憎しみは、喜びのスパイス
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出立まで、後一日と迫った日。案の定ヘレナはあらゆるものを破壊して暴れ回ったが、ホーネットは聞く耳を持たなかった。ただでさえヴィンセントの件で気が立っていたというのに、使用人達はまたかとうんざりした様子で身を縮こまらせるしかない。
八つ当たり専用の人形扱いだったユリが私専属の侍女になったことで、彼女はヘレナ付きの侍女から恨まれた。が、虐めようとする度に私がそこに現れては爽やかな笑顔で瞳孔を開くので、次第に影を潜めていった。
オフィーリアは使用人風情にさえ小馬鹿にされていたが、今後一切舐めた態度は認めない。といっても彼女は報復を望まないだろうから、相手にしないことにする。
どうせこの私の目を盗むなんて出来やしないのだから、やれるものならやってごらんなさいと、羽虫を片手で追い払うが如く対応していた。
「本当に、皆さん時間が余っているのねぇ。見下している相手のことが頭から離れないなんて、それはもう好きの裏返しだと思うのよ」
優雅に紅茶を嗜みながら、ふうと憂いの溜息を吐く。先日の猫ちゃんの件で私に全くダメージがないことに、ヘレナはあからさまに爪を噛んでいた。あれの使い所は今ではないからもう少し待ってね、と言いたいのを堪え「今日も可愛い」と素知らぬ顔で嘯いた。
命を重んじよ、などと講釈を垂れる気はさらさらない。だって私も、行き着く先は間違いなく地獄だから。
「オフィーリアさえ幸せになれるなら、後のことなんてどうだっていいわ」
紅茶のカップに触れていた唇が震え、金色の水面に微かに波紋が立った。
そうしてせっかく出立前日の穏やかな時を過ごしていたというのに、門付近で突如響いた重厚な車輪と軽やかな蹄鉄の音が私の耳を不快にさせる。
普段より幾分荒々しい足音はまっすぐこの部屋を目指し、冷酷な戦略からしからぬ憤りの込もった息遣いには、思わず紅茶を吹き出してしまいそうになった。
「ユリ。新しい紅茶を淹れてくれる?それからお茶菓子も」
「はい、お代わりですか?」
「いいえ、お客様の分よ」
さらりと言ってのけると、彼女は不思議そうな表情を浮かべつつも言う通りに準備を始める。それがちょうど整った瞬間に、なんの合図もなく扉が開かれた。
「まぁ、これはヴィンセント殿下。わざわざご足労いただき感謝いたします。どうぞ、おかけください」
完璧なカーテシーとともに、穏やかに微笑みそう口にする。驚いているのはユリだけで、この男はただ不快そうに眉根を寄せた。
「側に待機しておりますので、何かご用がありましたらベルでお呼びください」
「ええ、そうするわ」
こちらが言わずとも意図を汲み取れる彼女は、侍女として及第点だ。オフィーリアと言いユリといい、もっと自分に自信を持てばいいのに、環境のせいで日陰に身を置かざるをえなかったのだ。
まったくいつの時代も、無能ほどしぶとく生き残ろうとするから厄介極まりない。