第五話:所属属素
朝の光が差し込む教室に、シュウトの姿が現れた。
扉を開けると、真っ先に視界に飛び込んできたのは、手を振って駆け寄るリョウコ。
「あっ! シュウトーー!」
「ねぇねぇ! 今日から寮生活だね!」
満面の笑み。目を輝かせて、まるで待ちわびていたかのような声。
「……? そうなのか?」
シュウトの反応に、リョウコの顔がぱっと驚きに変わる。
「えっ!? シュウト、知らないの?」
そのまま、彼女は説明を始めた。
「この学校には、学寮を含めたいろんな施設があるの。その中でも、学生たちがこれから住む場所が“学寮”なのよ」
リョウコは身振り手振りを交えながら得意げに説明していた。話を聞いていたシュウトは、ふと眉を寄せて口を開いた。
「ちなみに、この学校の生徒って何人いるんだ?」
言いながら、記憶を手繰る。
「入学式のとき……ざっと百万人くらいいた気がするんだが……」
すかさずゴトウが口を挟んできた。
「八千万人だな、生徒の数は」
ゴトウは腕を組んで、真面目な顔のまま続ける。
「体育館の広さが約六千万平方キロメートルある。人口密度で計算すると、だいたい一・三人ってところか」
「いや、多すぎだろ……」
顔をしかめながら、シュウトがぽつりと返す。ツッコミというより、呆れに近かった。
「なあシュウト……お前、入学式の話、ちゃんと聞いてなかったんじゃないのか?」
ゴトウが眉をひそめて問い詰める。
「ああ。寝てた」
即答。悪びれる様子もない。
「…………」
言葉を失ったゴトウは、ただ深いため息をついた。
その間にも、教室は少しずつ賑やかになっていく。昨日の顔ぶれが続々と姿を見せ、机に座り、笑い声が飛び交いはじめた。
そして——
カチャン、と教卓側の扉が開いた。
現れたのは担任のミツシデだった。背筋を伸ばしながら、鋭い視線を教室全体に走らせながら、無言のまま足を踏み入れる。
教室のざわめきが、すっと引いた。
「お前らー、席につけー」
気の抜けた声が教室に響く。
ミツシデが前に立つ。ぼさぼさの髪、皺だらけのジャケット。眠そうな目のまま、生徒たちを見渡した。
そのまま淡々と口を開く。
「昨夜、東門の門番だったテンドンが殺された。遺体は――サイコロステーキ状に切り刻まれていた」
教室が凍りついた。
背筋を走る冷たいもの。誰もが一瞬、息を止める。
ざわ……ざわ……と、椅子の軋む音とささやき声が広がっていく。
だがミツシデは、生徒たちの反応などまるで気にせず、続けた。
「加えて、聖騎士団第二隊が襲撃された。そして――第二隊団長、モロイ・ガーナーが殺された」
言葉の刃が、教室を切り裂いた。
一瞬で、ざわめきは悲鳴にも似た動揺に変わる。
「あのガーナー団長が……?」
「嘘……あの人、とても強かったのに……!」
信じられない。冗談だと思いたい。
それでもミツシデの顔は変わらない。眠たげで、無感情で、何もない。
「さて、そういうわけで――最初の任務の内容が少し変更になった」
黒板の前でポケットに手を突っ込みながら、軽く肩をすくめる。
「任務内容は、モロイ・ガーナーを殺した犯人の捕縛だ。初っ端から、けっこうハードだよな。……まぁ、そういうことだから。頑張れよ」
それだけ言って、背中を向けた。
生徒たちは誰一人として言葉を発せなかった。
椅子の上で固まる。目を合わせることもできない。
ただ、現実感のない重さが空間を支配していた。
シュウトは話についていけず、口を開けかけて何も言えずに黙り込んだ。
椅子に背を預けたまま、虚ろな目で黒板の方を見つめていた。
「このあと、お前らの“所属属素”を計測する。九時二十分に体育館へ集合するように」
ミツシデの声は、いつも通り乾いた調子だった。
それだけ告げると、書類をひらりと脇に挟み、くるりと背を向ける。足音も重くなく、まるでこの教室に最初から存在していなかったような軽さで、扉を開けた。
