
もっとも、加護は勝利を約束しない。最後に決着をつけるのは剣だ。
それでも、口上で疑いを晴らせなければ、たとえ剣で勝っても、「力で相手を黙らせた」という評判が残る。
貴族にとっては、神前でどちらの主張が認められたかも、家名とその後の立場を左右する。
本日の裁定官、カイ・レインハルトが黒檀の槌へ手を添えた。
「ロイド・グランベル殿。告発に至った経緯を述べてください」
ロイドは濃紺の礼装を乱すことなく、一礼した。
「三週間前、神殿墓地で働くダリオという男が、私の屋敷を訪ねてきました。婚約者であるエミリアが、毎週水曜、墓地の奥で別の男と会っているというのです」
「その相手が、ノア・ベレン殿ですか」
「はい」
ロイドの声には、深い悲しみがにじんでいた。
よくできている。
婚約者に裏切られた男として、周囲からどう見られれば得になるかをわかっているような声だった。
「私は初め、ダリオの話を信じませんでした。しかし、ノア本人を呼び出して確認したところ、彼はエミリアとの関係を認めました。そして、その証しとして差し出したのが、あの白手袋です」
カイがノアへ向き直る。
「ノア・ベレン殿。神前で偽りを述べぬと誓いますか」
ノアの指が止まった。
「……誓います」
「では、エミリア・ロゼット嬢と知り合った経緯から述べてください」
ノアは一度だけエミリアを見た。
目が合う前に、視線を床へ落とす。
「初めてお見かけしたのは、神殿墓地です。エミリア様は毎週水曜、白い花を持って、亡くなったお母上の墓へ来ておられました」
ノアも同じ水曜に墓地へ通っていたという。
初めは、すれ違う際に会釈するだけだった。それが言葉を交わすようになり、やがて人目を避けて墓地の奥で会うようになった。
そこでエミリアから、婚約への悩みを打ち明けられたのだとノアは話した。
ロイドの前では本当の自分を出せないこと。
自分といる時だけは息ができると言ったこと。
いつか王都を離れたいと願っていたこと。
「私はあなたとお話ししたことはありません」
エミリアの声が、決闘場に響いた。
ノアの肩が小さく跳ねる。
「そもそも墓地ですれ違っただけの方に、そのような悩みを打ち明けるはずがありません」
ロイドがエミリアを見る。
「まだ否定するのか」
「……何を認めろとおっしゃるのですか」
「ノアも、ダリオも、君が嘘をついていると言っている」
エミリアは息を吸った。握った指先が、白くなっている。
「二人で言えば、私がしていないことまで、あったことになるのですか」
エミリアの声はわずかに震えていた。
それでも、目はそらさなかった。
カイがノアへ続きを促す。
「白手袋を受け取った時のことを述べてください」
「三週間前の水曜です。エミリア様が墓参りを終えた後、墓地の奥で会いました」
「本人から渡されたのですか」
「はい。手袋の片方を外して、私に」
「何と言われましたか」
ノアは唇を結んだ。
「グランベル家との婚約を解消したら、一緒に王都を離れてほしいと」
「違います」
エミリアが即座に言った。
「その日、墓地に置いた手袋の片方がなくなりました。私はロイド様にも、グランベル伯爵様にも、神官様にも、そう説明しています」
「婚約者以外の男が持っている手袋を、なくしたと言い張るのか」
ロイドの声から、悲しみが少しだけ消えた。
エミリアは黒い箱の中を見つめた。
「あれが私の手袋であることは認めます。ですが、ノア様へ渡したことはありません」
貴族席の奥から、扇に隠しきれない笑い声が漏れた。
「男爵家の娘風情が、伯爵家との婚約を得たというのに」
「商売で財を成しても、慎みまでは買えないのね」
エミリアの隣で、父親であるロゼット男爵が拳を握った。
けれど、反論はしない。
ここで感情をあらわにすれば、娘を侮辱された父親ではなく、伯爵家に礼を欠く成り上がりものとして扱われるだろう。
墓地の作業員による密告。
相手の男本人の告白。
そして、その男が持っていたエミリア固有の白手袋。
