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『地つなぐ者』シリーズ

戦場の空【三題噺】

作者: 駿河晴星
掲載日:2026/01/24

三題噺のお題は「草・空・温める」。

どこで使われているか、探してみてください!

 戦場には、せるような草いきれが立ち込めていた。兵士たちの額から飛び散る汗の匂いや口から漏れる熱い呼気も混ざって息苦しい。


 ワカタケは一瞬、天を仰いだ。短く強く息を吸う。いつものように、水に灰を混ぜたような淀んだ色の雲が空全体を覆っていた。


 前方から喊声かんせいが迫ってくる。新手の敵兵だ。坂の下では、視界を覆うほどの土煙が舞っている。剣先をこちらに向け突撃してくる軍勢の頭には、白い鉢巻が巻かれていた。鉢巻には朱糸で刺繍された横並びの渦巻きが二つ。キビ族が好んで使っている文様だった。


 キビの地の、特に海岸沿いの里は、いつも晴れているのだという。羨ましいことだ。恵まれた天候、肥沃な平地。そして、何より――くにと交易ができる海路。


「ワカタケ様!」


 味方から叫声が上がると同時に、ワカタケは地を蹴った。身を低くして、敵兵の隊列の間に滑り込む。鉄剣をぐと、二人の首から生き血が降り注いだ。斬った瞬間は無防備になるも、味方が補ってくれる。


「ヤマトの若王子わかみこだ!」


 そう叫んだ敵兵を、また斬った。


 先手さきての敵を倒し終わったのか、木の上に身を隠した弓兵による援護も始まった。ワカタケは牙歯きばを覗かせた。今日はヤマトが勝つ。そう確信したとおり、日暮れを待たずしてキビ兵は退き、戦闘は終わった。





 雲が茜色に染まるころ、ワカタケたちは川沿いの野営地に戻った。


 後方支援を任された少年兵たちが夕食の用意に走り回るなか、先に運ばれた負傷兵を手当てしている者もいた。一際背の高い男が、近くにいる少年兵たちに治療の指示を出している。ワカタケはその男に近づいた。


「タキツ」


「ワカタケ様! お怪我は」


「あったら先に帰っているだろ」


「どうでしょうか」


 十のころから四年間、共に訓練を重ねてきたタキツは、ワカタケが痛みを押し殺してでも戦場に残ろうとすることを知っていた。


「剣と鎧をお預かりします。まだ夕食には時間がかかりますから、先に身を清めてはいかがですか」


「ああ」


 返事をしたものの、ワカタケはその場から動かない。


 タキツが首を傾げる。


「どうされました?」


「あー」ワカタケは返り血や砂埃で汚れた頬を掻いた。「ヨモギって余ってるか?」


 タキツの眉頭に皺が寄った。


「どこを痛めたのですか」


「いや、痛めたってほどじゃない。念の為だ」


「またそんなことを言って。あなたは我らの若王子わかみこ様なんですよ」


「戦地じゃ身分なんて一矢の価値もない。それに――」


 大王おおきみは俺が死んだって何とも思わないだろう、とワカタケは思った。父はムキの宮で生まれた腹違いの弟を溺愛している。俺はただの一兵士。父の中で、それ以上でもそれ以下でもない。


 鉄剣の柄を握りしめると、前腕に痛みが走った。


「腕ですね?」


 目ざといやつだ。


「マシキ!」


 タキツは一つ下の兵の名を呼んだが、返事はなく、代わりにワカタケの胸ほどの背丈しかない幼い少年が走ってきた。


「御用があれば、私が!」


 十になったばかりのカチツキである。ヤマト族には、動きに見込みのある子どもを幼いころから訓練し、十歳で戦地へ送る慣習があった。後方支援を任すのだ。


 カチツキはワカタケに憧れていた。成人前から最前線で戦い、武功を挙げてきた王子みこの世話を何かと焼きたがる。今も雀のような丸い目を輝かせて見上げてくるものだから、なんとか誤魔化そうとしていたワカタケの肩から力が抜けてしまった。


