第四話:歓迎会
──校門。
そこにはすでに全員が揃っていた。
「お、来たな!」ゴトウが手を振る。
「ふん……こいつも来るのか」ナオキはいつものように不機嫌そうにそっぽを向く。
「来たね!じゃあ、行こっか!」ソラが手を叩いて笑う。
「わーい!歓迎会だー!」リョウコは両腕を上げて、子どもみたいにはしゃいでいた。
シュウトは何も言わずにうなずき、その輪に自然と加わった。
ぞろぞろと一行は歩き始める。
やがて道は賑わう街から外れ、薄暗い路地へ。
雑多な建物の隙間を縫うように進みながら、誰もが口を閉ざした。
そして――
「あった!ここだよ!」
ソラが指差したその先には、ネオンの看板が煌々と灯る一軒の店。
「歓迎会って言うから、てっきりどこかのレストランかと思ったが……」
シュウトは入口の暖簾を見上げてつぶやいた。
そこは酒臭い居酒屋だった。
店内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
明るく、熱を帯びた声と、香ばしく揚がる音、酒の香りとジュースの甘い匂い――すべてが雑然と調和していて、不思議と居心地が悪くない。
店の名は「清酒龙」。どこか異国の響きだが、温かみのある木製の内装と飾られた風鈴、手描きのメニューにどこか懐かしさすら感じる。
「歓迎会って聞いてたから、高級レストランかと思ったが……」
シュウトは天井のランプを見上げながら、呆れたように呟いた。
「ああ、うちにそんな贅沢できるほどのお金はないわよ」
ソラがくすっと笑い、肩をすくめる。
「それにね、ソラちゃんのお店って、すっごい人気なの!」
リョウコが勢いよく横から割って入り、拳を握って謎の誇らしさを見せた。
「ここのお店はソラちゃんのお父さんが経営してるの。だから常連さんはソラ父ちゃんの知り合いが多いの!」
「まぁ、結局知り合いばっかりなんだけどね」
ソラが少し照れたように笑うと、奥のカウンター席から酒のグラスが鳴る音がした。
「おっ!ソラちゃん、おかえり!今日は友達を連れて歓迎会するんだって?」
陽気な声が飛ぶ。奥の席に座っていた男が片手にグラスを持ち、立ち上がる。
着ているのは仕事帰り風のスーツ、だがネクタイはほどかれ、完全にくつろいでいる。
「お!いつもの面々と……そこの黒髪の子は新しい友達かい?」
「うん、今日友達になったシュウトっていうの」
「そうかい、ソラちゃんと仲良くしてやってな!」
男はシュウトの肩をポンと叩くと、また笑って席に戻った。
それだけで済まない。
次々に客たちが「よう来たな!」「新入りか!」「よろしくな、シュウトくん!」と声をかけてくる。
誰もが、まるで旧知の友人のように自然に接してくるのが不思議だった。
「……おい。ここにいる全員、お前の父親の知り合いなのか?」
「うん!ここにいるのは、全部お父さんの知り合いだよ!」
ソラが悪びれもせずに笑う。
シュウトは静かに周囲を見渡した。
テーブル席もカウンターも、隅っこの座敷も、びっしりと客で埋まっている。
全員が、彼女の「父親の知り合い」。
「これ、席空いてるのか?」
ゴトウが声をかけたとき、ソラは振り向きざまに満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫! お父さんに頼んで予約席とってあるから!」
その自信たっぷりな声に、ゴトウはちょっと驚いたように眉を上げたが、すぐに軽く頷いた。
店の奥から現れたのは、エプロン姿の店主だった。ガタイの良い店主の低い声が、店内に響く。
「おう! おかえり、ソラ!」
その声に反応して、ソラが手を振る。すると店主の目がゴトウたちに移り、さらに笑みが深くなった。
「お、なんだ? 今日は新しい友達を連れてきたのか?」
「うん!」
ソラが元気よく返すと、店主は「そうか、そうか」と何度も頷きながら、シュウトに目を向けた。
「仲良くしてやってくれよ!」
シュウトは一瞬言葉に詰まりそうになったが、店主の穏やかな目がそれを許さなかった。ただ、軽く頭を下げる。それで十分だった。