青白い聖火が揺れ、わずかにロイド側へ傾いた。
今の時点では、告発側の話の方が筋が通っていると判断されたのだ。
エミリアの後ろで、ロゼット男爵がゆっくりと息を吐く。
私は一歩前へ出た。
「ここからは王都調停ギルド所属、ユーディット・アルヴァイン。エミリア・ロゼット様の決闘代理人として立ちます」
裁定官であるカイが私を見る。
「口上と剣、どちらの結果も依頼人へ帰することになります。よろしいですね」
「承知しています」
ロイドが薄く笑った。
「没落したアルヴァイン子爵家の令嬢が、今では他家の争いで剣を振るうのか」
家名が社交界から消えても、覚えている者はいるらしい。
「ええ。今は家名ではなく、腕で身を立てておりますので」
私は腰の剣へ手を添えた。
「神前決闘の代理が、今の私の仕事です」
◇
話は五日前に遡る。
そもそも王都調停ギルドは貴族同士の争い、主に婚約や相続、名誉をめぐるものを扱っている。
話し合いや契約の確認、各種の調停を重ねても決着がつかない場合、最後の手段として神前決闘が行われることがある。
しかし、争いの当事者が必ずしも剣に長けているとは限らない。そこで依頼人に代わって神前決闘に立つのが、決闘代理人だ。
私は、その仕事を専門にしていた。
その日の依頼人は、ロゼット男爵家の父娘だった。
ロゼット家は商いで財を成し、爵位を得た家である。古くから続くグランベル伯爵家と争えば、社交界では家格の点から男爵家側が不利になる。
エミリアとロゼット男爵が、応接室へ通された。
「この男性……ノア・ベレン様とは、墓地で何度かすれ違ったことがあります」
エミリアは膝の上で手を重ねていた。
「会釈を返したことはあります。ですが、お名前も、告発を受けるまで知りませんでした」
「話したことは?」
「もちろんありません」
迷いのない答えだった。
「母の墓へは、毎週水曜に参ります。ロイド様も、そのことはご存知のはずです。以前、お伝えしたことがありますから」
その日も、エミリアは白い花を持って神殿墓地へ向かったという。
墓地では、墓前へ進む前に両手を聖水で清める決まりがある。
エミリアは一組の白い手袋を外し、聖水を満たした石の水盤の縁へ並べて置いた。
侍女とともに石段を上がり、母の墓へ向かった。
祈りを終えて戻ると、置いたはずの手袋が片方だけ消えていた。
「管理人の方と侍女にも手伝ってもらい、周囲を探しました。けれど、見つかりませんでした」
「墓参りの間、侍女はずっと一緒に?」
「石段を上がるところまでは一緒でした。祈りの間は少し離れて待ってもらいました」
「その間も、侍女から姿が見えていたのですか」
「墓碑や木がありますので、ずっと見えていたわけではないと思います。ですが、この男性とは会っていません」
エミリアは言い切った。
隣に座るロゼット男爵が、一枚の契約書を机へ置いた。
両家が婚約を結んだ際に交わしたものだった。
ロゼット家からグランベル家へ、すでに結婚支度金が渡されている。
通常の婚約解消であれば返還される。
だが、エミリアの不貞が認められた場合、グランベル家に返還義務はない。さらにロゼット家が慰謝料を負う可能性もある。
「正直なところ金だけの問題なら、まだ諦めても良かった」
男爵は契約書へ目を落とした。
「ですが、してもいない不貞の汚名を、娘に背負わせるわけにはいきません」
エミリアは何度も潔白を訴えている。
ロイドにも、グランベル伯爵にも、大神殿の神官にも。
それでも、ダリオの密告、ノアの告白、白手袋を理由に聞き入れられなかった。
だからロゼット男爵は、自ら神前決闘を申し立てた。
「剣で勝つだけでは足りません」
私は契約書を閉じた。
「今後もエミリア様が社交界で生きていくのであれば、告発そのものが信用できないと、神前で示す必要があります。ただし、調べる時間は五日しかありません」
男爵はうなずいた。
「必要なものは全て用意します。何としても、娘の名誉を守りたい」
私は同席していたモーリスへ告発状を渡した。
