43.前世のせい
「何故クビに? 彼が何かしましたか?」
友香はきょとんとして、立ち上がった美聡に聞き返す。
「あなた……脅されてるのも分からないの? あなたが彼から手を引かないと彼は仕事を失うって言ってるのよ!」
美聡は座っている友香を見下し、勝ち誇ったような表情をしている。
「何故そんなことをするんですか? 」
友香は美聡のクビ宣告に心底驚いて、それ以上言葉が続かなかった。
しばらく、二人の間に険悪な空気が流れるが、応接室の鍵が開く音がして、それはかき消された。
一斉に皆が扉の方に顔を向ける。
「僕は会社辞めてもいいんだよ、美聡さん。友香さんを見つけ出すために入社したようなものだからね」
その声に動きを静止する友香、美聡、秘書の三人。
橘光輝が一人つかつかと室内に入り友香の元に近づく。
「怖かったでしょ。ごめんね、君を試すようなことをして」
「光輝さん……」
友香は光輝に手を差し出され、思わず自身の手をおいた。
そして、立ち上がらせて退室を促す。
「行こうか、僕は本当は今日休み取ってるんですよ」
「え? そうなんですか?」
「また後でゆっくり話そう」
光輝は呆然と立ち尽くしている美聡を見て、切なそうな表情になり声を掛ける。
「ごめんね、メルリ」
そのまま二人は応接室を出ていった。
扉の閉まる音が、美聡の敗北を告げる音に聞こえる。
ーーごめんね、メルリーー
橘のあの言葉を聞いた後、江口美聡は立ち尽くしたまま一点を見つめ微動だにしない。
ーー私はあの言葉を何百回も聞いたことがある。いつ……いつかわからないぐらい遠い遠いはるか昔。私を狂わした言葉。
『ごめん、メルリ』
『君が出会うべき人は他にいたのに』
『僕は違う世界にいるたった一人の人しか愛せない』
ーー 私がどれだけあなたに愛されたかったか。世間では、あなたは「側妃のリリーシャを溺愛している」とか噂されているけど、私はそれが彼女ではないことも分かっていた。たとえ政略結婚だとしても、体をつなげても、子供ができても、家族と過ごしていても、死の直前でも、あなたの心はいつもどこかの誰かを求めていた。
『ハル オークテリシア……陛下』
美聡は、いつの間にか静かに目から幾筋もの涙を流していた。
「お嬢様? 大丈夫ですか? これを……」
美聡は秘書が呼ぶ声で、五感がこの世界に戻ったように感じた。
ーー今のは何……? 幻覚? 幻聴? ……ハルとかメルリとか。誰かの名前?
「お嬢様。とりあえず涙を拭いて、お休み下さい。私から橘様には謝罪の電話を入れておきます。今、彼に他社に引き抜かれると我が社の売り上げが3割ほど減ってしまいます」
「ごめんなさい、私、感情がコントロールできなくなってしまって」
美聡は涙をふきながら、秘書に素直に謝った。
「いいえ、お嬢様は好きになさって下さい。私はその後始末をするのが仕事ですので」
秘書は美聡に微笑んだ後、橘に電話をするために退室した。
※ ※ ※
その後、二人は待ち合わせ場所だった隣のビル内にあるカフェに入り席につく。
すると、すぐに光輝の携帯が鳴り彼はカフェの外に出た。
彼を待つ間、友香は美聡の行動を思い返していた。
(美聡さん、2年間も片思いだったんだ。あんなに社会的地位も高くてきれいで光輝さんに釣り合う人が……)
「ごめんね、待たせた?」
光輝が席に戻ってきて、友香に声をかけた。
「いえ、大丈夫ですか? 会社をクビとか言われちゃって。そんなことになったら、」
「あーー、ないない。美聡さんがつい勢いあまって失言しただけだよ、まだ幼い部分がある人なんだ。気にしないで。今の電話も彼女の秘書が謝ってくれたんだよ」
光輝は軽く友香の心配を払拭してくれた。
そして、なぜか光輝は機嫌がいい。いつもよりお喋りだ。
自分の誕生日にしても楽しそうで明るい。
「今日、いいことありました? ご機嫌ですね、光輝さん」
友香はつられてニコニコ笑いながら、光輝に問いかけた。
「わかる? だって、友香さんがすごく僕のこと好きだってわかったから」
「……何かしましたか? 私」
すると、光輝は申し訳なさそうな声色と表情になり、友香に逆に質問する。
「怒りませんか?」
「……内容によっては怒ります」
「じゃあ、言いません」
「ひどい! これじゃあ気になって気持ち悪いです!」
「怒らないでくれますか?」
「……もーー、しょうがないですね、怒らないから言ってください!」
傍から見れば、ただの恋人同士がいちゃいちゃしている様にしか見えない。
そして、光輝にとっては、このやり取りこそ自分が夢にまで見た光景だった。
しかし、今、運命の人は真剣なのだ、笑ってはいけない、と自分を戒める。
「盗聴器で美聡さんとの会話を全部聞いていました。疾風と一緒に」
「はあ?」
「すみません、僕のことで一生懸命になっている友香さんがかわいすぎてつい……ずっと聞いちゃいました。本当はすぐ僕が介入するつもりで盗聴器しかけたんですが」
「……ひどい! 私一人で必死にあんな美人と戦ったんですよ!」
「ごめんなさい……本当に悪かったと思います」
光輝があまりにも反省した子犬のようにうなだれて体を小さくしているので、こっちがいじめてるみたいな錯覚に陥る。
友香は惚れた弱みで、光輝の罪を許すしかなかった。
「でも、嬉しかったんですよ、幸せでした。友香さんの僕に対しての気持ちが手に取るようにわかって」
「わ、忘れて下さい、恥ずかしいっっ!」
「いいえ、生まれ変わっても忘れません。だって、『橘光輝』を好きになってくれたんですから」
友香はそこで会話を止めた。何か光輝の言葉に違和感を覚える。
「私が他に誰を好きなんですか? 言っときますけど疾風君は『推し』ですからね?」
光輝はそこで顔を赤らめて、バツが悪そうに視線を外す。
「ハ、ハル皇子とか」
「ハル皇子?」
「だって、友香さんはハル皇子を好きじゃないですか」
「好きですよ、今だって好きです」
「僕は……ハル皇子の記憶をもった橘光輝という人間だから、僕自身を好きかどうか不安だったんです」
友香は、光輝には複雑な感情があることを気づいた。
友香にとってはハル皇子の記憶は数ヶ月前の話だが、光輝にとっては、何回目かわからないほどの前世の記憶。
しかも、ハル皇子が好きになったのは、紛れもない友香自身だが、今、目の前にいるのは転生して性格も似てるとはいえ、やはり橘光輝という別人なのだ。
やはり、彼はハル皇子より橘光輝という人間を見てほしかったのだろう。
「じゃあ、出ましょうか。また後でちゃんと話しましょう」
二人はカフェを後にして駐車場に向かった。




