第七十二話 力がほしいか?
「うぉおおおおおおおおお!!」
夕暮れの河川敷に、女子高生の咆哮が響く。
犬を散歩していた老人は、それを見て早足になって去っていった。
部活帰りと思わしき中学生の男児たちは、それを見ながら『うわ。あそこにヤバい女がいる』と、恐怖の表情を浮かべて走っていた。
まぁ、気持ちはわかる。
だって、今の氷室さんはどこからどう見ても不審者でしかない。
というか、叫ぶ場所を間違えていないか?
普通、こういう雄叫びって山の上とか、小高い丘とか、あるいは屋上とか……あとは海かな? そういう場所でやっているイメージだ。
川に向かってそんなことするシーン、一度も見たことがないのだが。
「さっくんのあほぉおおおおおおおおおお!!」
それでも、彼女の怒りは収まらない。
近くの石をもう一度拾ってから、川面に向かってアンダースローで投げる。石は五回ほど跳ねてから沈んでいった。叫びながら水切りするな。
「浮気者めぇええええええええ!!」
水切り、意外と気に入ったのか。
叫びながらもなぜかハマったようで、アンダースローで再び投擲。
お。今度は八回。相変わらず、運動神経はいいな。
さすがだ。
(……ふむ)
今、俺は河川敷の土手の上にいる。
学園ドラマでよく主人公とヒロインが一緒に歩いている場所で、氷室さんとは少し距離があった。
今なら、見なかったふりをして彼女に気付かれないよう、帰ることも可能だ。
でも、そんな気はなかったので、むしろ逆に近づいていった。
しばらく観察したい。
なぜなら彼女は、この漫画の正ヒロイン。
最上さんが覚醒するまでは、真田の恋人候補ナンバーワンとしてこのラブコメの中心にいた。
今ではすっかり、最上さんに立場を追いやられているが。
それでも彼女が正ヒロインであることに変わりはない。
今、どんな気持ちでいるのか。
それを確かめるためにも、彼女から数メートルほどの位置まで近づいて眺めることにした。
「五歳の頃にプロポーズしたくせにぃいいいいいいい!!」
幼馴染らしいエピソードを叫びながら、再び水切りに興じる氷室さん。
俺に気付いた様子は全くない。
まぁ、周囲の目を気にしているなら、こんな意外と人が通る場所で叫ぶわけないか。
最初は声をかけるつもりだったが、あまりにも気づかないのであちらから気付くまで待つことにした。
……あ。そうだ。
俺の顔を彼女が知っているとは思えないが……万が一、知っている可能性があると、少し説明が面倒になる。
仮に俺のことを知っているのなら、、最上さんの隣に常にいた男として認識されているだろう。そうなると敵意を向けられそうだったので、正体については伏せておいた方がいいかもしれない。
(……なるほど。そのためのサングラスだったのか?)
なぜ、都合よく変装できるアイテムを所有しているのか。
偶然尾瀬さんからもらったサングラスが、ポケットに入っていることを思い出す。
誘導されているみたいで少し気になるが、まぁいい。
ひとまず、サングラスをかけておこう。
あとは、そうだな……髪型もオールバックにしておくか。普段は前に下ろしているが、少しは変装の手助けとなるだろう。
さて、準備もできたところで。
しかしまだ氷室さんは俺に気付かない。川面をぼーっと眺めて黄昏ていた。
(……相変わらず、素晴らしいデザインだな)
その見た目に、つい見とれた。
モブ子ちゃん過激勢の俺だが、この子のデザインは認めざるを得ない。
透き通るような銀髪と、深紅の瞳が美しい少女だ。
彼女は生まれも育ちも日本人だが、家系に北欧系の血筋も混じっているらしい。その美貌は圧巻の一言で、彼女はとにかくモテる。
決して胸が大きすぎるわけではない。ちょうどいいサイズ感で、身長も平均的。スタイルも細身だがモデル並みというわけではない。しかし、その顔面の強さという一点で彼女は他の追随を許さなかった。
その上、真田の幼馴染という素晴らしい属性まで備えている。
まさしく、正ヒロイン。真田の彼女になるためだけに生まれてきたような存在だった。
だが、夏休み明けに彼女の立場は一転した。
最上風子の覚醒によって、正ヒロインは二番手となって。
そして今、彼女は河原で慟哭しているというわけだ。
「はぁ、はぁ……ふぅ。スッキリし――」
一通り、叫び終わったのだろう。
満足そうに額を拭って、彼女は後ろを振り返る。
そして俺と目が合った。
その瞬間、彼女は……顔を真っ赤にして再び叫んだ。
「ぎゃぁあああああ!! な、なんで人がいるの!?」
いやいや。その驚きは無理がある。
あんなに大声を出していたら、誰かに気付かれるだろ。
……と、ツッコミを入れてもいいのだが。
しかし、今の俺には彼女が驚いていることなんてどうでも良かった。
珍しく俺は……興奮していた。
「素晴らしい」
パチ、パチ。
ゆっくりと拍手しながら、彼女に歩み寄る。
そして、問うた。
「力が、ほしいか?」
気分はさながら、契約を迫る悪魔だった――。
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