モーリスは、貴族とその関係者の調査を担当している。家同士の関係や金の流れ、使用人の経歴、証人の身辺を調べるのが仕事だった。
「まずはノア・ベレンを調べてください」
「何を中心に?」
「エミリア様と関係がないのなら、ノア殿が偽りを述べる理由があるはずです。そこを調べてください」
モーリスは告発状から所属と名前を書き取った。
「守備隊と普段の出入り先を当たります」
「お願いします」
私は神殿墓地の場所を確認した。
まず見るべきなのは、手袋が消えた場所だった。
◇
神殿墓地は、王都北区の斜面に造られていた。
北門を入ると小さな控え所があり、その先に、聖水を満たした石の水盤がある。墓碑が並ぶ上の区画へ進むには、長い石段を上らなければならない。
墓地の管理人は、白髪を頭巾へ押し込んだ小柄な女性だった。
簡単な経緯を含めてグランベル家とロゼット家の係争であることを伝えると、露骨に顔を曇らせる。
「貴族同士の争いに巻き込まれるのは、ご免です」
「見たことだけ話していただければ結構です」
「見たことを話したせいで、仕事を失うかもしれません」
「確かに、その心配はあるでしょう」
私は否定しなかった。
「ですが、何も話さなくても、ダリオはあなたも二人の密会を知っていたと言っています。すでにあなたは関係者にされています」
管理人の眉が動いた。
「私は、そんなものを見ていません」
「では、その事実を神前でも話してください。証人として立っていただけるのであれば、大神殿に保護を求めましょう。あなたに迷惑はかけません」
管理人はしばらく黙っていた。
「本当に、見たことだけでよいのですね」
「それ以外は必要ありません」
「白い手袋を探したことは覚えています。侍女の方が、何度も水盤の下をのぞいていましたから」
「ダリオが来なくなった日は分かりますか」
「それなら日誌にあります。賃金の計算がありますので、欠勤だけは必ず書きます」
管理人は奥の棚から、墓地の業務日誌を取り出した。
開いたページには、翌日からダリオが無断で欠勤していることが記されていた。三日目の欄には、宿舎にも戻っていないと短く書き足されている。
手袋については、管理人自身の記憶を聞くことにした。
たしかその貴族の令嬢は侍女を伴って白い花を持って墓地へ来た。
聖水盤で一組の白い手袋を外し、石の縁へ並べて置いた。
管理人は、聖水を補充するため近くにおり、その様子をなんとなく覚えているという。
二人が石段を上がった後、管理人は自分の仕事へ戻った。しばらくして二人が戻り、聖水盤の周りを探し始めたので、管理人も手を貸したという。
「戻られた時、男が一緒にいましたか」
「いいえ。お二人だけでした」
「その貴族の令嬢と男性が話しているところを見たことは?」
管理人は首を横に振った。
「それらしき人は水曜に来ていたことは知っています。でも、墓参りの曜日が同じ人など珍しくありません」
「聖水盤の近くに、他の者はいましたか」
「たしかダリオが掃除をしていました」
墓地の作業員である以上、そこにいること自体は不自然ではない。
ただし、その日の担当は本来、墓地の奥だった。
なぜかその日に限り本人が同僚に頼み、持ち場を替わっていたらしい。
「ダリオが聖水盤の付近で何をしていたか、見ていますか」
「いいえ。私も自分の仕事がありましたから」
ダリオは、手袋が消えた翌日から仕事へ来なくなった。
宿舎にも戻っていない。
密会を見たとロイドへ報告した人物が、物証へ触れられる場所にいて、その直後に姿を消している。
まだ、手袋を盗んだと断定はできない。
だが、ロイド側が語るほど単純な話ではなかった。
◇
モーリスがギルドへ戻ったのは、その日の夜だった。
「ノア・ベレンには、病気の妹がいます」
モーリスは椅子へ腰を下ろした。
「北区の治療院で長く治療を受けていますが、代金を滞納していました。ところが、ノアがグランベル邸へ呼び出された翌日、未払い分がまとめて支払われています」
「誰が払ったのですか」