パタン。
静かに閉じられた音が、耳の奥に残った。
張りつめていた空気がほどけていく。
緊張が解けるより早く、生徒たちのざわめきが溢れ出した。
「ハードなんてもんじゃないよ!」
リョウコが椅子に崩れ落ちそうになりながら叫ぶ。
ナオキが腕を組み、表情を険しくする。
「まさか……聖騎士団トップ三の一人、ガーナー団長を殺した犯人を探すことになるとはな」
「強いのか? そいつ」
シュウトがナオキに視線を向ける。声は変わらず落ち着いていた。
ナオキが振り返る。その目が一瞬だけ大きくなった。
「……知らないのか?」
「知らない」
「マジか、お前……」
呆れたように眉をしかめながらも、ナオキはちゃんと答えた。
「ガーナー団長は、聖騎士団最強と呼ばれたバーミヤンの、次の次に強いって言われてる」
「バーミヤンって、あいつのことか」
どこか遠くを見ながら、シュウトが呟くように言った。
「さすがのお前でも、バーミヤンは知ってるか」
ナオキは少しだけ安心したように笑う。
それもつかの間、リョウコが再び、今にも泣き出しそうな声を上げた。
「やだよ……死にたくない……!」
リョウコが顔を伏せたまま、声を震わせる。
「単位取る前に死んだら、せっかく頑張って入学した意味ないじゃん……!」
教室の空気が重く沈むなか、ゴトウが机に肘をついたまま、淡々とした声を落とした。
「……まぁ、仕方ないよ」
彼は顔を上げず、目だけをリョウコに向けた。
「それが課題なら、やるしかないだろ」
言い方に冷たさはなかった。ただ、現実をそのまま言葉にしただけだった。
そのとき、教室のドアがカラリと音を立てて開いた。
「シュウトたちー! そろそろ体育館、行こうよー!」
ソラの明るい声が、重たい空気を少しだけ揺らした。
教室の外から顔をのぞかせ、ひらひらと手を振っている。
「もう? 早いなー」
ゴトウが椅子を押しのけて立ち上がる。肩を回しながら、軽く伸びをひとつ。
「とりま、自分たちの“所属属素”を知りに行きますか」
誰に聞かせるでもない声でそう言って、足を進めた。
リョウコも、ソラに手を引かれるようにして立ち上がる。シュウトとナオキもその後に続いた。
ざわめく教室を背にして、五人はゆっくりと廊下を歩き出す。
空はまだ朝の色を残していた。透明な光がガラス越しに差し込み、足元に影を落とす。
靴音が静かに響くなか、ふと、シュウトが立ち止まり、リョウコの方を見た。
「なあ、ひとつ聞いていいか」
「え? なに?」
リョウコが少しだけ顔を上げる。
シュウトの瞳は、いつもと同じようにまっすぐだった。
彼の口が、静かに開いた。
「そういえば……“所属属素”ってなんだ?」
何気ない声だった。けれど、リョウコはその瞬間ぴたっと足を止めて、シュウトを振り返った。
「ん? ああ、所属属素? ――えっ!? 知らないの!?」
目を丸くして、まるでとんでもないことを聞いたかのように驚いている。
「ああ、知らない。所属属素とは」
問い直すシュウトに、リョウコはぽかんとしたまま数秒固まってから、慌てて説明し始めた。
「えっとね、所属属素っていうのは……自分が得意とする属性攻撃、みたいなものだよ」
「つまり、魔法とか……そういう類の力か?」
「そうそう! そんな感じ!」
リョウコの肩が少しほっと緩んだ。
シュウトは腕を組み、うん、と短く頷いた。
いつの間にか、会話は緩やかに続きながら、五人の足は体育館の入口に辿り着いていた。
その建物は思っていた以上に広く、天井は高く、壁はどこまでも遠く。中にはすでに多くの生徒たちが集まり、色とりどりの制服や私服が群れのようにうごめいていた。
ざわつく中に紛れて彼らも中へと進む。やがて人波が落ち着き、全員が静かにその場に立ったとき——壇上に一人の男が歩み出た。
白い髪がゆっくりと揺れる。長いローブが足元を隠し、無言の圧力のような威厳を放っている。
