大家族ドキュメント
『自分にとって家族とは何か……ですか。そうですねぇ、うーん……絆……ですかね。自分と、この社会を繋げてくれる存在、え? もっと普通の感じでいい? いや、インタビューってこんな感じじゃないですか? ほら、黒い背景で椅子に座ってさぁ』
『もーう、お父さんったら、試合前の格闘家じゃないのよ!』
『あはははは!』
『ははははっ!』
『ふふふっ』
小さな平屋に、にぎやかな笑い声が響く。男四人、女四人の八人家族。初のテレビ番組の密着取材に皆、少々浮かれ気味であった。しかし、無理もない。食卓を囲みながら、大家族に密着したドキュメントバラエティ番組を見るたびに、「うちもいつかは……」「でも八人じゃちょっと数が足りないかな……」「出たいなぁ……」とぼやくだけだった。それが、ついに自分たちが出演する日が来たのだから、笑い声のトーンが一段高くなるのも当然。狭い居間の窓がビリビリと震えるようだった。
『いやー、うちにもついに密着がねぇ。あれかな、少子化だから八人家族も珍しいのかねぇ。あ! うちは庭に犬もいるけどね! ほら、ワンワンってはしゃいじゃって、ははは! それで、いやー、どうもどうも、一家の大黒柱でっす! それで、お兄さんが撮ってくれるんだね? でも、一人? カメラ一台だけ? ああ、うち単独の番組じゃないの。ふーん、あ、そうなんだ。いやぁ、しかしね、はははは! ついつい喋り過ぎちゃうよねぇ!』と父。
『そうねぇ、うふふ、カメラの魔力ってやつかしらねぇ、その調子で綺麗に映してくれたらいいんだけど、うふっ』と母。
そう……彼らは喋り過ぎた。そのことが後にあんな不幸を招くとは、この時は家族の誰も予期していなかった。
『いってきまーす!』
『あなた、いってらっしゃーい!』
『おとうさん、いってらー!』
『ワゥ! ワゥ!』
密着初日の朝。家族に見送られ、前を向いて歩く父親。彼はそのまま歩いて駅を通り過ぎ、家の最寄り駅から二つ先の駅の近くにある大きな公園へと向かった。
――結構歩かれましたね。
『ふー、ああ、すみませんね。疲れたでしょう。ま、とは言ってもね、そっちがついてきたがるのだからしょうがないですよね。なんて、密着なんだから当然ですよね! はははは! いやぁ、タクシー代出してくれるんなら、まぁお互いに楽だったんだけども、はははは! 出してくれないんだよね? ……うん、はいはい。ああ、別に謝らなくていいですよ。要求しているわけじゃないんで、はい。いやぁー、それはそうと、この公園、いいでしょう。空が広くてねぇ。トイレもわりと綺麗なんですよ。水飲み場もありますしね、まあ、おいしくはないけどね。近くにショッピングモールがあるので、ここにいるのに飽きたら、そこの本屋に行ってちょっとお勉強なんてしてもいいですし、いやぁ、しかし食品売り場の試食コーナー、あれ姿を消しましたよねぇ。何なんですかねぇ、ご時世ですかねぇ、景気が悪いんですかねぇ……。そう言えばギャラはいつ頂けるんでしたっけ? 手渡しでお願いしますよ。今くれると嬉しいなぁ』
――すみません。密着終了後に、あと振り込みで……。
『え? ダメ? そうですか。じゃあ、少し色を付けてくれたりとかしません? ほら、娘の私物をちょっと持ってっちゃったりしてもいいですから、うちの娘結構美人でしょ? 胸とかもね、最近出てきて、なんて、はははは!』
――ははは……あの、こちらでは何を?
