第百九十六話 ママになれ
涙が止まらない。
最上さんの歌声のせいで、感情が抑えきれなくなっている。
あれだ。娘のお遊戯会で泣いているお父さんと同じかもしれない。
別に泣くようなシーンではないが、愛しい存在の成長を実感すると感情が爆発するのだ。もちろん、悲しみの涙ではない。嬉しさからあふれ出たものである。
そのことを説明したかったのだが。
「――っ」
ダメだ。定期的に嗚咽まで込み上げてくるせいで、言葉が出てこない。
そのせいか、湾内さんは俺が泣いている原因を理解できないようで、混乱していた。
「ちょっ。な、泣かないでよっ。どうしたの? よしよし、大丈夫だからね?」
あと、湾内さんが意外と優しくてちょっとムカついた。俺の頭を撫でながら優しい言葉をかけている。なんでこういう時は情を見せるんだよ。ナマイキなメスガキでいてくれたら、もう少しコメディで仕上げられたのに……後で気まずくなりそうだなぁ。
「佐藤くん、お水飲む? 落ち着いて……深呼吸できる?」
一方、最上さんも優しかった。俺の隣に駆け寄った彼女は、背中をさすりながら飲み物を差し出している。聖母かな? 母性がすごい。ママになってほしいと思ったくらいだ。まぁ、そんなこと言ったらドン引きされるので言わないが……そもそも、言葉を発することができないので、物理的に無理か。
(お、落ち着こう。そうだな、まずは深呼吸だ)
とにもかくにも、まずはこの涙を止めたい。
二人を心配させているこの状況が申し訳なくなってきた。最上さんの言う通り、何度か深呼吸をして、精神を落ち着けようと試みる。
「すぅ……はぁ……ふぅ」
息を整えると、自然と気持ちも楽になってきた。
危なかった。感情が濁流みたいに押し寄せてきて、制御できなかった……最上さんはいちいち、俺の心に刺さる。この子に関することは涙もろくなるから、困ったものだ。
それだけ、思い入れのある存在なのだろう。
「……すまない。取り乱した」
少し時間をおいて、なんとか言葉も発することができるようになった。
しかしまだ、二人とも心配そうに俺を見ている。
「佐藤、大丈夫? えっと……そうだ! とりあえず揉む?」
揉むほどないだろ。
と、普段なら言えるのだが、湾内さんは真剣なので口にはできなかった。
ふざけている提案だが、顔が真面目なんだよなぁ。心配の感情がひしひしと伝わってくるので、たぶん本気で言っているのだろう。
「わ、わわわたしのも、えっと」
いや。最上さんまで便乗しなくていいから。
湾内さんはまだ冗談だとスルーできるが、君が言うと生々しくなるので自重してほしい。
「大丈夫だ。心配かけてすまなかった」
よし。涙はもう止まっている。
声も戻ったので、ここからは問題なさそうだ。
「急にどうしたの? いきなり泣いたからすごくびっくりしたんだけど」
「体調が悪いとか? あ、そういえばお腹が痛いってさっき言ってたよね?」
「いや。体調は平気だ……最上さんの歌声のせいで、涙が止まらなくなったんだよ」
変な言い訳をする必要性もないと思ったので、正直に打ち明けた。
しかしながら、二人とも俺の言葉を理解できていないようで。
「まぁ、下手だったけど……泣くほどではなかったんじゃない?」
「え。そんなに酷かったの!?」
「違う。そうじゃない」
下手くそすぎて泣くなんて、それこそ失礼だしありえない。
俺が泣いたのは、別の理由だ。
「感動したんだよ。最上さんの歌っている顔を見ていると、涙が溢れて止まらなくなった。あの最上さんがカラオケで歌ってる姿なんて、夢でしか想像できなかったからな。昔のことを考えると、ついつい我慢できなかったんだ」
ネガティブな感情による涙ではない。
そのことが伝わったのか、二人ともとりあえずほっとしたように表情を緩めた。
「佐藤くん……!」
「なんだ。そんなことね……心配して損したわ」
「『そんなこと』ではないぞ。最上さんをずっと見ていた俺にとっては、とても大切なことだからな」
最上さんの成長より大切なことなんてない。
この子の健やかな成長を実感した時に、人生で最大の悦びを感じるのだ。
「最上さん。歌、素晴らしかったぞ」
とりあえず、先ほどの感想を最上さんに伝えた。
不安そうにしていた彼女に、ちゃんと教えてあげたかったのだ。
「普通に下手くそだったけど? 少なくとも、人前で歌えるレベルじゃなくない?」
「他人の評価なんて知らん。俺は好きだった。それだけだ」
「……それだけで、わたしは十分だよっ」
俺の言葉に、最上さんはとても嬉しそうに笑ってくれた。
まるで『勇気を出して歌って良かった』と言わんばかりの表情である。
そんな最上さんを見ていると、こっちまでほっぺたが緩んでくる。
やっぱり、最上さんはかわいかった――。
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