レナード校長だった。
「生徒諸君」
その声は低く、広い体育館に吸い込まれるように響き渡った。
「君たちは、これからこの学校で暮らしながら、数々の過酷な任務をこなしていくことになる。そのためには、自分が得意とする“属素”を把握しておく必要がある」
誰も言葉を発さなかった。空気が固まっていた。
息を呑む音さえ聞こえるほど、全員が真剣な表情で聞き入っている。
「今から、君たち一人ひとりの“所属属素”を計測する。ただし……くれぐれも、属素でマウントを取ったり、他人を見下すようなことはしないように」
短く、けれど重いひと言。
それだけを言い残すと、レナードはゆっくりと壇上を降りていった。
生徒たちの視線が一斉に向いた先には、巨大な黒い装置が鎮座していた。
無機質で冷たい外観。まるで棺のように、何も語らずそこにある。
人一人が入れるほどの大きさ。中に入ると、自動で計測されるという。
ざわ……と、また小さくざわめきが広がる。
それぞれの心に、期待と不安が交錯し始めていた。
そして、ついにシュウトの番が回ってきた。
無言のまま、装置の前へ歩み出る。周囲のざわめきは遠く、心の奥でだけかすかに響いていた。無機質な黒い箱の中に、躊躇なく足を踏み入れる。
扉が背後で閉まると、中は思っていたよりも暗かった。壁面から淡い青い光が滲み、低く鳴る機械音が静かに空気を震わせる。
しばらく沈黙が続いたのち、装置が反応した。
《――人を検知しました。属素計測中――……終わりました》
どこか人工的で、感情のない電子音。
次の瞬間、正面の扉が音もなく開いた。
光が差し込み、外の空気が流れ込む。シュウトは目を細めながら一歩外へ出ると、すぐ目の前に教師が立っていた。手には一枚の紙。
「はい、これが君の結果だよ」
「……ありがとうございます」
そのまま紙を受け取り、軽く会釈する。目も通さず、ゆっくりと仲間たちの元へ戻った。
「ねーねー、ソラちゃん。所属属素、なんだった?」
軽く声をかけると、ソラが振り向き、笑顔で両手を広げた。
「私の所属属素は、空だったの!」
嬉しそうに胸を張る姿に、リョウコもぱっと表情を明るくする。
「よかったね、ソラちゃん! 空関係の攻撃ばっかり使ってたもんね」
「えへへ、バレてた?」
ふたりの笑い声が、少しだけ場を和らげた。
リョウコがくるりと皆を見回す。
「ねぇねぇ、みんなはどうだったの?」
ナオキが顎を指でかきながら答える。
「俺は炎だった。てっきり“時”かと思ってたんだけどなぁ」
「へぇ、炎なんだ。イメージに合うかもね」
続いてゴトウが小さくうなずいた。
「俺は物理だった。……まぁ、納得いくっちゃいくか」
「ふふっ、なんかそれもっぽい」
そして、視線が自然とシュウトに集まる。
彼は少し間を置いてから、静かに口を開いた。
「俺は……精神? ってやつだった」
「精神か。珍しいな」
ナオキが軽く笑いながらうなずき、それからリョウコの方を向いた。なにかを思い出したように、ふと声をかける。
「そういえば、リョウコの属素は?」
リョウコはにっこりと笑って、両手を腰に当てた。
「えへへ、私の属素はね〜、なんでしょう!」
その得意げな声に、ゴトウが即座に手を挙げた。
「はいっ!」
「はい、ゴトウくん!」
リョウコが教師のように声を返すと、ゴトウは真顔で叫んだ。
「恋!」
「ブッブー! 残念でしたー!」
リョウコが大げさに手をクロスして、×を作る。
「正解は……風でしたー!」
「あ〜〜〜〜! 惜しかったな〜!」
ゴトウが頭を抱え、悔しそうに空を仰ぐ。
そのやりとりに、ソラがくすくすと笑い、ナオキも肩を揺らした。少し前まで張りつめていた空気が、ほんのわずか緩んでいく。
だが、そんな束の間の和やかさは、すぐに消し飛ばされた。
「おーい、お前らー! 集合だー!」
体育館の奥から、どこか気だるげな、けれど通る声が響く。ミツシデだった。