『え? いや、だからまあ、色々とね、小休止ってやつですよ。ほら、人生にはそういうのも必要なんですよねぇ。お兄さんは若いから、まだわかんないかなぁ。あーあ、いい天気で……。ん? ええ、ははは、家の近くの公園だとね、ほら、あれと出くわす可能性があるじゃないですか。まあ、地元から駅二つ離れていても油断はできないんですけどね。いつだか息子のやつと出くわしかけてね、いやー、向こうは気づいていなかったみたいなんですけどね。危ない危ない。慌ててトイレへ駆け込みましたよ。まったく……ん? 仕事? んー、まあ、ね、ボチボチかな! 探してはいるんですけどねぇ……と、うん、まあ、でもこれも仕事ですよね! この取材がさぁ! うん、これが終わったら、うん、まあ、また本格的にね』
と、カメラに向かってしゃべる父親は、やたらペットボトルのお茶を口にした。だが、その色は透明だった。
――よろしくお願いします。あの、ご機嫌ですね。
『ふー、うふぅ、うふふふ、え? ご機嫌? あら、うふふふ、そんなことありませんけどもぉ、ご機嫌と言えば皆さんもねぇ、うふふ、ああ、皆さんって、あなたたちテレビの人じゃなくて、ほら、ご近所とかの皆さんよぉ。カメラを前にしたらもう、目がパッと輝いちゃってねぇ、うふふ。あなたも聞いてたでしょ? 「ちょっと出会いからもう一回取り直してよぉ!」「私は美容院行って来るから、あとでね!」とか何とか言ってたわね、うふふふ! んーもぉう、ごめんなさいね、はしゃいじゃって』
――いえいえ。でも、確かに皆さんから声をかけられましたね。顔がお広いんですね。
『んー、ふふふ。顔が広いって悪口に聞こえちゃうなぁ。顔が大きいみたいな……。なんてね! 怒ってないわよぉ! あはは! いやねぇ、お恥ずかしい。本当にこの辺の人たちってもぅ、あ、私はね、この辺の人たちじゃないの。もとは横浜生まれの横浜育ちでね、うん。二十年くらい前にね、こっちに引っ越してきてね。その時はもう大変で、うん、まあ、そんなことよりもぉ、うふふ。これから行くところ、あ、これオフレコにしてほしいんだけど、あ、でもそうよねぇ、使いたいわよねぇ……大スキャンダルですもの! ああ、どうしましょ。でも一度お引き受けしたお仕事ですものね。番組のために一肌脱ぐ、ってやだぁ! 脱ぐとこは映させないわよ! ホテルに入るところだけ。んー、でも、やっぱりどうしましょ……まあ、そちらはどうしてもと言うでしょうし、あ! うん、そういう影を見せるというのもアリよね。ね、ね、奥さん、この前テレビでやってたあれって……なんて、ご近所さんに詰め寄られたりなんかしちゃって! うふふ! さあ、どうかしらねぇなんて、ミステリアスガール! え、待って! 相手役があなたというのもいいんじゃない? ほら、取材していくうちに、なんて! ああ! うふふふ! ちょっとあたし、プロデューサーの素質もあるんじゃないかしら。業界にスカウトされたりしてね。ほら、ラジオ番組とかもあるでしょ? ハガキ投稿者がスカウトされたりって、やだもうどうしましょう。あ、ちゃんとあたしのアイデアだって周知してよね。あっ! あの人よ。いい? 遠くから撮るのよ。そう、そこの電柱の陰からね。相手の人にはモザイクかけてね。ほら早く! スタンバって!』
――よろしくお願いします。
『あー、クソクソ死ねクソッ! マジクソだよぉこれぇ! ……ねえ、金。え? 金、貸してくれないの?』
――そういうのはちょっと……。
『ダメなの? でもさ、こうして取材受けてるわけじゃん? 密着動画撮らせてあげてるわけじゃん? プライベートを買ってるわけだよね?』
――すみません。
『チッ、あ、でもさ、見たくない? 画的にさぁ、大当たりする場面を……ダメ? なんだよもー、センスねぇな! はーあ、話? したら金くれる? ダメ? はいはい。じゃあ移動しよっか』
――パチンコ屋の休憩室って、今こんな感じなんですね。
『ふっー、いいよねここ。マンガ読み放題で、コーヒーまでついてくんの。でもくせえのが座った席とかだと最悪だよ。ああ、ホームレスね。あ、ホームレスって放送禁止用語? 浮浪者ならオーケー? まあ、どうでもいいや。はい、長男でーす。あ、裏ピースとか大丈夫? ダメならモザイクかけてね。平気? じゃあこれは? はははは! ごめんごめん。で、なに? 専門学校? ああ、最初の頃はね、結構通ってたんだけど、んー、肌が、馬が、水? まあ、とにかく合わなくてさぁ、今はこんな感じでーす。ん? 家族は知らないよ。借金あることも知らね! もうヤバいよね! 結構な額だよ! ははは!』
――あの
『……ん、なに、キモ。撮らないで』
――いや、あの、取材なので……。
『取材とか知らないし。あの人たちが勝手に受けたんでしょ。あたしには関係ないから』
――すみません、ちなみにどちらへ。もうお昼ですけど今から学校ですか?
