第十話 モブヒロインを脱するための第二段階
――夏休みが始まって、三週間ほど経過しただろうか。
早朝の運動にもすっかり慣れたこの頃。
最上さんもジャージの着用を一切しなくなって、半袖姿がデフォルトとなった。ランニングの最中はたわわなお胸をぽよんぽよんと上下に揺らしている。もうすっかり、薄着になることの抵抗感も減ってきたようだ。
「今日もいい運動だったね。はい、お飲み物をどうぞ」
「いいのか? ありがとう」
「いえいえ。いつも付き合ってくれることの感謝、だよ」
なんだそれは。かわいいな本当に。
最上さんの気づかいにほっこりしながら、スポーツ飲料を受け取った。保冷剤と一緒に入れていたのだろうか、キンキンに冷えている。運動で火照った体にちょうどいい。
ランニングを終えた後。
俺たちは休憩もかねて、大きな橋の下で軽く会話を交わしていた。
いつもなら、この雑談を終えたら各々で帰宅するのだが……やはり、最上さんの気持ちが前向きになっている昨今、次の段階に進むべきであること思っている。
彼女が成長しつつある今、ランニングによって得られる効果も少なくなっているように感じる。
モブヒロインを脱するために、必要なものは他にもあった。
だから、そのための準備として、一つやっておきたいことがあった。
「最上さん。午後に時間あるか?」
「午後……もちろんあるよ。どうかしたの?」
「美容室に行きたくてな」
「へー。佐藤君って、意外とオシャレさんだね。美容室で髪を切ってもらってるんだ」
「は? 何を言っているんだ? 髪を切ってもらうのは、最上さんだが」
「――え」
彼女はポカンと口を開いた。
寝耳に水、と言わんばかりである。そんなにびっくりするほどの言葉ではないと思うのだが。
「最初に時間があるかって聞いただろ? 俺じゃなくて、君の話だ」
「む、むむむ無理だよ! わたし、美容室に行ったことないもんっ」
「そうなのか? じゃあ、普段はどうやって髪の毛を整えているんだ」
「それは、その……自分で」
まぁ、なんとなく分かってはいた。
何せ、最上さんの髪の毛は毛量がとにかく多い。前髪こそ一直線に切り揃えられているが、後ろ髪あたりはもさっとしている。
長すぎて手入れも難しいのだろう。枝毛も多くて、ところどころぴょこんと跳ねていた。
もちろん、俺はこの髪型も好きだ。目が隠れるほど長い前髪はもちろん、少しぼさっとしている感じには素朴さがある。あれだ。盆栽の造形に近いかもしれない……という俺の好みはさておき。
「せっかくだし、綺麗にカットしてもらうのも良いんじゃないか? 運動中も暑そうだし」
「たしかに暑いから、もうちょっと短くしたいとは思っているけど……」
なんだかんだ、最上さんも不便さは感じているようだ。
実際、運動の最中も彼女は髪の毛を邪魔そうにしている仕草が何度かあった。それを見たうえでの提案でもあったりする。
しかし、彼女が美容室に行かない理由。
それは……意外性のあるものではなかった。
「わたし、予約の電話なんてできないよ? それに、カットしてもらっている最中のオシャベリとかも、考えただけで緊張して吐きそうになっちゃうの」
最上さんは、ちゃんと人見知りだ。
俺には慣れてくれたおかげか、結構話してくれるのだが……初対面の相手で、しかも美容師なんていうオシャレな職業の人を相手にするのは、なかなか至難だろう。
もちろん、その問題は想定済みだ。
「大丈夫。予約の電話はもうすませてある」
「さ、佐藤君がしてくれたの?」
「うん。あと、俺も同伴するからオシャベリは安心してくれ。ああいう社交辞令しかない場での薄味トークは得意だ。天気の話とか政治の話とか野球の話をしていれば大抵乗り越えられる」
ちなみに俺はまったく人見知りじゃない。
いや、最上さんと同じくらいの年齢の頃は、人と話すのが得意ではなかった。
しかし、大人になって営業部に配属されてからは、人見知りが許される環境ではなくなったのである。新人の時期は大変だったが、おかげで他人とのコミュニケーション能力は発達した。
まぁ、その反動でプライベートは他人と話したくなくて、ゲームや漫画に逃げていたのだが……それは今関係ない。
とにかく、初対面の美容師との会話程度、俺に任せてくれればどうにでもなる。
「俺に全て任せろ。薄味の会話で五時間の飲み会を乗り切ったこと実績がある」
「飲み会? 佐藤君、同級生だよね???」
肉体年齢はな。
でも、精神年齢は違う。
だから、ここは大人の俺に任せてくれ。
と、いうわけで……今日は最上さんの髪の毛を切りに行くことになった――。
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