第五十七話 牙を隠していた子犬
視界の奥に、最上さんがいる。
彼女は誰かを探すように周囲をきょろきょろと見渡していた。
……ん?
まだ、彼女は真田に気付いていないのか?
すぐ近くにいるのに、二人はまだ顔を合わせていない。
ただ、真田は最上さんに気付いているようだ。彼女を見て、どうしようか迷っているように見える。
最上さんの視界に、真田は映っているはずだ。
それでも気付かないということは……別の誰かを探しているということか。
きっと、湾内さんを探している。
あの子は高校生だが、迷子になるほど幼くない。俺が三階にいることも分かっているはずなので、戻ってこようと思えばすぐに来れるはずだ。
しかし彼女は、心優しい女の子である。
むしろ、自分のことよりも、一緒に行動していた湾内さんを心配しているのだろう。
人懐っこいが、おっちょこちょいで目が離せない――そんな子犬みたいな湾内さんが迷子になっていると思っているのかもしれない。
だが、違う。
湾内さんは、そんなに純粋な少女ではない。
彼女は時に、最上さんの優しささえも利用できる狡猾さがある。
なぜなら、湾内美鈴は『メインヒロイン』なのだから。
「風子って、警戒心は強いけど一度仲良くなった相手には無防備よね。あたしの言葉も全部信じてくれたわ。疑うことなく、ぜーんぶ任せてくれた」
慣れ慣れしく俺の肩に手を置いて、湾内さんが囁くようにそう呟いた。
不思議な感覚だ。彼女の意思に悪意は感じないのに、行動に悪意が伴っていて、気味が悪い。
「でも、あの子を連れ出すのは苦労したわよ。トイレから出て、あんたを放置して洋服を見に行きたいって言ったら、すぐに断られたもん」
「最上さんならそう言うだろうな」
「うん。だから、言い方を変えたわ。『佐藤が喜ぶような洋服を買って、サプライズで見せない?』って」
なるほど。
俺のため、という理由付けをすれば、たしかに最上さんは頷いてしまうだろう。
異常なまでに利他的な人間なのだ。誰かのため、という言葉に彼女は弱い。その性質を湾内さんは利用したわけだ。
「……バカに見えるが、なかなか賢いな」
「にひひっ。バカそうでしょ? でも残念。あたしは意外と考えているの……自分のことを、ちゃんとね」
そしてこの子は、最上さんと逆の性質を持っている。
他者のため、という言葉はこの子に存在しない。
全ては『自分のため』という一点に言動が集約される。
「風子はやっぱり、あたしの見立て通り……とっても扱いやすくて、チョロくて、都合がいい女の子ね。ああいう子なら、浮気性の才賀の嫁にちょうどいいでしょ? 才賀を独占したりできないだろうし、なんだかんだ浮気されても謝ればすぐに許してくれそうで、あたしが愛人になってもきっと受け入れてくれる」
だから彼女は、最上さんに目を付けたわけだ。
出会った瞬間から、何か意図がありそうに見えていたが……そういうことだったらしい。
「――俺がそれを聞いて、大人しくしているわけないだろ」
ただ、この子は勘違いをしている。
わんちゃん。君が舐め腐っている目の前の男が、実はこの状況でも動ける意思があるとしたら、どうする?
君にはどこにでもいる平凡な脇役に見えているだろう。
ただ、その正体が実は『転生している』という特異性を持つキャラクターだとしたら、どうなると思う?
答えは、もちろん一つだ。
俺は、最上さんを利用なんてさせないぞ。
『最上さん!!』
三階から、叫べば届く。
休日のショッピングモールは、人が多いが関係ない。
目立つだろうし、少し迷惑をかけることに罪悪感はある。だが、怒る人がいたら、それは後でちゃんと謝る。
しかし今は、俺の存在を最上さんに知らせる。
同時に、真田にも俺がいることに気付かせることで、あいつの動きも牽制する。
そのために、俺がここから叫べばいい。
たったそれだけで、湾内さんの計画は全て瓦解する。
彼女の失敗の要因は一つ。
俺を、舐めていたことだ。
「――ダメよ。邪魔しないで?」
叫ぼうとしたその瞬間。
口元がふさがれると同時に、喉がしめつけられて、息ができなくなった。
「っ……!」
意外だった。
俺の行動さえも、湾内さんは警戒していた。
あんなに舐め腐っていた態度をとっていたはずなのに。
「うん。今の行動で確信したわ。あんたが一番の邪魔者ね」
先程、ベラベラと動機や行動を教えてくれたのも、俺が何もしないと高をくくっていたからだと思っていたのに……どうやら、違っていた。
舐めていた、のではない。
どうやら俺を、試していたらしい――
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