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【第12回 ネット小説大賞受賞】稀代の悪女は、猫となり愛を知る。  作者: 清澄 セイ


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愛を知らない者の末路

「オフィーリア……!今さら、よくものうのうと顔が出せたものだな!お前のせいで、我が家門はお終いだ!」

 サルーンに現れた父ホーネットは、私の記憶とはかけ離れた姿でこちらに掴みかかってきた。髪も髭もおざなりで、頬はこけ血色も悪い。商船を扱う身として常に最先端の装いをしていた男が、今はよれた型落ちのスーツに甘んじている。

「……あはっ!」

 口元にハンカチを当てていて助かった、でなければほくそ笑んでいるのが丸分かりだっただろう。

 オフィーリアにはロクなドレスも与えなかったくせに、自分達だけがいつもじゃらじゃらと宝飾を身に付けていた。今はそんな余裕もなく、実年齢よりも十は老けて見える。


(これを見れただけでも、酔いに耐えた甲斐があったわ!)


 オフィーリアの体を盾にヴィンセントを脅し、いずれホーネットの悪事もばら撒いて罪を負わせる算段だったが、ヘレナのおかげで随分と手間が省けた。

「何をおっしゃっているのか、私には分かりませんわお父様。こんなにも早く天へと召されてしまったヘレナを不憫に思い、こうして足を運んだというのに」

「き、貴様……っ」

「あら、ごめんなさい。行き先は上ではなく、下かしら」

 可哀想な姉の芝居を続けていたかったけれど、嫌味のひとつでも投げなければ、やはり気が済まない。この屋敷に足を踏み入れた時の体の震えを思い出し、オフィーリアに似ても似つかない男の醜貌を、思いきり叩いてやりたくなった。

「あの子と手を取り合って遊学をした時には、まさかこんな悲劇が起こるなんて夢にも思っていませんでしたわ」

「何を白々しい、すべてお前が仕組んだことだろう!おかしいと思っていたんだ、今まで碌に口も聞けない阿呆だったお前が、急に尊大な態度を取り出したのだからな!あの頃から、よからぬ企てをしていたに違いない!」

「誰が、阿呆ですって?」

 鏡を見ずとも、今自分がどんな表情で男の前に立っているのか、容易に想像出来る。目尻は吊り上がり、いつも大きく潤んだ瞳は、獲物に照準を合わせようと瞳孔を一点に集中させている。

 唇を開けば鋭い八重歯がぎらりと光り、細い指先に乗る爪は今にも奴の皮膚を引き裂いてしまえるくらいには威力を備えている。

 ねとりとした視線の先に映るのは、ホーネットの締まりのない首筋のみ。

「な、なんだその顔は。まるで野生の猿だな」

 初めて目の当たりにする娘の狂気的な雰囲気に、奴はあからさまに体を縮こまらせる。

「お前のような下賎の者が、なぜ堂々と地に足をついていられるというの?今すぐに首を垂れて、頭を床に擦り付けなさい」

「父親に向かってなんという口の聞き方を……!」

「それは、ただ衣食住を投げ与えていれば、都合よくなれるものなの?随分と簡単なのね、父親というのは」

 この男を殺すことなど容易いが、オフィーリアの手を汚してまで成し遂げる価値はない。

 昂る心臓を押さえ、滾る血液を体中に巡らせる。愛する彼女を守る為には、怒りという無駄な感情に支配されてはいけない。欲望のままに生きてきたアレクサンドラ・レイクシスは、オフィーリアのおかげでひとつずつ知恵を得ているのだ。

「……ふぅ。いけないわ、私ったら。あの子を亡くした悲しみで、つい我を忘れてしまって。どうかお気になさらないで?ほんの戯れですから」

 きつく握り締めてハンカチをぱさりと広げ、これみよがしに目元を拭う。ホーネットの表情は、もはや怒りが絶望かよく分からなかったが、見るに耐えない醜さであることは確かだ。

 奴から視線を外し、改めて辺りを見回す。普通であれば、ここまで足を踏み入れることなど出来ないだろうが、今は騎士や家令の姿は見えない。いずれはこの屋敷も押収され、当然爵位は剥奪されるはず。

 それは当然として、解せないのは今この場にホーネットが居るということ。娘が王族を殺めたとなれば、その父親も当然死罪となるだろうに。

 私がこの屋敷に立ち寄ったのは、家族とも呼べない人間との会話を楽しむ為ではない。

「お母様の姿が見えませんけれど、お元気かしら」

 ちらりとホーネットに視線を戻すと、奴は蔑むように鼻を鳴らした。

「ヘレナの愚行も、お前の奇行も、すべては母親の責任だ」

「ああ、お母様を差し出したのね。ご自分だけが、助かりたくて」

「サラの躾が至らぬせいで、私は何もかも奪われた!命をもって家長を立てるのは、妻としての責務だろう!」

 怒声を上げるこの老男が、段々と哀れに思えてくる。己を正当化し、他者を犠牲にし、欲のままに生きる。金も地位も、どうせあの世には連れていけないのに。

「しかし、神はまだ私を見捨ててはいなかった」

 光を失くした男の目が、にたりと薄気味悪く細められる。目の前にいるのは、正に自ら駆られにきたか弱い子鹿。オフィーリアならば自分を見捨てることはないと、確信に満ちている。

「今こそ私の役に立つ時だ、オフィーリア」

「はぁ。それはまたどのようなお言いつけで」

 わざとらしく溜息を吐いてみせる私に、ホーネットは揚々と言葉を続ける。

「お前の腹に子が宿っていると、国王と王妃に嘆願するのだ。そうすれば、今すぐに手出しは出来ないはず」

「ですが、私は遊学しておりました。そのような言い分がまかり通るでしょうか」

「どれだけ疑わしくとも、生まれるまで真偽は分からない。王族の血を引くかもしれない子を、殺すことなど出来るものか」

 よくもまぁ、ここまでの愚策を自信満々に話せるものだと、つい感心してしまう。と同時に、身を隠しながらすぐ側でこの会話を耳にしているだろう彼が、今どんな表情をしているのかも、容易に想像がついた。


(クリストフったら、剣を振り回していないかしら)


 思わずくすりと笑みを溢した私を見て、ホーネットは怪訝そうに眉根を寄せた。

「一体、何がおかしい」

「自己愛しかない貴方が、誰かから愛されるはずがありませんわ。家族も、領民も、他の貴族も、純粋に手を差し伸べる者はただの一人もいないでしょうね」

 母を差し出した程度では、せいぜい身柄の拘束時期を遅らせた程度なのだろう。ヴィンセントにも非があることを鑑み、多少の猶予が与えられた。次に私を犠牲にし、自身は逃亡を図る気か。

「可哀想な人。愛を知らないまま、惨めに死んでいくなんて」

「こいつ……、言わせておけば……!」

 ホーネットの皺がれた左手が私の胸ぐらを掴み、右手は高く掲げられる。それがこの頬を打つことはないと確信している私は、瞳を開いたまま目の前の男を見上げていた。

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