『は? 学校? どこに出かけようとあたしの勝手だろ……おい、ついてくんなよ! キモッ! いいから撮るなってんだよ! 変態! 撮るな!』
――あの、よろしくお願いします。
『はーい。なんか元気ないね』
――ああ、ははは……お姉さん、ちょっと怖い人ですね。
『え? お姉ちゃん? ああ、うちの長女、頭が変で不登校の人なの。そうそう、カメラのお兄さんも学生の頃いたでしょ? そそ、お姉ちゃんもそういう人。で、たまにどっか、えっとなんか若い子が集まるとこ行くみたい。そんな感じの人。わかりやすいよね。まあ、あたしもある意味そうだけどね』
――と、言いますと?
『あははははっ! 教室とか全然行ってないし、うん、あ、でね! ふふふふ、秘密知りたくない? でしょ? 知りたいよね! 実はぁ……じゃん! あたし、妊娠してます!』
――え、次女さん、まだ高校一年生ですよね?
『へへへへ、まあね、でも中学で妊娠した先輩とか知ってるし。うん、あ、それでさぁ、知ったんだから説得に協力してよね。うん? そそ、お母さんたちにね、そう、あたし産みたいの。だからよろしくね』
――よろしくお願いします。それで、最近はどうですか?
『ん? 僕? まあ普通に楽しく過ごしてますよ』
――何か秘密とかあったり……。
『ははは、秘密? そんな急に言われても。それに話せると思いますか? カメラの前で』
――ああ、ごめんなさい。ご家族の皆さんが秘密を喋ってくれるものですから、つい次男さんも喋ってくれるかなと……。
『ああ、いえ、別にいいんですよ。でもそうなんですか。へー、みんな秘密を。結構喋っちゃうもんなんですね。ああ、母も最初の頃にそんなこと言ってましたっけ。カメラの魔力だとか、ははは、バカみたいなこと。で、んー、こっちが話したことって全部使われるんですか?』
――いえ、撮った映像の中から、こちらが使いたいと考えているものを一度確認していただいて、それで許可できるかしないかをそちらにお聞きして、と。
『ああ、そうですよね。えー、じゃあ、まあ一応ね、話すだけ話しておこうかなぁ。んー、まあ、好きな人がいて、その人が男というだけの話なんですけどね、ははは、まあ、それだけです。まあ、うちの親はそういうのを毛嫌いしてるので、まあ、そんな感じです』
――あの、今大丈夫ですか?
『……これ』
――え、それ、切れて、え、腕、大丈夫ですか?
『ん、ふふっ大丈夫。深くないから……でね、うん。ああ、虐待とかじゃないの……ただ、私がこういう人なだけ……でね――』
と、三女は長々と自分語りした。そして取材最終日。「個別の方がいいのでは……」と言った番組制作陣に「いいからいいから、みんなで見よう!」と半ば無理やり、映像内容の確認を行った一家がどうなったかは想像するのも容易い、まさに修羅場となった。その後、一家離散するのも想像しやすい。でもリストラ、不倫、ギャンブル狂い、不登校、妊娠、同性愛、自殺願望など、秘密を軽率にさらけ出した者が直面するにふさわしい末路だと僕は思う。そう、秘密は大切にしなきゃ。そう思いますよね。
――やめてくれ、頼む。誰にも言わないから……。
カメラには映さなかったけど、いや、映せなかったんでしょう? あなたが見ていた僕の秘密。動物たちにしていたことを。ようやく人間相手に……ああ、満たされていく……僕の殺人願望……。