第十五章 決壊
この日もヴァイスはいつものように行商へと出ていた。
残されたコリンと私は、三日間止まない長雨を前にして不安を募らせていた。
「ヴァイスさん、大丈夫かな」
「イリスは本能があります。身の危険を感じれば、安全な場所に身を潜めると思います」
そう答えてもコリンの顔には、やはり不安の色が滲んでいた。
私は心に余裕が生まれてから、周囲のあらゆるものを観察する癖がついていた。
イリスについても同じだ。
調教を受けていないにもかかわらず、ヴァイスとは言葉を超えた意思の疎通ができている。
確かに、商人が使うワイバーン便と違って乗る者の快適さなど顧みないが、それを差し引いても驚くほど高度な知能を持っていると私は判断した。
ヴァイスが人里で商売をしているとき、イリスは人目を避けて遠くで待機し、合図の笛を聞けば必ず迎えに来る。
最初こそ、その巨体に恐怖を覚えたものだが、次第にその従順さと聡明さに触れ、今では慈しむべき存在へと変わっていた。
「ねえ…ネアム」
「ええ、待避しましょう」
耳のいいコリンが、風と雨の音に紛れて異様な響きを捉えた。
私も耳を澄ませば、山の内部で水が膨張し、岩がきしむ音がわずかに混じっている。
洪水、起こり得るのは土砂崩れ――この三日間の雨を考えれば、山の麓に建つ家が無事で済むとは思えなかった。
いざとなれば私の魔法でコリンだけは守れる。
しかし、家そのものを守りきる力は今の私にはない。
「必要な物だけ、持っていきますよ」
「うん」
私たちは大きめの背負い袋に食料、着替え、そしてヴァイスの大事な物を分担して詰め込んだ。
外へ出ると、すでに地鳴りに似た予兆の音が山から伝わってきていた。
被害が及ぶ位置を想定し、雨に濡れながらも距離を稼ぐ。
幸い近くの人里は高台にある。すぐに被害が及ぶ心配はないとわかり安堵する。
「ここまで来れば大丈夫です」
「もう、帰れないのかな」
「家は建て直せますが…あの場所は」
次の瞬間、轟音と共に土砂が家を呑み込み、すべてを押し流していった。
濁流に混じる木材が砕け散り、かつての日常が無慈悲に失われていく。
残ったのは、記憶の中のこれまでの幸福が満たされた情景だけだった。




