第二話:入国
「だから、このバッジが偽造ではないことを証明してください!」
怒気を含んだ声が、東門の前に響き渡った。
門の前では、黒いジャージ姿の男――ロバート・シュウトが、門番と激しく言い争っていた。
腰には抜き身の剣。普通なら、そんな武器を持って入国など許されない。
だが、彼にはそれを許される理由があった。
胸元には、新入生バッジ。ペドラー帝国軍事任務学校に入学を許された証だ。
「俺はこの国の軍事任務学校の新入生だ。ほら、これがバッジだ。見えないのか?」
「見えますよ!ですが、それが本物かどうか――それを証明できたら通してあげますって言ってるんです!」
門番は苛立ち気味に言い返す。無理もなかった。
今日は入学案内の封筒を忘れてきたという、シュウト側の不手際だ。
「話が通じないな……責任者を出せ」
「話が通じないのはあんたの方だよ!」
睨み合いが続く。周囲には小さな人だかり。
剣を帯びた男が一人で騒ぎを起こしていれば、目立つのは当然だった。
そのときだった。
「おい、これは一体なんの騒ぎだ?」
落ち着いた、しかし空気を裂くような鋭い声がした。
振り返った人々の目が、次々と見開かれていく。
白銀の鎧に身を包み、腰に佩く剣はどの騎士のものよりも清廉で、重々しい威圧感を纏っていた。
風も、光も、その男を中心に動いているように感じられる。
その姿には、威厳と静謐があった。まるで神の化身のような存在感。
――リトダ・バーミヤン。
ペドラー帝国聖騎士団団長。帝国最強の聖騎士にして、国民の誰もがその名を知る男が、今そこに現れた。
「バーミヤン様!ちょうどいいところに!」
門番――テンドンが、まるで神にすがるような声を上げた。
バーミヤンは騒ぎの中心に視線を落とし、眉一つ動かさぬまま問いかける。
「テンドン。何があったのか話してみろ」
テンドンは一息に説明した。
剣を持った黒ジャージの男、提示された新入生バッジ、だが封筒がない――そのため身分の証明ができず、揉めているのだと。
静かに話を聞いていたバーミヤンが、ふう、と深く息を吐いた。
そして一歩、シュウトの方へ近づき、冷ややかに言い放つ。
「すまないが君。どこの蛮族か知らないが、ここは君のようなやわな人間が来るところではない。帰りたまえ」
シュウトの表情が動く。ゆっくりと、口の端が吊り上がった。
「貴様こそ、どこのへっぽこ騎士か知らんが、俺に指図できるほどの地位を持っているのか?」
「持ってるとも」
「いいや、持ってないね」
ピキンッと、空気が割れるような音がした気がした。
互いに一歩も引かず、睨み合う。額と額がぶつかるほど接近し、声を荒げるでもなく、ただ静かに火花を散らしていた。
門番・テンドンの背筋に、冷たい汗が伝う。
まるで――鷹と虎が、牙と爪を交えんとしているのを、ただ見ているしかない小動物の気分だった。
(ダメだ……これ、巻き込まれたら死ぬ)
「俺は貴様と口喧嘩している場合じゃないんだ」
「同感だ。さっさと片をつけようか」
次の瞬間、バーミヤンの右手が動いた。
聖剣が鞘から抜かれ、その刃が陽の光を受けて煌めく。音もなく、静かに、しかし確かに戦の気配が満ちていく。
テンドンは青ざめながら、心の中で叫んだ。
(やめてくれ……!この場所で神と悪魔の決闘はやめてくれぇぇ……!)
