第三十四話 ナンパもされちゃうくらいの美少女
廊下を歩く彼女の足取りは、いつもよりも荒々しかった。
「もうっ。佐藤君の名前も覚えていないなんて、すごく失礼だよ」
最上さんは怒っている。
ぷっくりとほっぺたを膨らませて感情を表現している。それはかわいいのだが、別に怒るほどのことでもないと思っているので、反応に困った。
「まぁまぁ。俺は気にしていないから」
「……わたしが気にするもん」
俺の代わりに怒ってくれるなんて、優しいなぁ。
そういうところも彼女の魅力だ。
あと、それから。
話を変えるみたいで申し訳ないけど、帰宅する前にちょっとだけお願いがある。
「最上さん。お手洗いに行きたいんだが」
ちょうど、トイレの前を横切ろうとしたタイミングでそう伝えると、最上さんは足を止めてくれた。
「あ、うん。分かった、ここで待っているね」
そう言ってから、最上さんはようやく手を放してくれた。
(……手を繋いでいたことに、彼女は気付いているのだろうか)
歩いている最中も視線を集めていた。
最上さんがかわいいから、というだけじゃない。
俺と手を繋いでいたことも、大きな要因だろう。
もちろん、意図して手を握っていたわけじゃない。成り行きでそうなっただけだが、周囲の人間にそれは伝わらない。
結果的に、最上さんが男子と手を繋いで歩いていた、という文言で噂は広まる。
そうなった時に、真田との関係性が悪い方向に動くことを懸念して、俺はトイレに行くことにしたのだ。
(ふぅ……落ち着け。大人が子供に振り回されてどうする)
尿意はなかったので、洗面台で軽く顔を洗って気分を紛らわせた。
冷水、というには夏の気温のせいで少しぬるかった水を浴びたおかげで、少しだけ思考が冷静になれたと思う。
よし。落ち着いて、最上さんとも接しよう。
そうやって、気持ちを整えてからトイレを出たわけだが。
「なぁ、いいだろ? お願いだから、連絡先教えてよ!」
「てか、今から俺たちとカラオケとかどうよ?」
「バイト代入ったからなんか飯とか奢るぜ?」
……目の前で、三年生と思わしき先輩たちが最上さんをナンパしていた。
チャラそうな人たちだ。うちの学校は髪を染めてもいいので、髪色が明るいことは珍しくないのだが、制服の着方がなんか特殊なんだよなぁ。
スーツもそうだが、正装はしっかり着用してこそかっこいいのに。
って、そんなことはどうでもいい。
「え? あ、あの、えっと」
最上さんは、返事に困っていた。
先輩の男子たちを前にして、身を小さくしている。
三人の体で俺の姿も視界から隠れているのだろう。
彼女は俺がいることに気付いていないみたいだ。
このまま無視して帰ることも可能だ。
もちろん、俺がこの状況を無視するわけないのだが。
「先輩たち、どうかしたんですか?」
間髪入れずに、背後から声をかけた。
これでようやく、最上さんも俺の存在に気付いたらしい。
「あっ。さ、佐藤君……!」
安心したように表情を緩めて、先輩たちの間を通って俺のところに来た。
それから俺の腕をつかんでくる。いや、そうやって見せつけると、先輩たちの気分を逆撫でしちゃうから、悪手じゃないだろうか。
あるいは、俺に触れずにはいられないくらい、怯えていたということか。
……もし、俺が主人公なら。
ここで怒りを放出して、最上さんにかっこいいところを見せていたのだろうか。
ただ、元々俺は28歳の成人男性。感情的になるには、少し色々と経験しすぎていた。
「ごめんなさい、俺が今日は一緒に帰ろうって約束してて」
「あ? んだよ、男いるのかよ」
「はい。彼氏なんです」
「こんな地味顔にはもったいねぇだろ。なぁ、最上ちゃん?」
「あはは。地味ってよく言われます」
下手で。かつ、挑発にも乗らず、穏やかな態度で。
人間とは鏡だ。
自分の態度が、そのまま相手の態度に反映されることが多い。
そのせいか、先輩たちも興が削がれたらしい。
「……まぁ、彼氏いるなら仕方なくね? 他の女子誘おうぜ!」
「そうだな。そうするか」
「うぇーい!」
「最上ちゃん、また今度ね~」
意外とあっさり、引き下がってくれた。
こうやってナンパする男性は、実は根が明るいだけのおバカな奴らも多い。
もちろん悪い人間もいる。女性を欲望のはけ口にしか見ていない連中も一定数要るので、一概に良い奴とは言えない。
ただし、まだまだ彼らは高校生。
大人になりかけているものの、ちゃんと子供だ。
素直な一面もあって、良かった。
おかげで穏便にすませることができた。
「か、彼氏……えへへ」
あと、最上さん。
君にも言いたいことがある。
も、もうちょっと、そこは否定してくれてもいいんだぞ?
照れた顔つきを見ていると、勘違いしたくなってしまう。
あと、遅いぞ……真田。
「――お前ら、やっぱり付き合っているのか」
その一言に、俺は小さく息をこぼした。
ああ。もう、なんで今登場するんだよ。
説明が難しいじゃないか――。
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