私は誰にも守られたりしない
まるで騎士がお姫様を守るように、私とヴィンセントの前に立ちはだかっていたクリストフの横をするりと抜ける。この男に近付けば近付くほど柑橘の香りがきつくなり、思わず嫌悪の情をもよおした。
ちらりと顔を横にやれば、なんの飾り気もない雄臭い匂いが鼻を掠め、私はふっと目を細めた。まさか男の香水を嫌い、体臭を好む日が来ようとは。私はよほど、猫として過ごしたあの日々が恋しいらしい。
「では、ヘレナが本日私に怪我を負わせた件についても、殿下はなんの関わりもないとおっしゃいますの?あの子に呼ばれたから、はるばる足をお運びになったのでは?」
ヘレナがヴィンセントに助けを求めたことは事実だが、この男がわざわざベッセルにまで出向いたのはオフィーリアを連れ戻したいからに他ならない。彼女が、私とクリストフの仲を疑うのは予想済み、ヴィンセントがそれを許さないであろうことも。
清い体のまま己のものにしたいのに、万が一体の関係でも持ってしまったら……。おそらく気が狂いそうなほどに嫉妬心を燃やし、周囲が止める声も聞かず強引に出立したに違いない。
もともと、ヴィンセントがこの国に足を踏み入れることを、彼の父である現国王は許可しなかったのだ。婚約者が死のうと替えはいくらでもきくが、眉目秀麗の第三王子はそう簡単には手放せない。
野心を持たず、いずれ王位を継承する兄を縁の下で支える都合の良い末の弟。天賦の才があり、見目も良く女性層も御し易い。ヴィンセントほど傀儡に適した人材も珍しいと、私が親だとしてもみすみす他国で無駄死にさせるには惜しい存在だと考えるだろう。
まぁでも、これから先は存分に反感を買ってもらうよう私が上手く仕向けるわけだが。
「ああ、その通りだ。答えるまでもない」
きっぱりと言い放ったその言葉を、私はこの耳でしかと聞いた。ちらりとクリストフに視線をやれば、彼はただ静かに頷くだけ。
「でしたらなおさら、オフィーリア嬢に帰国していただくわけにはまいりませんね。もちろん、ヘレナ嬢も」
私の肩に馴れ馴れしく手をやり、実に騎士らしい表情できりりと眉を上げる。その仕草がわざとらしく、思わず微かに舌打ちをしてしまった。
「我がベッセルで起こった罪に関して、貴国では裁くことが出来ない。そのまま逃げ仰られては、私の立つ瀬がありません」
「それについては、こちらが責任を持って」
「オフィーリア嬢の話では、ヴィンセント殿下とヘレナ嬢は密通しているとか。まさか彼女を庇う為、詳しい調査を拒むおつもりで?」
「……まさか、そんな真似は」
「口約束を信用出来るほど、私と貴兄は親しい仲ではないはずです。オフィーリア嬢は清い心の持ち主だとこの数週間で確信していますし、ましてや嘘までついて婚約解消に持ち込む理由もない」
体格差なのか、性分の現れなのか、それとも私の気の持ちようか。以前はあれほど、ヴィンセントを脅威に感じていたはずなのに。
前にしゃしゃり出てくるクリストフを鬱陶しく感じつつ、もっとやれと横から声援を送りたくなるのは、眼前の凄艶な男よりは隣に立つそこそこの美丈夫にどこか安心感を感じているから。
……いや。それを認めるとこの子どものような男をさらに調子づかせてしまう。心の扉に南京錠を五つほど掛け、未来永劫しまっておくが至当である。




