屋根を歩いていたら、見つけたの。
「とにかく、遊学延長が許されましたので次の手を打ちましょう」
いつの間にかさらに縮められていた距離を離すべく、揃えていた両脚に角度をつける。ドレスの膨らみと踵の高い靴のおかげで、布越しに触れ合っていた膝が離れた。
ヴィンセントへの復讐を約束する代わりに、クリストフが私に助力をすることへの許可を得た。本来であればマシューなど捨ておいても構わないのだが、妙な邪魔をされるのも煩わしい。無論、あの悪辣な男がそれを果たすとは到底思えないが。
「近々、ヘレナ・デズモンドがロイヤルヘルムへと送還されますわ」
ツインテールをふわりと揺らしながら、かつては妹だった彼女を頭の端に浮かべる。地下牢で金切り声を上げながら私の名を叫んでいたが、今日になりそれも随分と弱々しくなった。聴覚が過敏に発達している私には少々辛かったが、ようやく解放されると思うと薄寂しい。
「オフィーリアを傷付けた罪を、この国で償わせたかった」
「もう十分です。傷も綺麗に癒えましたし、あの子が私にした仕打ちの数々は、ロイヤルヘルムで行われたもの。デズモンド家とヴィンセントを失脚させるには、ちょうど良いお人形が必要ですから」
怒りの矛先は、おそらく全て私に向かう。死に際に喝采の拍手を浴びたあの感覚を思い出し、久々に背筋が粟立った。
「ロイヤルヘルムには、すでに間者が忍んでいる。ヘレナ・デズモンドに助力しようと、あるいは切り捨てようと、あの男を決して逃しはしない」
「それは心強いですが、私の方でも手を打ちますわ」
「貴女が?」
味方のいないはずの私に出来ることがあるのかと、そう問いたいのだろう。クリストフは生真面目で誠実な質だが、決して純粋ではない。過酷な戦渦では、それも当然。オフィーリアが息を潜めることで自身を守ってきたように、この男にもそれなりの術を持っている。
己の欲と渇望を満たす為だけに生きてきた私とは、永遠に相入れない絶対的な差がそこにあるのだ。
「まぁ、ある意味でクリストフ殿下のおかげとも言えますわ。以前ご案内いただいた退廃地区で、育てがいのありそうな《種》をいくつか拾いましたの。まだ未熟ではありますが、肥えた土と豊かな水のおかげですくすくと育っております」
食指を口元に添えながら話す私とは対照的に、クリストフは大仰に目を見開きながら狼狽える。
「まさか……、あの時僕達を撒いたのはこの為だったのか?」
「まぁ、撒いただなんて。ただほんのいっとき、互いに逸れてしまっただけですわ」
クリストフが契約を違うとは考えていないが、たったひとつの道に縋るのは危険である。私が心を預けられるのは、オフィーリアただ一人だけ。何があろうと、それは永遠に変わることはないのだ。
「意外と親切な方々が多くて、驚きました」
「……そんなはずがないだろう!あの場所は、金と欲の為ならばどんな悪事にも手を染める人間の集まりだ」
「あら、でしたら私達が身を置く環境と大差ないわね」
きっぱりと言い切ると、クリストフは少々バツが悪そうに眉を寄せる。そもそもそんな環境を作り出したのは、一体誰なのか。自分のせいでもないくせに、彼は責務に潰されそうになっている。
「いずれはクリストフ殿下が王となり、この国の悲惨な現状を変えるおつもりなのでしょう?それで良いではないですか」
「しかし……」
「本当に、貴方はお利口さんね」
よしよしと、軽く頭を撫でてやる。まるで良子の手本そのもので、ある意味では公開処刑となった私よりも哀れな男。
「……子ども扱いは止めてください。僕は、貴女よりも年上だ」
拗ねた口調で言うくせに、もっとやれと言わんばかりに頭を押し付けてくる。猫として生きていた頃、オフィーリアから見た私もこうだったのだろうかと、そう思うと少々釈然としない。
「さっきの話を、有耶無耶にしようとしているな?」
「ふふっ、まさか」
はぁ、と深い溜息を吐きながら、クリストフは黙ってされるがまま。撫でられる側から初めて撫でる側を経験したが、どうやらこれは私の性に合わないようだ。
「はい、おしまい」
笑顔の圧をかけると共に、再びクリストフから体を離す。不満そうな視線には気付かないふりをして、ツインテールの先をさらりと撫でた。
「では、彼らの同行をお許しいただけるということで」
「一体、いつそんな話になったのだか」
私が言い出したら聞かない女だと、この短期間に十分理解したらしい。渋々といった雰囲気で「身辺調査はさせてもらう」と口にした。
「そろそろお暇いたしますわ、なんだかねむくなってしまいましたので。それにヘレナの断末魔を聞けるのもあと少しですから、部屋でゆっくりと堪能しなければ」
「……実に、良い趣味ですね」
「殿下に褒めていただけるなんて嬉しい」
普段邪険に扱うくせに、頼みごとをする時だけは猫撫で声で擦り寄る。都合の良い私の態度を咎めることもなければ、契約以外の見返りを求める素振りもない。そして、
――今やほとんど喉が潰れたヘレナ・デズモンドの掠れ声など、貴女の部屋から聞くことなど不可能では?
至極当然の質問を、投げかけられたりも。
「ところで、殿下。またたびの香りが前よりも強くなった気がしませんか?」
「ああ、良く気付いたな。オフィーリアが気に入っているようだったから、群生株を増やすよう庭師に命じたんだ」
「……まぁ、そうですの」
最近お気に入りのまたたび茶は、しばらく控えた方がよさそうだと頭の端で思う。余計な真似をするな、いますぐ焼き払えと、そうはっきり言えない自分に少し驚いた。
「共に過ごす間に、貴女の心からの笑顔が見られるだろうか」
「それは、殿下次第かと」
居心地の良い契約関係が崩れぬうちに、私は私の目的を果たす。会話を断ち切るようにクリストフに軽く一瞥をくれると、そのまま彼の部屋を後にしたのだった。




