プロローグ モブヒロインがせっかく覚醒したのに主人公とラブコメしないのだが
「お前……誰だよ」
昼休みの教室。
打ち切りになるはずだったラブコメ漫画の主人公、真田才賀が彼女を見て固まっていた。
それも無理はない。
何せ、彼女はかわいい。艶やかな黒髪に、抜群のプロポーションと、そして長い前髪の隙間から覗く空色の透き通るような瞳は、見た者の心を離さない。
こんな女子、夏休み前までこの教室にいなかった。
だが、俺はこの子の正体を知っている。
彼女は『最上風子』。
原作では誰にも名前を覚えられていないような、モブヒロイン。
ファンの間ではモブ子ちゃんという愛称で親しまれていたが、作中ではとことん不遇だった。
主人公に名前すら覚えてもらえず、ただ遠くから見守っているだけの可哀想な空気キャラだったが……そんな彼女が、今やクラスの視線を独占していた。
それくらい、彼女は綺麗になった。
覚醒して、他のメインヒロインを凌駕するほどの絶世の美少女に化けた。
つまり――ここから、モブ子ちゃんのラブコメは始まるのだ。
「お前は……も、も、本川だっけ?」
ほら、良い兆しだ。
真田が彼女のことをちゃんと認識している。
「いや、違う。もが……もがみ、だ。随分、変わったな」
しかも、名前を思い出した!
よし。今がチャンスだぞ、モブ子ちゃん。
さぁ、自己紹介するんだ。それで晴れて、君はメインキャラへと昇華する
つまり、ここがスタートライン。もう君を『モブ子ちゃん』と呼べる者はいなくなる。
これからは、最上風子がヒロインの一角へと躍り出るだろう。
メインヒロインたちから正式にライバルと認定されて、主人公の真田に誰が選ばれるのか競い合うのだ。
そんな彼女を、影ながら応援しよう。
――この漫画に転生する前の、あの頃みたいに。
……そう、決めていたのに。
「あの、佐藤君?」
「え。なに」
「えっと……外に行かない?」
「ん? なんで?」
「い、いいからっ」
彼女はそう言って、俺の腕をギュッと掴んできた。
その瞬間、真田が大きく目を見開いた。クラスも一気にざわついた。そして俺もびっくりして動揺した。胸が大きいから押し付けるのはやめてね。
というか……おい、モブ子ちゃん。
せっかくのチャンスに何をやっているんだ。
ここから君のラブコメが始まると言うのに……!
「佐藤君に、お弁当を作ってきたから」
「お弁当!?」
その弁当は、真田にあげなくて良いのだろうか。
なんで君は、俺から離れようとしないんだ。
あ、やめて。真田よ、敵意を向けるな。どちらかというと俺はお前の味方で……と、釈明する時間もなく、俺はモブ子ちゃんに引っ張られて廊下へと出るのだった。
「おいっ。最上さん、本当にいいのか?」
廊下を歩きながら、彼女に問う。
「……真田君のこと?」
それ以外に何があるというのか。
「まぁ、うん。別にいい……かも?」
「マジか」
いったいどんな心境の変化があったのだろう。
漫画では、真田のことをあんなに遠巻きに見つめていたのに……今、彼女の目はまっすぐ俺だけを見つめていた。
長い前髪の隙間から、空色の綺麗な瞳がよく見える。
この瞳が何よりも綺麗で、かわいくて……だから俺は、君に夢中になった。
主人公と結ばれて幸せになってほしいと願うくらいには、大好きなヒロインだ。
だから迷う。本当に、真田を無視してもいいのだろうか――と。
「それより、佐藤君にお弁当を作ってきたのは……迷惑だったかな」
あ、まずい。
モブヒロインだった名残で、彼女はまだ自己肯定感が低い。
油断するとすぐに落ち込んでしまう。そういうところもかわいくて仕方ないので、つい俺は本音を言ってしまった。
「あ。それは嬉しい。ありがとう。弁当作ってくるとか、信じられないくらいかわいいな」
「……か、かわいい。えへへ」
すると、モブ子ちゃんは笑った。
モジモジと、照れたように。
それでいて、嬉しそうにほっぺたをゆるゆるにしている。
その表情を見て、俺は多幸感に包まれた。
大好きなヒロインが幸せそうにしていて、嬉しくないわけがない。
でも、うーん……これでいいのかなぁ。
主人公をさしおいて、俺の前でだけこんな表情を見せるなんて。大丈夫なのだろうか。
そのあたりには、やっぱり自信がなかった。
彼女の思いが報われてほしくて手伝ったのに、何やらおかしな方向に物語が動き始めている気がした。
もともとは、打ち切られるはずのラブコメ漫画だったはずなのに。
まさか、俺の介入によって物語が大きく変わることになるなんて……。
覚醒したモブヒロインが絶世の美女に化けて、主人公の寵愛を受ける資格を手に入れたのに、そんな彼女が好きになったのは……脇役の俺で。
まさかそんなことになるなんて、この時はまだ思いもしなかった――。
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