搾取する側と、される側の明確な違いとは
「聡明なマシュー殿下でしたら、私が祖国でどのような扱いを受けているのか、すでにご存知では?」
くだらない兄弟喧嘩に付き合うつもりはないと、私はツインテールを優雅に揺らしながら僅かに微笑む。
「お前のような小物のことを、この俺がか?」
「私ではなく、ヴィンセント殿下についての情報にはとてもお詳しいかと」
我が婚約者の名前を出した途端、マシューの頬が歪に歪んだ。学生時代の留学先で、この男がただのひとつもヴィンセントに勝つことが出来ず、歯痒い思いをしていたのだと知っている。だからこそクリストフは、私に白羽の矢を立てたのだから。
「……どいつもこいつも、あんな女々しい面した腑抜けた男のどこが良いというのか」
ああ、さては好いた女でもヴィンセントに盗られたか。
「冷遇されていたとはいえ、仮にも私はあの方の婚約者でデズモンド家の長女でございます。多少なりとも、貴国のお役に立てたらと」
「お前が裏切らない保証など、どこにもないだろう」
愚兄の出方などお見通しのクリストフは、堂々とした振る舞いで私の腰を支えるようにその逞しい腕を伸ばす。本来であれば容赦なく手の甲をつねってやりたいところだが、私はただふんわりと頬を染めるだけ。
「やっと見つけた大切な宝物を、自ら泥の中に放り込むような真似は決していたしません」
「ほう、お前はクリストフを愛していると?」
「はい、心から」
今すぐ仰向けに転がり、腹を撫でろと身を捩らせる方がまし。視線など向けずとも、隣にいる無駄に英俊な男が今どんな顔でこちらを見下ろしているのかが手に取るように分かり、私の思考は一瞬猫に戻りかけた。
「クリストフ殿下、よろしいですか?」
「ああ、分かっているよ」
私を揶揄うあまり、この男は手筈を忘れているようだ。務めて柔らかな声色で呼びかけると、クリストフは軽く咳払いをしながら手にしていた報告書類をマシューに差し出す。
「これらはほんの一部ですが、ヴィンセント殿下が行っていたオフィーリアに対する仕打ちの詳細が記されております」
自身の従者であるレオニルを間者として我が国に忍び込ませ、あらゆる手を尽くし綿密な調査したのだろう。猫であった私には到底及ばないが、及第点をやってもいいくらいにはよく調べられていた。
「仮にも王族が、たかだか令嬢一人に多少辛く当たったところで、それがなんになるというんだ」
ちらりと一瞥をくれたのみで、手に取ろうともしない。おそらくこの男は、立場の弱い女相手に権力を傘に口に出来ないような鬼畜の所業を繰り返してきたのだろう。
マシューにも妻がいるが、彼女は影が薄く従順で逆らわない。それなりの家柄に生まれたせいで、ある意味平民よりも心を殺し生きなければならない立場は、昔のオフィーリアの境遇と少し似ている。
愛する者以外に手を差し伸べる気はないが、一刻も早くこの男を地獄に突き落とし、その際には妻に腹を思いきり踏みつける機会をやりたいと、たった今心に誓った。
「この紙切れは、オフィーリア・デズモンドがあの男にとってその程度の価値しかないことを示すだけで、なんの意味もなさないではないか」
――まぁまぁ、心配になるほど頭が悪いわ。可哀想に、生まれがいいだけではどうにもならないこともあるのね。
「そうおっしゃらずに、どうか話を聞いていただけませんか?私を哀れと思ってくださるのなら、どうか」
感情など乱されない、痛くも痒くもない、人生にさほどの影響を及ぼさないただの人間。射殺すような空気感を滲ませるクリストフの袖を軽く引くと、私は懇願するように眉を寄せながらまっすぐにマシューを見つめた。
「……いいだろう、続けろ」
猫でなくとも、この男が生唾を飲んだとすぐに分かる。洗練された輝きを放つ美しいオフィーリアは、この田舎では珍しいのだろう。たとえいけ好かない男の婚約者といえど、一度はその手に抱いてみたいと欲が出るのも無理はない。
欲望に忠実で、欲求を我慢しない。己の利のためならば誰がどれだけ傷を負おうと構わず、まるで自分がこの世の支配者にでもなった気で、根拠のない自信を身体中に巡らせて突き進む。
そしてその結果、最も見下していた者の手によってぽきりと首をへし折られ無様に散っていく。
「王太子殿下にとっても私にとっても憎きヴィンセント・セルゲイ・ロイヤルヘルムを、遂に蹴落とす時がやってきたのですわ」
ヘーゼルの瞳は、金色に染まる。本来しゃしゃり出る女が嫌いなはずのマシューでさえ、堂々と微笑む私から目を逸らせずだらしなく口を半開きにしていた。
「……ふふっ、楽しみね」
オフィーリアを馬鹿にする人間は、ただの一人も許しはしない。そう、それはこの私アレクサンドラも決して例外ではないのだ。




