『牛方と山男とプレスマンの芯』
牛方が牛の背にプレスマンの芯をいっぱいに負わせて、峠を越えようとしていたところ、にわかにあたりが暗くなり、おやまだ日が暮れる自分でもなしどうしたことだと思って、たき火をたいて様子を見ていると、真っ黒な山男がひょっこりとやってきて、勝手にたき火に当たりながら、ああ、うまそうなにおいがするなあ、と言うので、これから荷を峠の向こうに運ぶところだ、と言うと、うまそうだなあ、うまそうだなあ、と何度も言うので、牛方は、大切な荷をやるわけにはいかないと思って、あたりが暗いのは気になっていましたが、そのまま峠を越えることにしました。山男は後をついてきて、うまそうだなあ、うまそうだなあ、と何十回も何百回も繰り返すので、牛方は、仕方なく、プレスマンの芯を一本放ってやりました。
山男は、プレスマンの芯を指でつまんで、すかしたり、においを嗅いだりしていたので、牛方は、このすきにずんずん進んでいったが、やがてぺろりとそれを飲み込んで、ずんずんずんずん牛方を追ってきた山男は、うまかったなあ、うまかったなあ、もっと食いてえなあ、人間のほうがうめえけどなあ、と、もっとプレスマンの芯をくれなければお前を食べる、という脅しをかけてきたので、牛方は、仕方なくプレスマンの芯をもう一本放ってやりました。
そんなことが十万回ほど繰り返され、プレスマンの芯は一本もなくなってしまいました。それでも山男はついてきて、うまかったなあ、うまかったなあ、と繰り返すので、そんなら牛でも食うがいい、といって、牛方は、牛を残して逃げ出しました。牛方が牛を失ったら、方、になってしまいます。元牛方、と言いたいところですが、わかりづらくなるので、牛方、のままで進めます。
牛方は、もう、守るものもないので、走りに走りました。逃げに逃げました。転びに転びました。川まで転げて、渡し守に会いました。山男に追われています、向こう岸まで乗せてもらえませんか。ああ、いいよ、ただ、原文帳屋に頼まれて、原文帳を向こう岸まで運んでいるところだから、手伝ってくれたら乗せてやろう、というようなことで、船に原文帳を積むのを手伝いますと、快く向こう岸まで乗せてくれました。向こう岸では、降ろすのを快く手伝わされました。
渡し守が、次の原文帳を運ぶため、快くこっち岸に戻りますと、快く、山男がやってきて、今ここに牛方が来なかったか、と言いますので、さて、牛方は来なかったな、と答えますと、正直に言わないとお前を食ってやるぞ、と言いますので、はて、食われてもいいが、この原文帳は、向こう岸まで運ばないといけないから、これを運んでくれれば、食われてやらねえこともねえ、と言いますと、これを運ぶのか、わけもねえ、これを向こう岸まで運んだら、きっと食われるか、と言うので、ああ、前向きに検討する、と答えますと、山男は、だまされて、山ほどの原文帳を背負いました。山男が川をずんずん渡っていくところを、渡し守は、船で、後ろから、当たりました。いわゆるひざかっくんというやつです。うっかり転んだ山男は、水を吸って膨れ上がる原文帳に引きずられて、淵に沈んでいきました。
この淵のことを、原文帳淵と呼ぶ人はいませんでした。理由は、諸説あります。
教訓:言いにくい、山男淵のほうがふさわしい、物語の最後に登場しておこがましい、などの説がある。