「右腕だけだ」


 ワカタケは鉄剣をタキツに預けると、木製鎧を砂利の上に脱ぎ捨てた。汗と返り血で重くなった上衣も筒袴も剥ぎ取り、褌一枚で川の中へ入っていく。水が冷たい。温度差にぶるりと身を震わせる。水中に沈めた顔を手で擦ると、気が晴れた。


 全身を清め終わったワカタケが水から出ると、カチツキが麻布を渡してくれた。


「どうぞ火のそばに」


 火床の傍らにあった岩に腰かける。即席の炉には土器が置かれている。ヨモギの独特な香りが漂ってきた。中は陰になって見えないが、おそらく緑色の水が泡を立てて揺れているに違いない。


 タキツが持ってきた粥を食べている間に、煮出し終わったらしい。


 カチツキは大きな木匙を使って、ヨモギ液を木椀に移した。少し待って、まだ湯気が薄く立ち昇る液の中に麻布を浸す。布を絞ると、緑がかった雫が垂れた。


「どうぞお手を」


 ワカタケは右腕を差し出した。布が患部を温める。血がどくどくと脈打つのが分かる。気を張りっぱなしだったすじが緩み、ワカタケは長く息を吐いた。戦闘に慣れているとはいえ、大人の剣を容易に受けられるほどまだ体ができあがっていない。


 早く年を重ねたかった。


 替え布の用意をしながら、カチツキが嬉しそうに言った。


「ワカタケ様、今日もかっこよかったです」


 ワカタケは驚いて目を丸めた。


「見ていたのか」


「食材を探していたら、たまたま……」


 嘘か真かわからない。


「遠くからですけど、ワカタケ様が次々と敵を斬っていくのが見えました! 私も早く、ワカタケ様のように強くなりたいです」


 ワカタケは何も答えなかった。


 まだふっくらと膨らんだカチツキの頬。幼い彼は戦場を見ても、恐怖より憧れがまさっているのだろう。四年後、成人を迎えたカチツキは戦士となる。そしてその二、三年後には、今のワカタケと同じように、最前線で剣を振るうことになる。


「ワカタケ様?」


 カチツキが不安そうに覗き込んでくる。


「……おまえは、戦いが好きか」


「え?」


「戦場に立ちたいか」


 カチツキは少し考えてから答えた。


「わかりません。でも、ワカタケ様のように強くなって、ヤマトを守りたいです」


 ヤマトを守る。


 そのために戦う。そのために命を懸ける。


 それが正しいことなのだと、ワカタケは教えられてきた。そして実際、ワカタケは戦うことが嫌いではなかった。剣を振るう瞬間の高揚感、勝利を掴んだ時の満足感。それらは確かに、ワカタケに生きている実感を与えてくれた。


 しかし――。


 大王おおきみに……父に認められたい一心で、剣を握り続けてきたことも事実だった。そんな子どもじみたしがらみなどないカチツキのような無垢な少年まで、戦場しか知らない生き方をしていくのだろうか。それが、これから先もずっと続いていくのだろうか。


 ワカタケは薄闇の向こう側に広がる空を見上げた。夜はむしろ、雲のある方が明るかった。雲間から星が輝いているのが見えた。キビの空は今日も晴れ渡っているのだろうか。


「ワカタケ様、布を替えますね」


 カチツキの声で、ワカタケは我に返った。


 カチツキは小さな手をワカタケの腕に伸ばしていた。健気な少年のつむじを見つめながら、ワカタケは唇を固く結んだ。


 せめて、この子が大人になるころには。


 そんな祈りのような思いが、胸の奥でくすぶっていた。けれども、それがどうすれば叶うのか、ワカタケにはわからなかった。


 風が地を這い、舞い上がった火の粉が、もはや月も星もない空へと消えていった。

最後までお読みいただきありがとうございました!


本作は、「草・空・温める」をお題とした三題噺であり、

『地つなぐ者』本編の2年前を描いた外伝でもあります。


↓本編は、ワカタケの腹違いの兄が主人公の物語です。ご興味があればぜひご一読ください。


『地つなぐ者』

https://ncode.syosetu.com/n2281lq/

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