席に着くと、ソラが立ち上がり、自然と仕切り役になった。
「よし! みんな座ったね。何のジュースがいい?」
メニュー表がテーブルの上をすべるように渡されていく。
「はいはい! 私はコーヒー牛乳! コーヒー多めで!」
一番に声を上げたのはリョウコだった。勢いよく手を挙げて、顔が少し赤くなっている。
「リョウコちゃんはコーヒー牛乳ね。ゴトウは?」
「俺は……そうだな……よし! サイダーで」
「サイダーね!」
ソラは頷きながら、視線をナオキへ送った。
「ナオキきゅんは何にするの?」
リョウコが茶化すように身を乗り出す。
「俺は水でいい」
ナオキの声は静かだったが、リョウコがすぐにかぶせた。
「えー! せっかくの歓迎会なんだから、何か飲もうよー!」
沈黙。ほんの数秒だけの間だったが、ナオキの頬がわずかに赤くなったのをソラは見逃さなかった。
「……じゃあ、コーヒー牛乳で」
「リョウコちゃんと同じね。シュウトは?」
ソラが最後に視線を向けると、シュウトはゆっくりとメニューを置いた。
「最近マンゴージュース飲んでないから、それで」
「わかった! すぐ持ってくるわね!」
そう言ってソラは立ち上がり、弾む足取りで厨房へと向かっていった。空気が少しやわらかくなる。まるでこの空間だけが、世界から切り離されたように、とにかく心地よい。
「さて、シュウト」
唐突に声をかけたゴトウに、シュウトは眉をひそめた。
「……なんだ?」
「せっかく友達になったんだし。出身地くらい教えてくれないか?」
その言葉に、シュウトはわずかに肩をすくめた。
「……サンドル村」
「どこそれ?」
「東大陸の、名前もないような小さな村だ。聞いたことなくて当然だ」
「へぇー、そうなんだ」
ゴトウが呟くと同時に、入口の方からトレイの音が近づいてきた。
「お待たせー!」
ソラが片手で大きなトレイを掲げながら、ニコニコと戻ってきた。その上にはジュースがぎっしり並んでいる。
「コーヒー牛乳二つと、サイダー、マンゴージュース!」
ひとつずつ丁寧に配っていく。
「お、サンキュー」
受け取ったゴトウが軽く片手を上げた。
「ご注文の品は以上でよろしいですか~?」
ソラがちょっとふざけた口調で訊ねると、間髪入れずにリョウコがにやりと笑った。
「んー……あと一品。ソラちゃんの笑顔!」
「へっ……? え、ちょっ——あっ、やだ!」
リョウコの指が素早くソラの頬をつまんで引っ張った。両手でぐいっと左右に引き上げる。抵抗するソラの顔が、妙に間抜けな笑顔に変形していく。
「ほら! にぃーってして、にぃー!」
「やっ……やめてよ、リョウコちゃんっ!」
ジタバタするソラの動きに、テーブルが少し揺れた。
「ぷっ……あははは! なにその顔!」
堪えきれず、ゴトウが大笑いする。
「ねぇっ! 笑わないでよっ!」
ソラは頬を真っ赤にしながら抗議するが、顔がひきつってうまく怒れない。
「……ふん。くだらない」
そう呟いたナオキも、口元だけはゆるんでいた。ほんの少しだけ。
賑やかな笑い声。弾む言葉。弾けるような空気。
その中心にいながら、シュウトは少しだけ輪から距離を取った目で、テーブルを眺めていた。
(……騒がしいな。でも……嫌じゃない)
あの静かで、冷たくて、重い空間とはちがう。
誰かの声に重ねて笑う誰かがいる。ただそれだけのことが、こんなにも違う。
時はゆっくりと流れていった。
気づけば、テーブルの上には空のコップや皿が積み重なり、ジュースの甘い香りと食後の余韻が漂っていた。
そろそろ、終わりが近い。
そんな頃合いに、ソラがふと思い出したように声をかけた。
「そういえば、シュウトの両親って何してるの?」
問いは無邪気だった。ただ、答えはそうじゃなかった。
「……俺の両親は義両親だ。」
「えっ!? そうなの!?」
ソラとリョウコの声が重なった。驚きと戸惑いが混ざった声。
ゴトウとナオキは黙ったまま、ただ目だけが動いていた。
「そして……8年前、モンスターに襲われて、二人とも死んだんだ。」