「治療費は、匿名の寄付として納められていました」
治療院の職員が、金を届けた商会の使いの顔を覚えていたという。薬や布の納入で何度も出入りしていた男だった。
支払いの日付は、治療院の記録とも一致していた。
「使いは素直に話しましたか」
「まさか」
モーリスは肩をすくめた。
「後でわかりましたが、グランベル家の従者から口止め料を受け取っていました。そこで、こちらから情報料を渡したうえで、このまま隠せば商会ごと大神殿の調査対象になると伝えました」
「脅したのですか」
「まあ多少は。ただこのまま黙り込めば起こり得ることを説明しただけです。偽証への関与を疑われれば、商会の帳簿も荷の出入りも全て調べられます」
モーリスは机に肘をついた。
「そこまで言ってようやく話し始めました。病人の名を書いた紙と金を渡したのは、グランベル家付きの従者だったそうです。使いは何度もグランベル邸へ品物を運んでいるので、顔も名前も知っていました」
従者は、金を匿名の寄付として治療院へ納めるよう頼んだ。
「なるほど。少し見えてきましたね」
ノアがグランベル邸へ呼ばれた翌日に、告発側の従者が商会の使いを介して妹の滞納を解消している。
偶然と片づけるには、時期がよすぎた。
モーリスは、もう一枚の調査結果を机へ置いた。
「それと、ロイドには別の動機もありそうです」
「別の動機?」
「近頃、ラングレー侯爵令嬢へ近づいています。現在の婚約は近く解消されると、ロイドが夜会で侯爵令嬢に話していたそうです」
「侯爵令嬢?」
「侯爵令嬢はかなりロイドにご執心のようです。ラングレー侯爵も一人娘には甘い。ただし、侯爵家は今の段階で表立って婚約を進めるつもりはなさそうです」
「まあ、それはそうでしょう。婚約者のいる男性を娘が奪おうとしたとは、思われたくないでしょうしね」
「ええ。侯爵家が今回の告発に関与したと疑われても困る。決闘の結果が出るまでは、様子を見るつもりでしょう」
「この件は神前で使いますか?」
モーリスが尋ねた。
「動機を示す材料の一つとしてだけです」
私は二通の調査結果を重ねた。
「神前では、ロイド殿が犯人だと証明する必要はありません。エミリア様の不貞を裏づける告発に、信用がないと示します」
◇
決闘場で、私はノアへ向き直った。
「先ほどの証言を確認します」
ノアの右手が、また左の爪へ伸びた。
「手袋を受け取ったのは、三週間前の水曜ですね」
「……はい」
「エミリア様が墓参りを終えた後」
「はい」
「墓地の奥で会い、エミリア様が手袋の片方を外して、あなたへ直接渡した」
答えるまでに、少し間があった。
「その通りです」
「証拠として提出された、この白手袋で間違いない」
カイが黒い箱から手袋を取り出す。
手首の内側に、ロゼット家の白薔薇が見えた。
ノアはうなずく。
「間違いありません」
これで、別の日だったとは言えない。
墓参りの前だったとも、直接受け取ったわけではないとも言えない。
私はカイへ、墓地の管理人とエミリアの侍女を証人として呼ぶよう求めた。
二人が証言台へ立つ。
「管理人。三週間前の水曜、エミリア様が聖水盤へ置いた物を覚えていますか」
「一組の白い手袋です。なくなったと騒ぎになり、私も一緒に探しました」
「その後も、エミリア様をずっと見ていたのですか」
「いいえ。私も仕事がありましたから」
「戻ってきた時は?」
「侍女の方と一緒でした。聖水盤の周りで、何かを探しておられました」
「ノア殿が一緒にいるところを見ましたか」
「見ていません」
管理人が証言できるのは、そこまでだった。
私は侍女へ向き直った。
「墓参りの間も、エミリア様に付き添っていましたね」
「はい。ただ、お祈りの間は少し離れておりました」
「その間、一度も姿を見失わなかったと言えますか」
侍女は迷った末、首を横に振った。
「墓碑や木があります。ずっとお姿が見えていたとは申せません」
ロイドの口元に笑みが浮かんだ。
「ならば、その間にノアと会ったのだろう」
