第七十話 天使様ですか? いいえ、彼女は元モブ子ちゃんです
俺とは縁のない、名前も知らない黒塗りの高級車の中で、尾瀬さんが綺麗な土下座を披露していた。
あまりにも哀れな姿に、俺は直視できなくなって、そっと視線をそらした。
車の運転席には、尾瀬家の使用人と思わしきスーツ姿の男性がいる。
彼はお嬢様が心配なのだろう。バックミラー越しに、こちら側をチラチラと見ているのが見えた。
み、見ないで!
こんなお嬢様を、見ないで!!
と、心の中で祈ったのが通じたのか。
いや、もちろん偶然だろうが、運転手さんはそれ以降はこちらに視線を向けることなく、前だけを見据えていた。
たぶん、見なかったことにしたのだろう。
できる使用人さんだなぁ、と現実逃避していたのだが。
しかし、尾瀬さんが哀れな姿を見せている現実は変わらない。
「無理なお願いをしていることは承知ですの。でも、わたくしが初めて好きになった殿方で……なんでもしますわ。望むものは、できるだけ用意しますの。金だろうと、権力だろうと、わたくしの手で難しいものなら、お父様に頼んででも……!」
必死だ。
尾瀬さんはそれだけ、真田のことが好きなのだ。
愛情は純粋。しかし実現のための手段が不純でしかない。
お嬢様キャラのこんなところ、見たくなかった。
あまりにも痛々しいその有様に、俺でさえこんなに同情心を抱いているわけで。
俺よりも心優しい彼女が、土下座されて何も思わないわけなかった。
「――顔を上げて」
先ほどまで、おどおどしていたのに。
土下座されてから、最上さんの表情が急に引き締まった。
お金を前にしたときは動揺していた。だが、今はその面影はない。
「お金も、権力も、何も要らないよ」
「だけど、才賀さんのことを――」
「尾瀬さん。わたしの話、ちゃんと聞いて?」
……やっぱりこの子は、優しいな。
尾瀬さんのことを、心から心配している。
見下しているわけでも、俺みたいに同情しているわけでもない。
彼女は、尾瀬さんの気持ちに寄り添って、そっと支えようとしている。
「真田君のことを奪うつもりなんてないよ。尾瀬さん、あなたの恋を邪魔するつもりもないの」
「……でも、才賀さんは、あなたのことを――」
「それは知らない。真田君がわたしのことをどう思っているのかは、分からない。でも、尾瀬さんにハッキリ、こう言えるよ。わたしは、真田君に好意を抱いているわけじゃない、って」
誤解を訂正するように。
尾瀬さんの思い込みを、そっと指摘する。
その上で、彼女は……手を差し伸べた。
「それでも、心配なんだよね? わたしが、尾瀬さんの大好きな人を奪うんじゃないかって、不安なんだよね?」
「ええ……そうですわ」
「じゃあ、一つだけわたしは尾瀬さんに要求するよ。このお願いを聞いてくれたら、尾瀬さんの言う通り、真田君を奪ったりしない。そもそも、奪うとか、そういうことはしないんだけど……これで安心してくれるよね?」
「何を、要求しますの?」
「――友達になってくれる?」
……この子は天使か?
いや、彼女は元モブヒロイン。
今まで誰にも見向きもされなかったような存在だったのに。
しかし、どうしてこんなに他者に対して優しくなれるのか。
その慈愛の心に、尾瀬さんは呆然としていた。
「……ともだ、ち?」
「わたし、尾瀬さんのこと前から好きで……ちょっと怖い時もあるけど、かっこいいなと思ってて」
「わたくしのこと、そう思っていましたの?」
「うん。だから、ダメ……かな?」
「――ダメではありませんわ。ぜひ……ぜひ!!」
そう言って、尾瀬さんは最上さんの差し伸べた手をギュッと握った。
信じられない。まさか、お金で買収されようとしていたのに、いつの間にかすごく心温まるほっこりストーリーになっていた。
(最上さんは、やはり……すごいな)
俺としては、尾瀬さんを含むメインヒロインたちに奮起してほしかったのだが。
しかし、今のシーンを見せられては、それも無理かと諦めそうになっていた。
なぜなら、最上さんの格が違う。
他のキャラたちの言動と比較して、彼女はあまりにも……メインヒロインすぎる。
なるほど。だから、湾内さん、根倉さん、尾瀬さんは最上さんと戦おうとしないんだ。
同性同士で、同じメインヒロインという属性を持っている者たちだからこそ、彼我の差がハッキリと見えているのだろう。
(これは、無理かもしれないな)
最上さんを、真田の巻き込まないようにしたい。
そのために、メインヒロインたちの奮起を期待していた。
だが、彼女たちは諦めていて。
尾瀬さんでさえ、このありさまだ。
だから、もう……メインヒロインたちに期待するのは、やめた方がいいかもしれない――。
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