「二人とも、やめなさい。こんな公共の場でみっともないですよ。」
その静かな声は、まるで喧騒に冷水を浴びせるように、場を凍らせた。
白髪の老人が杖をつきながら、ゆっくりと歩み寄る。だがその姿に弱さはない。
バーミヤンが振り向き、瞳を見開いた。
「あなたは……レナード校長!?」
その名を聞いても、シュウトは顔をしかめたまま呟く。
「ん? 誰だ?」
「知らないのか、貴様!?」
まるでこの世の理を知らない子どもに怒る教師のような顔で、バーミヤンが吠える。
レナード・リヒター――ペドラー帝国五大将の一人。
帝国の歴史に名を刻む伝説の兵士であり、いまだ現役の最高戦力。だがその正体は、シュウトが入学を許された軍事任務学校の校長でもあった。
「お前が入学する学校の校長だぞ!なぜ知らない!?」
「いや、名前は知っていたが……まさか校長とは思わなかった」
「えぇ……(困惑)」
レナードは、ふっ、と吹き出すように笑った。
「ははは、生意気な若造じゃないか。でも、気に入ったぞ。そいつは、わしが直々に入学させてやる予定なんだ」
「なんだと!?」
バーミヤンの声が裏返る。
「ロバート・シュウト。そいつの義両親は死んでしまってな。わしが立派な兵士に育ててやるんだ」
「なんだと!?」
「あなたか。俺に手紙を送ったのは」
「そうじゃ。わしが、お前さんに送った」
レナードはいたずらっ子のように笑いながら、門番に視線を移した。
「さあ、門番君。そこを通してくれ」
「待ってください、レナード様!そいつは……」
「なにか問題があるかね?」
レナードの目がわずかに細まり、声が低くなる。
門番は背筋を伸ばしたまま、顔面を蒼白にして答えた。
「いえ……何もありません……」
二人が門を越えようとした、そのときだった。
「待ってください、レナード校長」
鋭く冷たい声が、レナードの背を打つ。
振り返ると、バーミヤンの目がまっすぐにシュウトを射抜いていた。
「そこの蛮族と、手合わせを願いたい」
「手合わせがしたいだと?」
レナードの眼差しが変わる。今度は、確かに興味を持った者の目だった。
バーミヤンは一呼吸おいて、口を開く。
「私は、そこの蛮族と手合わせしてみたいのです。それに、そいつの実力を測るにはいい機会でしょう」
「……わかった。君とシュウトの手合わせを許可しよう。確かに、シュウトの実力を測るいい機会だ」
「ありがとうございます、レナード校長」
言いながら、バーミヤンはシュウトに向き直った。
その顔に浮かんだ笑みは、相手の骨の一つでも折ってやろうという意志がにじんでいた。
「貴様の負け顔、拝んでやるからついてこい」
「負け顔を拝むのは俺だ」
互いに火花を散らしながら、言葉を交わす。だがそれ以上の挑発はせず、静かに歩き出す。
後を追うシュウト。その後ろをレナードが満足げに歩いていく。
やがてたどり着いたのは、城壁内に設けられた手合わせ専用の訓練施設――
外見は学校の少し広めの体育館といったところだが、中は全く別の世界だった。
分厚い魔力結界で囲まれた競技場。木の床は使い込まれて艶を失っているが、その分だけ多くの剣がここで交差したことを物語っていた。
木剣を手に、二人の戦士が向かい合う。
バーミヤンが一歩前に出て、静かに言う。
「貴様がどれほどの実力の持ち主か、見せてもらう。ルールは簡単だ――どちらかが一発入れたら勝ち」
「わかった。さあ、来い」
シュウトは余裕の笑みを浮かべ、挑発するように手のひらで合図を送った。
しかし、バーミヤンは微動だにしない。構えたまま、一歩も前へ出てこなかった。
その沈黙に、シュウトの眉がわずかに動いた。
(……来ない?)
少しの不信感と、じれったさが胸をかすめる。
「ふんっ!」
踏み込みと同時に、シュウトの木剣がうなるように振り抜かれた。
狙いはバーミヤンの胴。真っ向からの打ち込み――しかし、次の瞬間。
「――いない!?」
風を切る音だけが残り、標的の姿は消えていた。
刹那、気配を感じて振り返る。そこには――バーミヤン。完全に背後を取られていた。
ガンッ!!
反射で振り返りざまの受けを打つ。木剣が激しくぶつかり合い、鈍い音が訓練場に響いた。
間一髪。だがシュウトは冷や汗を流す暇もなく、目を走らせる。バーミヤンの姿は……また、消えていた。
「どこへ消えた、へっぽこ騎士!」
シュウトは吐き捨てるように叫ぶ。「まさか、真正面からの斬り合いが怖いのか?」
空間のどこからか、声だけが返ってくる。
「怖い?ああ、そうさ。俺は斬り合いが苦手だから、後ろから攻撃するんだよ」
「へっぽこ騎士じゃなく、腰抜け騎士だったとはな」
挑発に、バーミヤンはまったく動じなかった。むしろ――微笑んでいた。
「何度でも言うがいい。我が朧流派に勝つことはできん」
声が、まるで霧のように四方から漂ってくる。
気配も足音も残さずに移動するその剣技――それが、朧流。姿を消し、影をまとい、風のように敵を刻む技法。
だがシュウトの目は、わずかに光を宿していた。
(なるほど。見えない)
シュウトの呼吸が荒くなっていた。汗が額をつたう。背後から放たれる鋭い一撃、それを受け止めるだけで精一杯だ。既に何度も斬撃を受け、木刀を握る手も痺れていた。
バーミヤンが静かに笑った。そしてとうとうその姿を見せた。
「さて、そろそろ飽きてきた。我が奥義を見せてやろう」
「奥義だと?」
言い終えるより早く、シュウトの視界が揺れた。目の前に立っていたはずの男が、二人に増える。どちらも輪郭が滲んでいる。動悸が早まった。
「……なんだこれは……」
「『朧』。我が流派の奥義だ。さぁ、どれが本物かな?」
次の瞬間には、分身がさらに増えていた。シュウトの周囲を囲むように、幻のバーミヤンたちがゆっくりと動き出す。そのうちの一体が、殺気を孕んで踏み込んだ。
シュウトの眼が鋭くなる。
木剣を逆手に持ち替えると、ためらいもなく――放った。
ブンッ!
