不気味で美しい婚約者
猫という生き物は実に利便性が高いと、つくづく感じている。密偵や隠密を雇わずとも、自らの足でどこへでも潜り込める。本能だけでなく知性を持ち合わせれば、正に向かうところ敵なしと言える。
「ヴィンセント様、一体いつになったらお姉様との婚約を解消していただけるのですか!」
「落ち着けヘレナ。誰に聞かれているかわからない状況で、こちらが不利となる台詞を口にするな」
「ですがもう耐えられません!愛しい貴方が、あんな女の隣にいることが!」
この茶番をデズモンドの屋敷にある応接間で堂々と繰り広げているあたり、この二人は非常に頭が悪い。オフィーリアを軽んじているからこそなのだろうが、まさか猫に聞かれているとは露ほども思っていないだろう。
「それに私も、このままでは殺されてしまいます!ドレスを引き裂かれ、宝飾品を盗られ、昨日は突き飛ばされました!」
これ見よがしに巻かれた包帯の下には、擦り傷ひとつついていない。ヘレナが手に持っているドレスも、先日オフィーリアに投げつけたそれとはまったくの別物。
棚や引き出しから溢れんばかりの宝飾品も、ひとつやふたつ盗られたところで、きっと気付かない。突き飛ばされるどころか、この女はオフィーリアの食事や飲み物に何度も毒を盛る。その度に私がわざとひっくり返しては「馬鹿猫」と罵られていた。
「お前がそんな目に遭っていることは、私も辛い」
オフィーリアの婚約者である第三王子ヴィンセント・セルゲイ・ロイヤルヘイムは、浮世離れした美男子だった。銀の刺繍糸のように滑らかな銀髪をひとつに括り、吊り目気味の瞳は黒々と輝いている。どこか影を匂わせる雰囲気が妖艶で、ヘレナだけでなくこの国中の令嬢を虜にしていた。
オフィーリアただ一人が、この男に底知れぬ恐怖を感じている。それが気に入らないらしく、わざとらしくヘレナを溺愛する様は私からすれば、どう見てもオフィーリアの気を引く為としか思えなかった。
アレクサンドラとして生きていれば、一度は抱かれてやろうと思ったかもしれない。顔の良い男は好きだが、ヴィンセントのような操りにくい性分の人間は嫌いだった。
それにこの男は正真正銘の異常者であると、その事実を知ったのはつい最近。どうにかしてオフィーリアに真相をしらせなければと、その方法を考えあぐねている最中なのだ。
「次期に証拠が揃う。そうなれば、名実共に君が私の婚約者だ」
「こんな風に隠れて愛し合うのもスリルがあって好きですが、早く堂々と公言したいです。ヴィンセント様は私のものだと」
「おいで、ヘレナ」
ヴィンセントが手を伸ばせば、もうヘレナの自我は機能しなくなる。誘蛾灯に誘われた虫のように、ふらふらと男の胸に飛び込むしかなくなる。そうするように操られていると、馬鹿なヘレナは気付けない。