第四章 希望
私たちが孤児院へ向かう道中、大きな声で揉めているのが耳に入った。情報のひとつになるかもしれない。声の方へ進む。
店主と客が言い争っていた。立地と周囲の反応から店主の言い分が正しいのは明らか。
ただ、野次馬は面白がっている。――ろくでもない街だ。
「少し離れるので……あそこに隠れててください」
「うん」
戸惑う彼を桶の影に隠し、私は門番のもとに戻って大げさに揉め事を伝えた。
門番はすぐに駆けつけ、店主と客を仲裁。誤解は解け、客は頭を下げて謝罪した。
その帰り際に礼を述べ、再び彼を迎えに行く。
……が、さきほど揉めていた客がこちらへ来るのが見え、私は咄嗟に彼を隠した。
「おう、悪かったな。飯でも食うか?」
――来た。
「うん! たくさん食べたい!」
すぐに彼の腕をつかみ、隠れ場所から引っ張り出す。戸惑う顔に、私は笑顔で先手を打つ。
好機は逃さない。彼がいれば同情も二倍だ。
「僕たち、すごくお腹すいてたんだ。ありがとう!」
おや、耳のことなど気にしていない様子。――当たりを引いたのかもしれない。
祖父の言葉がよぎる。
――善いことをすれば、必ず幸せになる。
(覚えておく。善は武器にもなる。)
連れて行かれたのは広場の屋台だった。
好きな物を選べと言われても、私も彼も見たことのないものばかり。迷っていると、男は勝手にいくつか買ってきた。
「座って食うか」
「うん。ありがとう、こんなにたくさん」
一人では抱えきれないほどの食事を分け合う。甘い果実水、香ばしい肉串。飢えを満たす感覚が胸いっぱいに広がる。
「苦しくなるので、少しずつ、ですよ」
食べ方を知らない彼に声をかけ、手本を見せる。ぎこちない真似が可笑しくて、思わず笑みがこぼれた。
――知らない方が良いこともある。今は忘れよう。
やがて食べ終えると、男は名を名乗った。ヴァイス。行商人であり、揉め事には慣れているという。
それは欠点でもあるが、今の私には理想そのものだ。
「先に帰るぜ。ゆっくり食ってから帰んな」
「ヴァイスさん、お願いします! 雇ってください!」
私は一気に頭を地面に擦りつけた。
額に砂がつく。
――昨日から見てきた。この街では、頭を下げることが「真剣さ」の証になる。
謝罪も懇願も、皆そうしていた。だから、迷わず選ぶ。
「は? なんでだ」
「……僕たち、たぶん。ここじゃ生きていけない」
顔は上げない。不安で声は震える。
――震えもまた、ここでは武器になる。
「いっぱい数えるの得意です。行商には必要でしょう?」
「計算」と言うのはやめた。能力で示せばいい。正確な言葉より、確かな手。
ヴァイスは胸元から巾着を取り出し、貨幣を出し始めた。銅貨、銀貨、刻印の癖で偽造の有無までわかる。
私は言われるまま数を数え、正しく並べてみせた。
――数え間違いは許されない。生きる手を得るための、唯一の証明。
「……困らせてやろうと思ったのにな」
「どうですか?」
演技ではない。不安は本物だ。けれど、退かない。
「いいぜ。ただし――」
「はいっ!」
「報酬はその見た目と、食べもんだ」
「やったぁ! ありがとヴァイスさん! ね、良かったね!」
思わず、彼の手を握る。彼は驚いた顔をしたが、それは悪い驚きではない。
見た目――服、靴、鞄。必要な物を揃える、とヴァイスは言った。
祖父の教えは、やはり正しい。
――善いことをすれば、必ず幸せになる。
それはただの綺麗ごとじゃない。私が選んで使う、生き延びるための道具だ。




