第七話:学寮
ミツシデは、眉間にしわを寄せながら資料の束を指先でめくっていた。職員室の片隅、自分の机に腰を落ち着けたその姿は、すっかり倦んだ大人のそれだ。
「……まったく、リアクションがいちいち騒がしいクラスに配属されたもんだ」
資料を一枚めくってはため息。誰に聞かせるでもない独り言がこぼれる。
「校長はあの連中の中から、どうやって次の“大将”を育てるつもりなんだか……」
そのときだった。
「ん? なんか呼んだかね?」
横から不意に声がした。反射的に顔を上げると、そこに立っていたのはレナード校長だった。
「……いえ、呼んでません」
顔も動かさず、ミツシデは面倒くさげに答える。レナードはミツシデの机を覗き込むようにして、手元の資料に目をとめた。
「おや、それは……一年F組か?」
「はい。担当してるクラスの資料です」
「整理中かね?」
「ええ。次の任務まで少し時間があるので、ランキング順に並び替えてるところです」
資料の束を、机の上に放るように置きながら言ったミツシデ。その動作には、張りつめたものも熱もなかった。ただ日課をこなすように、淡々と。
レナードの声色が少しだけ鋭くなる。
「……で、今の段階で、『伸びる』と思っている生徒は?」
「うーん……まあ、いますけど」
「名前を聞いてもいいかね?」
ミツシデはあからさまに億劫そうな顔をして、それでも口を開く。
「リンユウ・リョウコ、リバーン・ショニト、ソユノ・マイ」
淡々と名前を挙げるその声に、私情はなかった。だが、校長は食い下がる。
「ほう。なぜその三人を?」
ミツシデは椅子の背にもたれて、視線を宙に投げた。
「リョウコは発明の才があるし、支援系の適性も高い。しかも、あのリンユウ家の長女。素材としては申し分ない」
レナードが静かにうなずく。
「ソユノ・マイは……星が有能。伸びしろもある」
「リバーンは?」
「勘です」
答えは即答だった。
レナードが笑う。くつくつと、喉の奥で転がるように。
「素直だねぇ」
「……校長の前ですから」
ミツシデは無感情な笑みを浮かべながら立ち上がり、席を離れようとした。だが、レナードが一歩踏み込む。
「最後に、一つだけ。なぜ、リョウコを捕縛班に?」
ミツシデの足が止まる。わずかに振り返り、答えを落とすように言った。
「サポート役が必要だったんです。ソラと同じ班に。……あの、首席合格者の」
「ソラ、か」
「はい。リョウコがいれば、多少のリスクは抑えられますから」
レナードは言葉を継がなかった。厳しい目でミツシデを見送る。
が、ミツシデはその視線に気づいているのかいないのか、ただ無言で職員室をあとにした。
教室に戻ると、そこは相変わらず騒がしかった。任務とは無縁の話題が飛び交い、まるで市場のように活気づいている。
「――はい。関係ない話はそこまで」
その一言で空気が一変した。喧噪が、さざ波のように引いていく。
ミツシデはため息ひとつ、教壇に立って口を開く。
「班ごとに自己紹介は済んでるはずだ。じゃあ、初任務の説明をする」
黒板に背を向ける。声は変わらず淡々としていた。
「調査班が街の情報を集める。その情報を元に捜索班が犯人の次の行動を探る。そして、捕縛班が先回りして捕らえる。……犯人は、黒いフードを被っているそうだ」
空気が冷え始める。生徒たちの顔に緊張が走った。
「質問は?」
誰も手を挙げない。沈黙。
「……よし。実行日は今週の土日。絶対に間違えるな。今日はここまで。明日は普通科の五教科だ。忘れるな」
それだけ言うと、資料もまとめずに教室を出ていった。足早に、未練も残さず。
数分後。
シュウトはスーツケースを引きずりながら、寮の廊下を歩いていた。手には部屋番号が書かれた紙切れ。
「……809、809……ここか」
木の扉に「809」の彫り込み。間違いない。ドアを開けると――中には先客がいた。
ソファにだらしなく座り、テレビを眺めている見知らぬ男。
(誰だ、こいつ)
一瞬、視線がぶつかりそうになる。シュウトが身構えると、男が口を開いた。
「おいおい、そんな警戒すんなって」
その声は挑発的で、軽い。だが、どこか油断のならない雰囲気をまとっていた。
「君は誰だ? ……この部屋、俺のはずだが」
男は首をかしげ、目を細める。
「ん? ああ……寮って、二人一部屋なんだよ? もしかして……入学式、寝てた?」
「……いや、寝てない」
即答。だが、目を逸らしたその動きはあまりに不自然だった。
男は噴き出す。
「絶対寝てただろ、それ!」
シュウトは苦笑しつつ、ソファの隣に腰を下ろした。
「君の名前は?」
「俺? ケニ・ホールド。ケニでいいよ。一応、同じF組」
ケニは飄々と笑う。だが、その目だけが鋭かった。
「F組だったのか。……知らなかった」
「まあ、班違えば会わないしね」
もう警戒は抜けていた。シュウトもリラックスし始める。
「ところで、寮どう思った? 高すぎじゃね?」
「ああ、確か200階まであるんだっけ」
「それな。学寮もA棟からZZZZ棟まであるし。規模おかしいだろ」
「……道理で迷ったわけだ」
鼻を鳴らすシュウトに、ケニがにやりと笑う。
「ここS棟、学校の真横だけど?」
「……マジで?」
自分に呆れるシュウト。だが、ケニは軽く流した。
「で、寮のルール聞いた? 三つだけなんだよ」
指を立てる。
「一、戦わない。二、ポイ捨て禁止。三、騒音禁止。これだけ」
「ずいぶん自由だな……」
「命賭けて任務こなす連中にまで窮屈強いたら、壊れちまうだろ?」
ケニはそう言うと、ソファに体を預け、あくび混じりに伸びをした。
「……明日は普通の授業……Zzz……」
そのまま静かに眠りはじめる。
「……寝たのかよ」
呆れつつ、シュウトは立ち上がる。部屋の奥を見回しながら、スーツケースを引いた。
(寝室は……どこだ?)
肩をすくめると、そのまま部屋の中を歩き出した。