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還らぬ者に魂はない

「私は、自分自身を幸せにすると誓っております。もうその時点で、貴方様とは目指すべき目的地が異なりますわね」

「これは僕の我儘です。所詮思い通りにならないと駄々を捏ねる子どもと変わりません」

「いいえ、違います。貴方様は勘違いなさっておられるのです。死すればその魂は天へ昇り、どこまでも続く広い空から幸せそうに笑う民達の姿を見ることが出来る、と」

 ああ、なぜこんなにも腹が立つのだろう。オフィーリアしかりこの男しかり、心を殺して生きる様を美徳とするその精神が、どうしても受け入れられない。

 アレクサンドラは欲を貪り他者を操り、すべてを手に入れてなお枯渇に喘いだ。本来ならば、両者は決して交わることのない一本線の上に立っている。

 オフィーリアを愛しているから、彼女は許せる。そうでないクリストフは、ただ鼻につくだけ。

「死んだら、そこで何もかも終わりよ。救った結果として命を落とすか、命を落とす前提で救うか、それらはまったく違う話だわ」

 なぜ私が二度も生まれ変わったのか、その理由は永遠に分からないまま。それは幸でもあり、不幸でもある。

 誰からも愛されず最期には斬首されたアレクサンドラ・レイクシスとしての人生に、一片の後悔もなかったのだ。オフィーリアに心を奪われてしまうまでは。

「オフィーリアは、僕が嫌いですか?」

「そうだと言ったら、私は不敬罪に?」

「まさか。貴女は最初からはっきりと口にしていたではないですか、大切な人がいると」

 たかが一介の令嬢にこれほど好き勝手に罵られても、クリストフの眉間には皺ひとつ寄らない。ただ、普段の飄々としたいけ好かない雰囲気は消え去っていた。

「僕にはいません。この命を大切に残して、これから先の人生を共に歩みたいと思う相手が」

「それは珍しいことではありませんわ。人間がおおよそまっとうするであろう天寿の中では、とても時間が足りないわ」

「はは、では人生を二周ほどしなければ」

 この男が私の事情を知るはずもないが、冗談にしては妙に鋭いところを突いていて笑う気になれない。

 クリストフの緑水晶の瞳には光が映り込んでおらず、まるで死を宣告された病患者のように膜を張っていた。

「ああ、そういうことですの」

 纏わりついていた名もなき苛立ちが、ほろほろと解けていく。それがこの男の弱味ならば、この私が上手く利用してやろうと。オフィーリア・デズモンドは、誰よりも優しい清らかな令嬢。きっと救いを与え、その瞳に光を取り戻すだろう。

「殿下、おひとつご提案が」

 私は果物屋の籠からカビの生えかけたプラムを二つ手に取り、代わりに銀貨の詰まった麻袋を渡す。赤ん坊を背負った女店主はあんぐりと口を開けていたが、それに応えないままくるりとドレスの裾を翻した。

「この私を、生きる理由になさっては?」

 唐突に名を呼ばれたクリストフは、訝しげな表情でこちらを見つめる。先ほどまで虚空だった瞳には、金のツインテールを揺らす美しい令嬢の姿がはっきりと映っていた。

 申し訳程度にプラムに向かって息を吹きかけると、そのままぱくりと齧りつく。とても侯爵令嬢の振る舞いではないが、今はこの街で浮かぬようわざと質素な格好をしている。このくらいハメを外しても、誰にも文句は言われないだろう。

 彼に向かってもうひとつのプラムを差し出すと、それを受け取らずただじいっと見つめている。

「見目は悪いですが、意外と甘くて美味しいですわよ」

 手の中のそれを挑発するようにころころと転がしながら、私は口の端についた果汁を舌でぺろりと舐めとった。クリストフは何を言うでもなく、それを手に取ると豪快に齧り付く。それを目の端に映しながら、ふんと鼻の先を鳴らした。

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