シュウトの声は、淡々としていた。ただの事実を述べるように。
その瞬間、時間が止まったようだった。
喧騒は消え、誰の手も動かず、誰の口も開かない。
「……なんか、ごめん」
ソラの声だけが、その沈黙を割った。顔がうつむいている。声が小さい。
「いいんだ。別に気にしてはいない。」
視線を上げたシュウトの目は、まっすぐだった。
でも、まっすぐすぎて何も映っていないようにも見えた。
空気が重いまま、誰も次の言葉を探せずにいた。
「……そいつが気にしていないなら、もういいだろ」
ナオキの声がその空気を切り裂いた。
「何か楽しい話でもできるやつはいないのか?」
間を待たず、勢いよく手が挙がる。
「は、はい! 私、面白い話持ってるよ!」
リョウコが元気よく叫んだ。目を輝かせて、椅子から身を乗り出す。
そして、少し照れたように笑いながら、話し始めた。
「最近ね、近くの有名な占い屋に行ったんだ」
リョウコがぽつりと口を開いた。
「占い屋? なんて名前だ?」
ナオキが少し身を乗り出す。
「ほら、生屋ってとこ!」
「“絶対当たる”って噂の……あの店か?」
ゴトウが眉を上げると、リョウコは勢いよく頷いた。
「そう!そこ!でね、未来を占ってもらったの」
その言葉に、全員の目がリョウコに集まった。さっきまでの重い空気が、少しずつ変わっていく。
「占い師がさ、私の未来を詩で教えてくれたの。二句あってね、まず一句目はこう——」
皆に緊張がはしる。
ただ、リョウコの声だけが静かに響いた。
「青月が見える頃
故郷は終焉を迎える
真実は貴方の心に指し示し
貴方は脆く朽ち果てる
火縄銃が撃たれる中
命を絶とうとする
音がする」
沈黙。テーブルの上に置かれたグラスの中の氷が、かすかに音を立てた。
「……うまいとは言えないな」
ぽつりと、シュウトが言った。
「まあ、たしかに」
ソラが笑いながら肩をすくめる。けれど、その笑みもどこかぎこちない。
「でもさ、当たるんだよ。これが。不思議でしょ?」
リョウコは自分でもよくわかっていないというように、首をかしげる。
「二句目は?」
ナオキの声が静かに伸びた。
「えっと……忘れた!」
あっけらかんと笑うリョウコ。けれど、少し照れたようなその笑顔に、誰もつっこまなかった。
「だからさ!今度みんなで行こうよ、生屋!」
ぱっと場の空気を変えるように、リョウコが明るく言った。
「未来が分かるなら……行ってみるのも悪くないな」
ゴトウが頷いて、テーブルの面々を見渡す。
「どうする? お前ら。俺は行くぞ」
「うーん……みんなが行くなら、私も行く!」
ソラが即答したあと、隣の二人に目を向ける。
「シュウトとナオキは?」
「俺も……行くよ。みんなとなら」
ナオキが目をそらしながらぼそっと答えた。
その隣で、シュウトはしばらく黙っていた。
そして、短く言った。
「俺は……遠慮しておく」
「そっかー……」
リョウコの声が少しだけ沈んだが、すぐに明るく切り替えた。
「じゃあ、私たちで行ってみよう!」
彼女の笑顔がふわりと広がる。
こうして——
騒がしく、時に重たく、でもあたたかい時間は終わりを告げた。
歓迎会は、静かに幕を閉じた。
夜の港に、潮の香りと血の気配が滲んでいた。
東の門。
その前を、黒いフードを被った少年が歩いていた。赤い髪がフードの隙間からわずかにのぞいている。年のころは十五くらい。
ただ、その歩みには――人間らしい温度がなかった。
門番の男が気づいたのは、ちょうどその影が門前を通り過ぎようとしたときだった。
「おーい? そこの君!ここでなにしてるの? 夜の港は危険だから近づかない方がい……い……」
風が吹いたかのような音がした。
バラバラバラッ
門番の体が崩れ落ちた。肉が、骨が、皮膚が、まるで紙のように断たれ、地面に転がる。
返り血は、まったく飛んでいない。
その場には、ただ黒いフードの男だけが立っていた。首を軽く傾け、倒れた肉塊を一瞥し――ゆっくりと歩き出す。
「……あぁ、殺戮と行こうか」
その呟きに微かな笑みがにじんだ。夜風がその声をさらっていく。