可愛い妹に餌の付いた糸を垂らして
その夜晩餐会に現れたクリストフは、その場の誰よりも輝いていた。ヴィンセントにはない無骨な野生感とがっしりとした長躯、たまに見せる笑みは幼く妙に母性をくすぐる。この男と偽装結婚をするのだという実感が湧かず、私は昼間と同じドレスのままワインを嗜んでいた。
なぜこの色を選んだのか、それはベッセルの国石が緑水晶であるから。調べればすぐに分かるようなことも知らないヘレナは、昼間の出来事などなかったかのように厚顔無恥な振る舞いをしている。
デコルテの大きく開いた空色のドレスは、誰か助言をしてやる者はいなかったのかと、同情すらしたくなるほどこの場にそぐわない。
ボリュームを持たせたパニエは邪魔でしかなく、フリルもつけ過ぎれば下品にしか見えない。緑水晶を身に付ける気はないらしく、大きなダイヤモンドが胸元で激しく主張をしていた。
「ロイヤルヘルムの女性は本当に美しいですね」
「そのドレスもとても似合っています」
「ヘーゼルの瞳が愛らしいなぁ」
レオニルに頼んでいた小細工のおかげで、私の愚かで可愛い妹はすっかり気分を良くしている。見目と家柄の良い男性にヘレナを持ち上げるよう頼んでおいたのだが、こちらから見ている分には実に滑稽だ。
クリストフの件を変に嗅ぎ回られても鬱陶しいので、こうして餌をばら撒いておこうと。
「日頃の貴女への仕打ちなどなかったかのように、生き生きとしていらっしゃいますね」
護衛服に身を包んだレオニルは、クリストフの指示で私の傍を離れない。この時点で、聡い貴族ならば自由に談笑しているヘレナと私との間に差を感じるだろう。
自国ではパーティーに出席すらしないオフィーリアが、ここでは丁重に扱われていると知ったら両親はどう思うだろう。
いや、そんなことよりも。もしもヴィンセントがクリストフとの結婚話を知ったら、腹を立てるどころの話では済まない。他の男の手つきとなる前に、きっとオフィーリアを殺すだろう。彼女を守る為には、まだ私の手中には手持ちのカードが少な過ぎるのだ。
「やっぱりヘレナには、余計な口出しをさせないようにしないとね」
僅かに口角を持ち上げ、まだほとんど中身の減っていないワイングラスをゆっくりと掲げた。
「さぁ、猫ちゃん。ここからが出番よ」
何の躊躇いもなく、それから手を離す。音を立てて割れたグラスは、まるで私の意図を汲み取るかのように盛大な音を立て、深緑のドレスに遠慮なくワインを撒き散らした。
レオニルは即座に私を庇い、中央で親類に挨拶回りをしていたクリストフが即座にこちらへ駆けてくるのが視界の端に写る。彼に声を掛けられるよりも早く、私はユリに目配せをした。
彼女は今やすっかり、私に心酔した従順な侍女。駒や下僕なんて言い方はオフィーリアが嫌がるだろうから、使わないでおくことにする。
「ドレスを替えてきます。このままでは、殿下にご挨拶も出来ませんから」
「私も同行いたします」
「心遣いは嬉しいですが、たとえ部屋の前でも男性に着替えを待たれると言うのは……」
しおらしく眉を下げた私は、ユリの手を取り歩き出す。場を乱したことについて深々と謝罪をしながら、彼女を引き連れまんまとその場を後にした。