「そんなに長くお姿を見失ったわけではありません」
侍女はロイドへ向き直った。
「お祈りを終えたお嬢様は、すぐに私のところへ戻られました。そこからは一緒に石段を下り、聖水盤へ戻っています。途中でノア様に会ったことはありません」
「あなたはエミリアに仕える身だ。主人を庇っているだけかもしれない」
「その可能性は否定できません」
私が答えると、ロイドは意外そうにこちらを見た。
「管理人も、エミリア様を常に見ていたわけではない。侍女も、祈りの間には短い死角があった。これだけで密会がなかったと証明することはできません」
私は黒い箱の白手袋を見た。
「ですが、ノア殿の証言を裏づけることもできません」
エミリアは墓へ向かう前に、一組の白手袋を聖水盤へ置いた。
戻った時には片方が消えており、管理人と侍女と一緒に探している。
その間、ダリオは本来とは違う持ち場に入り、聖水盤の近くで働いていた。
「少なくとも、エミリア様が手袋を身につけたまま墓地の奥へ行き、ノア殿へ渡したという話には、説明のつかない点が残ります」
ノアの顔がこわばる。
「それでも、エミリア様から直接受け取ったと?」
「……はい」
先ほどより、声が明らかに弱かった。
ロイド側へ傾いていた聖火が揺れた。
傾きはわずかに浅くなったが、まだロイド側に残っている。
私は続けた。
「ダリオは事件当日、自分から持ち場を替わり、聖水盤の近くで作業していました。そして、その翌日から姿を消しています」
「ダリオが盗んだ証拠があるのか」
ロイドが問う。
「今のところはありません」
「ならば、ただの憶測だ」
「告発の出発点となった人物が、物証へ触れられる位置におり、その直後に逃げた。その事実が、証言の信用に関係しないと?」
ロイドは答えなかった。
私はノアへ向き直る。
「ノア殿。あなたには、北区の治療院に入っている妹君がいますね」
ノアの指が止まった。
「治療費を滞納していた。ところが、あなたがグランベル邸へ呼ばれた翌日、全額が支払われています」
ノアは何も言わない。
「金は、商会の使いを通じて、匿名の寄付として治療院へ支払われました」
「商会の使いは、初めは金の出所を話そうとしませんでした。口止め料を受け取っていたからです」
私はカイへ、神殿の事情聴取記録を提出した。
モーリスが使いを特定した後、大神殿が正式に呼び出し、供述を取ったものだ。
「使いは、病人の名を書いた紙と金を渡したのが、グランベル家付きの従者だったと認めています」
ロイドの表情が、初めて硬くなった。
「商会の使いが、私の家の従者から金を受け取ったと話しているだけだろう。その証言を裏づける証拠があるのか」
「使いの供述だけで、あなたの命令だとまでは言えません」
私はノアを見た。
「ですが、ノア殿が証言を引き受ける直前に滞納が解消され、その手配を告発側の従者が行っていた。ノア殿の証言の信用性を考えるうえで、無視できる事情ではないでしょう」
ノアの手は、いつの間にか強く握られていた。
「ノア殿。治療費の支払いと、あなたの証言は無関係ですか」
「……寄付については、何も知りません」
ノアの唇から血の気が引く。
聖火が再び揺れた。
今度は傾きが消え、中央で静止する。
私はカイへ、さらに追加の調査票を提出した。
「こちらは、先月の夜会に出席していた複数の貴族から聞き取った証言です」
カイが調査票を開き、内容へ目を通す。
ロイドの顔がわずかに動いた。
「夜会でロイド殿が侯爵令嬢に対し、『現在の婚約は近く解消される』と話していたことを、自分の耳で聞いたとあります」
「そのようなことを口にした覚えはない。そもそも酒席で交わされた言葉など、証言として信用に値するものではない」
「複数の者が、同じ言葉を聞いています」
私は残る調査票をカイの前へ置いた。
「エミリア様の不貞が発覚する以前から、あなたが婚約の解消を口にしていた。その事実は、今回の告発に至った動機を考えるうえで、無視できるものではありません」
私は最後に、ロゼット男爵が提出した婚約契約書を示した。
