2.推す方と推される方
「今日もお疲れ様、私! よく頑張った!」
22時、野岸友香は、自宅という小さな城の18㎡ワンルームに帰宅した。
トートバッグをほおり投げ、スウェットを脱ぎ捨てたままのベッドにダイブする。
「あのせっかちオヤジめ! 料理をオーダーして5分で料理を提供出来るわけないでしょ! ファストフード店ではないのよ! カスハラもいいところだわ!」
ファミリーレストランでバイトしている大学一年生の友香は、理不尽だった出来事を声に出し、罪のない枕を叩きつける。
……こんな時は!
彼女は元気に飛び起き、スマホを取り出し、ロックを解除する。
スマホの画面には、端正な顔のアイドルが映し出された。
ハンドマイク片手に汗を光らせ、笑顔で手をふっている画像だ。
「はぁ、今日も麗しゅうござりまする……疾風君……」
先日のショーケースでの公式ファンクラブアプリから供給された絶品の一枚。
これがあれば、彼女はありとあらゆる荒波を乗り越えられるような気がする。
いや、事実乗り越えている。
世の中、愛とストレスで構成されているのだ。
私はこの「神」といっても過言ではない存在によって、生かされている。
(これからスーパーで買ってきたお弁当を食べて、シャワーをして明日と戦うために寝るか! )
明日は一限目の必須科目があるから、睡眠6時間取れるかどうか。
友香は半額シールのついた弁当をレンジで温め始めた。
※ ※ ※
「お疲れ様、REDWINDのみんな~」
「あ、橘プロデューサーおはようございます!」
「そんなに緊張しないで! 僕たち年齢はそんなに変わらないのに」
ここは、今、飛ぶ鳥を落とす勢いの「REDWIND」というアイドルボーイズグループの控え室。
これから、事前収録があり、待機している楽屋に彼らのプロデューサー橘光輝が立ち寄ったのだ。
彼はすらりとチャコールグレーのスーツを着こなしている。それは、180センチのやせ型長身の彼にとてもよく似合っていた。
涼しげな目元で終始にこやかな口元は、優しい雰囲気をまとっている。
目鼻立ちもはっきりしていて、彼の方こそ芸能人と錯覚させた。
「疾風は今回高音が多い曲だが大丈夫か? 喉を痛めないように」
「はい、僕の高音の声が使えて嬉しいです」
REDWINDは5人グループだが、ダンスもさることながら、ボーカル力も高く評価されている。
特に瀬田疾風は、ビジュアルもよく可愛らしい性格で、中性的な高音が武器のアイドルだ。
当然人気も高い。
彼は歌うことが大好きで、あるオーディションで落選したが、橘光輝の目にとまり声をかけられた。
そして、橘のプロデュースによりREDWINDはまたたく間に人気を博していった。
2か月後にはライブツアーを控えている。
まだ10~20代のメンバーで構成されているグループは、楽しそうにわちゃわちゃ騒いでスナック菓子を取り合っている。
その様子をSNSにあげるためスタッフがスマホを向けていた。
光輝は微笑ましく若い彼らを眺めながら、デビューまでの道のりに思いを馳せた。
2年前、橘光輝は様々なオーディション会場を回り、心揺さぶられる歌声をもつ少年を探していた。
それは歌が上手いとか高音が出るとか、そんな逸材を求めているわけではない。
自分が欲しているのは「あの歌声」だけだった。
もう一年以上、様々な会場を回り、その原石を探し回っていた。
すると、規模が小さなオーディションではあるが、橘は疾風の歌声を聴き、彼の容姿を見て、衝撃を受けた。
冗談ではなく心臓が一瞬止まった。
自分の細胞全てが彼を探しあてた喜びに震えてた。
ーー見つけた。やっと「『君』に再会できる機会」を得たーー
瀬田疾風は残念ながら、そのオーディションは落ちた。
なぜなら、彼は緊張して自己アピール力が欠けていたからだ。
芸能人になるには、目立とうとする強い意志が必要だ。
しかし、橘光輝にとっては、彼が落選してくれて幸運だった。
残念な結果に少年は簡素な廊下の椅子に座って、うなだれている。
光輝は彼に近づいた。
気配に気づいた疾風は、その人物を見上げる。
「瀬田疾風君だったかな? 僕と一緒に仕事しないか? 絶対に後悔させないよ」
そう言いながら、少年に名刺を手渡す。
疾風は、口を大きく開けて驚き言葉も出ないようだ。
みるみる顔が高揚して赤くなり興奮しているようだった。
「ぼ、ぼく!! さっきオーディション落ちちゃって……それでもいいんですか?」
「落ちてくれて僕にとってはラッキーだよ。君を探してたからね」
「……僕をさがす……?」
光輝ははっと気づいて言い直した。
「いや、君みたいな人材を探してたんだ! どうかな? うちの会社で、僕が初めてプロデュースするアイドルグループの一員としてのデビューなるけど」
「は、はい! よろしくお願いします!」
疾風は即決断した。
なぜなら、名刺には大手芸能事務所の名前が記載されていたからだ。
橘自身は、彼が中心となるプロデュースは初めてだが、ここ二年で数多くのアイドルのプロデュースチームに参加してきた実績があった。
ーー人の心を掌握する作業なんて、どの世界のどの時代も同じだからな。たかが何十万人の人間を夢中にさせるだけ。しかも短期間。なんてことはない。俺にとって、瀬田疾風はただの釣りエサにすぎないーー
橘光輝は爽やかな笑顔を疾風に向けて、会社まで一緒に移動した。




