第二十七章 信頼
海を渡る準備が整った。
普段なら近隣の森で軽く飛ぶ程度のイリスは、今回はワイバーン便の停留所に泊まり、魔肉を与えられて鋭気を養っていた。
「長い旅ではこうやって魔肉を食わせないと力が出ないからな」
「よかったな、イリス」
「調教はされていないようだが、イリスは頭が良い。普段から良いものを食べ、よく動いているのが分かる」
飼育専門の職員も、イリスの知能の高さを認めていた。
イリスは言葉を理解するように、微かに尾を振る。
これまでの空の旅でも、旋回の角度や動きに無駄がない。
風や空気の変化を敏感に読み取っていることが分かる。
ヴァイスは親バカのように浮かれ、イリスを褒めるのに忙しそうだった。
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「よし、準備もできた。イリスを信じて行くぞ」
「はい」
空路を少しでも誤れば陸地に降りられない。
イリスを信じるしかない――それでも、夜が来れば海に落ちる可能性があることを思うと、心臓が縮む。
最初の陸地はまだ近く、四つ目の陸地はこれまでの倍の距離だ。
私もイリスを支える方法を考えるが、見失った空路では食料が尽きれば耐えるしかない。
夜目の効かない状況を変える手段は思い浮かばず、歯がゆさだけが残る。
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一つ目の陸地は無人の小島で、ワイバーン便の停留所がある。
そこでお世話になり、イリスも魔肉を補給した。
二つ目は人が住む大陸。
目的地ではないが、減っていた物資をここで補給できた。
イリスは慣れた停留所に泊まり、魔肉を補給する。
三つ目は一つ目と同じ無人の島だ。
翌朝、停留所の職員がイリスの状態を確認し、「問題なし」と告げる。
日暮れまでに次の難所を絶対に越えねばならない。
これまでのような余裕のある空路ではない。
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海の先が遠くまで見渡せる高さまでイリスは旋回し、上昇する。
ここまでずっと地図を握りしめていたヴァイスの手も、いつになく力が込められている。
ヴァイスの声を聞き、イリスは空路を定めた。
「よし、そのままだ」
空を見上げる。天候に変化はない。
だが、海上の雲は刻一刻と形を変え、風向きひとつで状況は一変する。
一瞬の油断が、私たちの命を奪う可能性もある。
コリンも自分の身よりイリスを案じ、進路が逸れないよう目を凝らしている。
余計な声をかければ集中を乱すと思い、私たちは静かに見守った。
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「はぁ、イリス、よくやった!」
目的地の陸地が目に映った瞬間、無意識に込められていた力が抜けた。
職員から聞いていたよりも、イリスは余裕を持って到着した。
イリスも理解したのか、時折高く鳴いていた。
「イリス、ご苦労。今日はゆっくり休め」
イリスは慣れた停留所へ自ら入っていった。
「俺たちは宿屋だな」
長時間の緊張が疲労となって体に残る。
夕食を取り、三人とも「疲れたな」と口にした。
やり遂げた感覚があるため、疲れてはいるが寝付けない夜となった。
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「ここから先も、聞いても変わらん」
朝食を取り、今後の行程を大まかに話すヴァイス。
大陸間の関係から、同じような国が多いと停留所の職員は言う。
ワイバーン便が開拓途中の空路があるという。
地図を見せてもらうと、開拓済みの空路が線でいくつも示されていた。
職員はヴァイスの求める意図を汲み、言葉を続けた。
「それ以外に進めば、可能性はある」
余白の多い地図は金貨四枚。
これまでの情報が書き込まれている。
金貨二枚の地図より大きい。
「余白ばかりの大きな地図だ。…だが、俺はこの旅…いや、ここからは冒険がしたい」
その地図を見ながら言うヴァイスの声には笑いがなく、これまでとは違った覚悟が感じられた。
何があるか分からないからこそ、見捨てるのではなく「ついて来るか」と問う意志だろう。
「行きます」
「私も同じです」
コリンも私も、ついて行かない理由はない。
ヴァイスの表情は、どこかほっとしたように見えた。
ヴァイスは立ち上がり、いつもの安心させる表情はなく、隠せない不安が入り交じっている。
だが、その瞳には「冒険」という言葉に相応しい、未知を楽しむ情熱が宿っているように感じた。
こうして、私たちの冒険が始まった。
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数日間、地図の余白を埋めるように空路を進む。
陸地の上を走り、魔物を狩り、近くの街で素材を売って資金を稼ぐ。
前の大陸と同じ旅が続き、人の暮らしも変わらない。
「ここで周辺を探索するより…進んだ方がいいな」
「そうですね。今のところ聞いた情報でも目新しいものはありません」
街に降りると、面白そうな情報を集めるヴァイス。
イリスも待つ間は空高く旋回し、進むべき空路を探っていた。
ヴァイスの聞き方が可笑しく、聞かれた方も笑い、面白い情報を提供してくれる。
しかしほとんどは土地の食べ物や風習の話だった。
それも旅の楽しみではある。
寄り道ではなく冒険として、私たちは面白い土地に立ち寄り、虫を食べたり変な踊りを踊ったりと、面白おかしく旅を続けた。
ただ、笑顔の裏では同じ大陸ではなく、また海を跨ぐ必要があると感じていた。
ワイバーン便が開拓していない地域を進む…
その考えの先には、誰もが口には出来ない不安が心の奥底で蠢いていた。
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不安を抱えたまま、遠くに広い海が見えてきた。
青く光る水面は太陽にきらめき、波が静かに打ち寄せる。
しかしその果ては見えず、どこまで進めば良いのか分からない。
胸が高鳴ると同時に、不安が忍び寄る。
広大な海は、私たちを飲み込むのか。
それとも――希望を抱かせるのか。