エミリア側の不貞が認められれば、すでに渡された結婚支度金は返還されない。
さらにロゼット家側が慰謝料を負う可能性もある。
「ロイド殿。あなたには、エミリア様が不貞を働いたことにする明確な利益があった」
「婚約契約なら、どの家にもある」
「ええ。ですが全ての家で、このような……密告者が急に姿を消し、証人の家族へ告発側の金が渡るわけではありません」
私は聖火の向こうにいるロイドを見た。
密告者は物証へ触れられる位置にいた後、姿を消した。
ノアが証言する直前には、告発側の従者が妹の治療費を手配している。
ロイド自身も、エミリアの不貞が発覚する前から婚約の解消を口にしていた。
「これらを踏まえれば、この白手袋と証言だけをもって、エミリア嬢の不貞を事実と断じるには、あまりにも疑いが残ります」
青白い聖火が大きく揺れた。
「白手袋がノア殿の手に渡ったことと、エミリア様が不貞を働いたことは、同じではありません」
カイが聖火を見つめ、裁定槌を打った。
「ノア・ベレン殿の証言には、看過できない疑いが残ります。したがって、現時点でこの白手袋をエミリア・ロゼット嬢から贈られた不貞の証しと断定することはできません」
聖火がエミリア側へ傾いた。
「決闘代理人ユーディット・アルヴァインへ、小加護を与えます」
腰の剣が、鞘の中でわずかに軽くなる。
カイがロイドを見る。
「告発を取り下げますか」
「取り下げるわけがない」
ロイドは即答した。
ここで退けば、告発の誤りを認めるのと同じだ。
ロイドは腰の長剣を抜いた。
「お前の言い分は全て状況証拠に過ぎない。私の告発が嘘になったわけではない」
「そのとおりです」
私も剣を抜く。
「ですから、最後は剣で決めましょう」
カイの槌が鳴った。
◇
ロイドの剣は速かった。
上段からの一撃を外へ流すと、すぐに横薙ぎが続く。さらに一歩踏み込み、喉元へ鋭い突きを送ってきた。
私は三度受け、二度下がった。
貴族席から見れば、押されているように見えただろう。
だが、まだ私は一度も攻めていない。
ロイドは踏み込む前に、わずかに右肩が上がる。
突きを払われると、必ず左足を引いて構え直す。
刃は重く、速度もある。正規の剣術を十分に修めているのだろう。
ただし、型から外れた後の動きが遅い。
練習試合のみで、実戦を経験していない剣に見える。
四合目。
低い位置からの斬り上げを受け、横へ流す。
五合目。
肩口を狙った刃を半歩退いて避ける。
ロイドの口元に笑みが浮かんだ。
私が防ぐだけで精一杯だと思ったのだろう。
六合目で、見極めはついた。
もう十分だった。
聖火の加護がなくても、負ける相手ではない。
次の突きを外へ弾く。
ロイドが先ほどのように左足を引くより早く、懐へ入った。
柄頭を肘へ当てる。
剣を持つ腕が浮いたところで、手首へ峰を打ち込んだ。
長剣が石床へ落ちる。
ロイドが拾おうと身を沈めた。
その肩口へ切っ先を置く。
攻めへ転じてから、三合もかかっていなかった。
ロイドは目を見開き、自分の剣と私を交互に見る。
「降参を」
カイが告げた。
ロイドは動かなかった。
切っ先を、肩から喉元へ移す。
「次は峰では済みませんよ」
「……降参する」
裁定槌が鳴った。
「神前決闘、勝者。エミリア・ロゼット側代理人、ユーディット・アルヴァイン」
エミリアが、胸元で固く組んでいた両手をほどいた。
ロゼット男爵が、娘の肩へ手を置く。
「裁定を告げます」
決闘庭が静まった。
「エミリア・ロゼット嬢への不貞の告発を棄却します。本件による婚約解消は、グランベル家側の責任として扱います」
ロイドが顔を上げる。
カイは構わず続けた。
「大神殿は、エミリア・ロゼット嬢に不貞の事実が認められなかったことを公示します。結婚支度金の返還と賠償については、貴族法院へ送ります」
白手袋の窃盗と証言への利益供与については、大神殿が引き続き調査することも告げられた。
ロイドはよろめきながら立ち上がった。
そこでようやく、彼はエミリアを見た。
