表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/37

第八章 現実


「体力つけねぇと家にも辿りつけねぇぞ」

「す、すみません……」


何も言いたくはないが、答えない訳にもいかず必死に声を絞り出す。


イリスが降りたのは森の中。暗くなる前にここで夜を明かすという。


「イリスがいるから安心だ」

「どういうことですか?」


水を飲んでようやく落ち着いた私に、ヴァイスは説明した。


「イリスは魔物だ。珍しくもねぇ。ワイバーンは空の強者。だが辺りの動物や魔物なんざ、イリスの気配に怯えて姿も見せねぇ」

「……そうなんですね」


事実かどうかはわからない。けれど、ワイバーンと旅をしている彼の言葉を受け入れるしかなかった。


「寝ていいぞ。俺は様子を見ながら仮眠する」

「すみません」


そう言いながら手を振るヴァイス。その夜は、兎を狩り、彼が捌く姿を「覚えろ」と見せられた。これがこれからの日常なのだと必死に堪えながら観察した。


兎の毛を剥ぐとき、皮膚がべりと裂け、まだ温かい肉が露わになる。刃先が骨に当たると、手に痺れるような硬い感触が返ってきた。血の鉄臭さと焚き火の煙が混ざり合い、鼻を突く。


腹は減り、身体は栄養を求める。塩だけで炙られた兎の肉。噛み締めると肉汁が口の中に広がり、胃がようやく落ち着いていく。自分に何ができるのかを考えずにはいられなかった。


「起きたか?」

「はい、何か手伝えることは?」

「なら、あっちに川がある。新しい水を汲んで来い」


言われた先には透き通った浅い川が流れていた。ヴァイスはこれを知って、ここを夜営地に選んだのだと気付く。水袋をすすぎ、新しい水を汲む。


夜営――それはイリスと旅をする彼の日常。獲物を狩り、水を確保し、交代で夜を見張る。


「早く覚えろよ。夜は無理だがな」

「はい、ありがとうございます」


拾われた身。覚悟を決めてはいたが、私の思い描いた旅とはかけ離れていた。

けれど、コリンは街を出られた安堵の方が勝るらしく、ヴァイスの仕草を必死に盗もうとしていた。


(しっかりしないと)


私は何があっても受け入れると心を固めた。


眠る前、ヴァイスから知識を学ぶ。

コリンは獲物を捌けるようになり、私は手が震えて時間がかかり、途中で刃物を取り上げられた。代わりに薪を拾い、水を汲む。


「どうでしょう?」

「まあ、合格だ。ただ“できるようになった”だけだ」


それでも――ついに自分の手で兎を解体できた。焼かれた肉は相変わらず塩味だけだが、コリンが心配そうにこちらを見ている。彼に「大丈夫」とかけた言葉は、自分に向けた言葉でもあった。


空の旅は唐突に終わった。

ヴァイスの住む家へ降り立ち、初めてそこで「旅が終わった」と気付く。


翼が地を叩くようにたたまれ、草原の風が静かになった。あの理不尽な浮遊感も、耳を裂く風音も消え、ただ虫の声と土の匂いだけが残る。


イリスの巨体から降り立った足は、地面に縫い付けられるように重かった。膝が震えても、もう空は遠い。

(……結局、目を開ける余裕はなかったけれど)


それでも、頬を撫でる風はもう冷たくはなかった。現実に戻ってきた安心と、二度と同じ高みを見られないかもしれない寂しさ。そのどちらとも言えない感情を胸に抱え、私は深く息を吐いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