木剣が空気を裂き、真っ直ぐに飛ぶ。
「!?」
それは幻ではなかった。本物のバーミヤンが反応するよりも速く、剣は彼の腹を打ち抜いた。
「ぐ……バァッ!?」
バーミヤンが崩れるように倒れる。
場に静寂が落ちた。
レナード校長が唇の端をわずかに動かす。
「……全力を出していない、か?」
倒れたバーミヤンが呻きながら起き上がる。怒気を押し殺しきれず、シュウトを睨みつけた。
「貴様……武器を投げるとはどういうつもりだ!」
シュウトは少し肩をすくめると、鼻で笑った。
「敗者が何か言ってるな」
「ふざけるな!もし偽物に当たってたらどうする気だった!」
「そん時は、そん時だ」
バーミヤンが歯噛みする。怒りの感情が爆ぜる寸前――
「二人とも、やめなさい」
レナード校長の声が響いた。場の空気がぴたりと凍りつく。その視線がシュウトに向けられる。
「シュウト。なぜ、本物のバーミヤンだとわかったのかね?」
静まり返る空間に、レナード校長の穏やかな問いが落ちる。
だが、返ってきた言葉はあまりにあっさりしていた。
「……勘。それだけだ」
その瞬間、レナードの眉がわずかに跳ね上がる。隣のバーミヤンは、思わず一歩引きかけた。
「……勘、だと?」
場に沈黙が降りる。木剣の音も、風のざわめきも、今は遠い。
レナード校長はしばらく沈黙したまま、シュウトをじっと見つめていた。そして、ぽつりと呟いた。
「……バーミヤンの奥義を、勘で見破った……というのか」
その呟きには、驚きと、ほんの少しの喜びが滲んでいた。
沈黙を破ったのは、再び校長だった。
「まぁ、よい。手合わせ……お疲れ様」
微笑を浮かべながら、柔らかい声で言う。
「バーミヤン。少し、ここに残ってくれないか」
「……レナード校長。なぜですか?」
まだ不満の色が残る顔で、バーミヤンが尋ねる。
「君と話しておきたいことがあるんだ」
「……承知しました」
短く答えるバーミヤンの表情から、感情が読み取れない。だが、彼の胸中はきっと嵐のようだろう。
「シュウト、君は先に外で待っていてくれ」
「……わかった」
短く返すと、シュウトは無言で木剣を置き、手合わせ場を後にした。
扉が静かに閉じられ、場には再び静寂が戻る。
その場に残されたのは、レナード校長と、敗北を喫した聖騎士バーミヤンの二人――。
「バーミヤン。なぜ全力で戦わなかった?」
手合わせ場に残された静寂の中で、レナード校長が静かに問いかけた。声には、わずかに叱責の響きが混じっている。
バーミヤンは黙って俯いていたが、やがて唇を動かした。
「……あいつが、自分は強いと誤認するように仕向けたかったからです」
その声には冷えた憎しみが滲んでいた。
「なぜそんなことをする必要がある?」
レナードの声に戸惑いの色が混じる。だが、バーミヤンは顔を上げると、感情のこもった言葉をぶつけた。
「あいつは……うざいんですよ。自分より強い相手に出会って、さっさと死ねばいいんです」
静寂が落ちる。
レナードは深く、長く息を吐いた。そして、厳しい眼差しをバーミヤンに向ける。
「まったく……君という剣士は、それでも聖騎士団の団長なのか」
バーミヤンは唇を噛み、何も答えなかった。
レナードはそれ以上何も言わず、背を向け、静かに歩き出す。
外へと出た校長の目が周囲を捉える――だが、そこにいるはずの人物の姿は見当たらない。
「……シュウトはどこへ行った?」
訝しげに周囲を見渡すその時だった。門の向こうから、両腕いっぱいに荷物を抱えた少年が現れる。
「悪い。近くのジュース専門店で買い出しをしてたんだ」
袋の中には色とりどりの瓶。いずれも高級品ばかりだ。
レナード校長は眉をひそめながら、ため息混じりに言った。
「勝手な行動は控えてもらいたい」
「すまん」
短く謝るシュウトだったが、手にしたジュースはなかなか手放そうとはしなかった。
――こうして、シュウトとレナード校長はペドラー帝国軍事任務学校へと足を進めた。