「エミリア、私は――」
「もう二度と私の名を呼ばないでください」
エミリアが遮った。
ロイドの口が止まる。
「私が母の墓へ通っていると話したのは、あなたを信じていたからです」
エミリアは泣いていなかった。
「それを、私を陥れるために使ったのですね」
「話を聞いてくれ」
「話し合うことは、もうありません」
エミリアは父親の腕を取った。
ロイドへ頭を下げることも、もう一度振り返ることもしなかった。
◇
ダリオが捕まったのは、その数日後だった。
王都を出ようとしたところを神殿騎士へ拘束され、白手袋を盗んでロイドの従者へ渡したことを認めた。
グランベル家の従者も、ダリオの買収とノアへの働きかけが、ロイドの命令だったと供述した。取り調べを受けたノアも、治療費を払う代わりにエミリアとの関係を認めるよう求められ、断れば妹の治療を止めると脅されたことを話した。
これを受け、ロイドは伯爵家の後継から外された。ラングレー侯爵家も、グランベル家との交際を断ったという。
ノアは騎士資格を停止され、大神殿での奉仕を命じられた。偽証に加担した責任は免れなかったが、妹の治療を盾に脅されていた事情が考慮され、騎士資格の剥奪まではされなかった。
妹の治療はノアの処罰とは切り離され、大神殿の救済制度と、奉仕に対して支給されるわずかな手当によって続けられることになった。
◇
決闘から十日ほど経った午後、エミリアとロゼット男爵が調停ギルドを訪ねてきた。
男爵は応接室の机へ、貴族法院の印が押された書類を置いた。
グランベル伯爵家に対し、結婚支度金の全額返還と慰謝料の支払いを命じる裁定書だった。
「先ほど、正式に受け取ってまいりました」
男爵は書類へ目を落とした。
「娘に不貞の事実はなかったことも、貴族法院から各家へ通達されます。これで、エミリアの名誉も回復されました」
「よかったですね」
私が言うと、男爵はゆっくりとうなずいた。
それから椅子を離れ、深く頭を下げる。
「娘の名だけではありません。この先の人生まで守っていただきました」
その隣で、エミリアも頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「私は依頼された仕事を終えただけです」
「それでもです」
エミリアは顔を上げた。
決闘場で立っていた時より、表情がやわらかくなっている。
「来週、また母の墓へ参ります」
「お一人で?」
「侍女と一緒に。水曜はやめます」
エミリアは少しだけ口元を曲げた。
「腹が立ちますので」
「それがよいでしょう」
エミリアは最後にもう一度、浅く頭を下げ部屋を出ていった。
二人が帰った後、応接室の椅子に白い花びらが一枚落ちていた。エミリアが持っていた花束から落ちたのだろう。
捨てようとして、やめた。
花びらを依頼書の表紙へ挟んだところで、受付の鐘が鳴る。
私はまだ閉じていなかった棚を見た。
「ユーディットさん、ご相談の方です」
「今行きます」
エミリアの依頼書を収めた棚を閉じ、新しい依頼人を迎えるため、応接室の扉へ向かった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
今回は、一枚の白手袋から始まる濡れ衣と、令嬢の代わりに神前決闘へ立つ決闘代理人のお話でした。
中世ヨーロッパなどで行われていた決闘裁判を参考にしつつ、口上と剣の両方で争う仕組みにアレンジしています。
少しでも面白かった、スカッとした、ユーディットの次の仕事も読んでみたいと思っていただけましたら、評価・ブックマーク・いいねで応援していただけると嬉しいです(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
他にも異世界を舞台にした短編を書いていますので、よろしければ覗いてみてください。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!




