私を助けてくれる人
ヴィンセントがこの部屋に来てから、まだほんの数分。ユリの声がよほど演技がかっていたのか、それともあの男が私を見張らせていたのか、或いはそのどちらも。
とにかく、最高のタイミングで扉を開けてくれたクリストフには、一度くらい頭を撫でてやっても良いかもしれない。
「……これは、なんということだ」
彼はすぐさまこちらに駆け寄ると、自身が羽織っていたコートを脱ぎ私の肩に掛ける。ほとんど同時に取り出したハンカチで額を押さえる様は、さながら魔術師のような手際の良さだった。
「宮廷医師を手配いたします」
「ああ、そうしてくれ。それから衛兵の数を増やせ」
「畏まりました、すぐに」
背後に控えていた従者レオニルは、クリストフの指示を受け機敏な足取りで部屋を出ていく。色のない瞳はヘレナを捉え、彼女は大袈裟にびくりと肩を跳ねさせた。
クリストフからろくな扱いを受けていないせいで、顔は強張り手足はがたがたと痙攣のように震えている。身から出た錆だと鼻で笑いながら、いまだに止まらない涙を手の甲で拭う。
オフィーリアの美しい顔に傷を付けた罪は、たとえ火炙りにしてもまだ足りない。優しい彼女を思うからこそ自制出来ているが、そうでなければとうに蝋燭の火をヘレナの顔面に押し当てていただろう。
「オフィーリア嬢、こちらへ」
「……ええ」
クリストフは自身へ寄り掛からせるようにしながら、ゆっくりと私を立たせる。木偶の坊と化していたヴィンセントが、その穢れた手をこちらに伸ばした。
「いや……っ、止めてください!」
これ見よがしに怯える私に、美しい顔が歪む。底の知れない黒瞳には、この私だけが映されていた。
「彼女は私の婚約者です。いくら殿下といえども軽々しく手を触れることは許されません」
「軽々しいとは随分な物言いですね?オフィーリア嬢は貴兄に怯えているようですが、何か事情が?」
「ただの勘違いだ、馬鹿馬鹿しい」
さすが鉄面皮だけあって、私を睨みつけたのはほんの一瞬。瞬きをする間に表情を繕う。
「いいえ、勘違いではありません」
涙を流しながらも、きっぱりと言い切る。非常に不本意ではあるが、仕方がないので今はクリストフに身を委ねてやろう。
「私はずっと、妹であるヘレナから命を狙われていました。家族だからと大事にせず堪えていましたが、ある日それにヴィンセント殿下までもが加担していると知り、私は悲しみと恐怖で頭がおかしくなりそうでした」
「オフィーリア様……、なんてお可哀想に……」
ユリの完璧な合いの手と、先ほど投げたペーパーナイフの回収の素早さは見事なものだ。彼女はどうやら心からオフィーリアに心酔しているようだが、私はそれを望んでいない。ただ従順に踊ってくれるだけで構わないのだが、彼女が見ていたらどう思うのだろうとふと考える。生きている間、味方は猫一匹だけだったのだから。
「証拠も全て揃っております。私はもう、現状に甘んじる意思はないとはっきりお伝えしたいのです」
本当のオフィーリアは、自身を守る為他人に刃を向けるような性分ではない。それを熟知しているヘレナはあんぐりと口を開けているが、ヴィンセントはそうしない。中身がオフィーリアではないと理解している分、余計に腑が煮え繰り返っているのではと思いながら、愚かな男を鼻で嘲笑った。
「ち、違います!逆なんです!私はずっと姉から酷い仕打ちを……っ!」
「ほう。では、ヴィンセント殿下とはなんの関係性もないと?」
「それは……」
ヘレナはこれ見よがしに言葉を濁し、助けを求めるようにあの男に視線を向ける。己の罪を認めるつもりはないが、自尊心の高さゆえヴィンセントとの仲は匂わせていたいと。我が妹の愛情表現は、実に稚拙で可愛らしい。
「まぁ、どちらにせよ一旦場を改める必要があります」
淡々と口にするクリストフの首に青筋が浮かんでいると、私の位置から見えた。腰元に添えられている掌も異常なほどに熱く、力が込められている。
正義感の強い性分なのだろうが、そこまであからさまに腹を立てるほど私と彼の仲は深くない。もしも演技であるならば、ユリ以上の逸材だと思いながら、ただ黙って橄欖色の髪を見上げていた。
「貴方方の釈明を聞くよりも、オフィーリア嬢の介抱が最優先ですので」
「クリストフ殿下、お手間を取らせてしまい申し訳ございません」
心にもない台詞を吐く私に向けられたのは、まるで愛する者を慈しむような表情。非難でも同情でもなく、ただ純粋に身を案じていると勘違いしてしまいそうになる、熱を帯びた翠眼。
「……無茶をするのは感心しませんね」
それだけを口にして、彼はやや強引に私を部屋から連れていく。すれ違いざまにレオニルや数人の衛兵が視界に入ったけれど、後ろを振り返ることなく私はその場を後にしたのだった。




