第七話 モブヒロインに足りないもの
――夏休み初日。
そういえば、転生前の記憶を思い出してから初めての長期休暇だ。
大人になると一か月以上休むなんて、休職するか無職になるしか方法がない。この学生の特権を謳歌したいところだが……そんな暇はない。
なぜなら、この夏休みはモブ子ちゃん――じゃなかった。もうモブから脱することを決意した、最上風子という少女を覚醒させなければならないからだ。
そんなわけで、今は近くの河川敷にきていた。
川のせせらぎを横目に眺めながら、一本道を軽くジョギングしている最中である。
もちろん、俺の隣には彼女もいる。
最上さんは学校指定のジャージを着用して、もっさりとひたすら走っていた。
「あ、暑いよぉ……」
「まだ早朝だから大丈夫!」
ちなみに、今の時刻は朝の五時半。
夏は日が昇ると気温が上がって大変なので、運動するならこの時間帯がいいと判断してのことだ。
「なんで佐藤くんはそんなに元気なのっ」
「慣れてるからな」
「意外と早起きなんだ」
「まぁ、そんな感じだよ」
転生前の話だけどな。
前はややブラック寄りの企業に勤めていたので、早朝出勤が当たり前だった。営業職なので出張も多かったし、大変だったなぁ。あの時のことを考えると、この時間帯に起きるくらい平気である。
「はぁ、はぁ……うぅ、疲れるよぉ」
一方、最上さんにとってはしんどいのだろう。
早朝から運動することにも慣れていないようで、膝に手をついて息を切らしている。
まぁ、あまり無理をさせるわけにはいかない。
実はまだ走り出して十分くらいなのだが、そろそろ休憩したほうがいいかもしれない。
「休むか?」
「……えっと」
「全然いいよ。俺の顔色を見なくてもいい。君の判断を否定するつもりはない。この運動がきついなら、明日からやらなくてもいい。だからって俺は最上さんを責めたりしない」
そのあたりは、勘違いしないでほしい。
俺は強制しているわけじゃない。ただ、彼女にお願いされたから、こうした方がいいとアドバイスしただけだ。
「ただ、最上さんが『変わりたい』って言ったから、そのために協力しているだけだよ」
「こうやって運動したら、わたしは変われるの?」
「変われる。だって、最上さん……昨日、言ってただろ? 自分の体型に自信がないって」
「うっ」
俺の指摘に、彼女は痛いところを突かれたと言わんばかりに目をそらした。
そうなのだ。昨日、真田に無視をされた後……彼女が変わる第一歩として、俺はこんな提案をした。
『とりあえず、上のジャージを脱がないか? 制服の方が、真田は好きだと思う』
漫画で読んでいたので知っている。
あいつは思春期の男子高校生。白いシャツに透ける下着とか、膨らんだ胸元とかに、すごく反応するタイプだ。
そういう年頃の男子と仲良くなりたいのなら、せめてスタイルを隠すようなサイズが大きいジャージは脱いだ方がいいと思ったのである。
だが、彼女はそれを断った。
「太っているから、ジャージも脱ぎたくないんだよな。今も、早朝とはいえ暑いのに、上下ともしっかりジャージを着こんでいるだろ?」
「……その通りでしゅ」
あまりにも図星なのか。舌ったらずになっていた。かわいいなぁ。
「じゃあ、運動して悪いことはないよ」
と、口では厳しめのことを言っているわけだが。
実は内心では、こう思っていたりする。
(別に太っているわけじゃないと思うけどな。というか、ムチムチなくらいがちょうどいいのが、どうして女子には伝わらないんだ……!)
最上さんは別に太っていない。むしろ俺は好みですらある。
それなのに、過剰にスタイルを気にしているということは……つまり。
(自信がないんだ。彼女は、自分の肌をさらすことで人に悪く言われることを、恐れている)
結局のところ、それにつきる。
だって、最上さんはかわいい。少なくとも、顔立ちは決してレベルが低いわけじゃない。まぁ、ここは漫画の世界なので、極端に醜悪はないのだが。
とにかく、彼女は自分に自信を持てない限り、ジャージを脱ぐことすらできない。
だったら、運動してダイエットをすればいい。減量すれば、数字の変化が目に見える。それが自信となってくれると、そう思ったのだ。
(外見じゃなくて、内心の変化を期待したいところだが……どうなるかな)
俺としては、がんばってほしいところである。
しかし、彼女がやりたくないのなら、それまでだ。その時はまた、別の方法を考えなければならない。
……なんて、そんな心配は杞憂だった。
「――もうちょっとだけ、がんばるっ。でも、限界がきたら言うね……運動不足も、この夏休みで改善できるといいなぁ」
ギュッと、小さなこぶしを握って彼女は再び姿勢を正した。
その姿を見て、ふとこんなことを思った。
「意外と、根性あるね」
最上さんは、メンタルが弱いわけじゃない。
自信がないだけで、傷ついても再び立ち上がる強さがある。
傷つきやすいのは否定できないが……折れる前に、気持ちを立て直すタイプだ。
「そうかな? えへへ、そうだったらいいね……ありがとう、そうやって褒めてくれると、いっぱいがんばれそう」
「よし。じゃあ、あともう少し走ろう!」
「うんっ。佐藤君、行こう!」
そして俺たちは再び、走り出した。
下ではなく、前を向いて。
メインヒロインへの道を走るかのように。
ひたすら、まっすぐ進む。
そして一週間後くらいから、徐々に変化が出始めた。
「あれ? 最上さん……ジャージ、脱いだんだ」
「う、うん。さすがに、走った後は暑いから」
そして、初めて知ったことがある。
ジャージを脱いでくれたおかげで、漫画を読み込んでいた俺でも知らなかった設定が、一つ開示されたのだ。
(マジかよ。モブ子ちゃんって、巨乳だったのかよ!!)
し、知らなかった。
いつもサイズが大きいジャージを着ていたので、てっきり少しぽっちゃりしているのかなと思っていた。
だが、違う。彼女はどうやら、すごくお胸が大きいようだ。
モブヒロインには、自信は足りていなかったが胸は足りていたらしい――。
【あとがき】
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