可愛らしい私の妹
しばらくすると、床下からノックの音が聞こえてくる。返事をすると扉が開き、大して見覚えのない顔の男が現れた。身なりからして、ヴィンセントの侍従だろう。目論見通りに呼ばれた私は、目を細めてにこりと微笑んだ。すると驚いたように一瞬黙りこくる。
「……デズモンド様、随分と雰囲気が変わられましたね。心なしか、瞳の色まで以前とは異なっているように見えます」
「光の加減ではないですか?ここは、暖かな陽光が差し込みますから」
悲観的な感情など微塵もなく、私は和かに客人を迎え入れる。さすが王子に仕えているだけはあるようで、彼が狼狽えたのはほんの数分だった。
連れられた先は我が屋敷の画廊で、そこにはヴィンセントだけでなくヘレナも坐していた。明らかにぶすっとした膨れ面で、思わず冷笑が漏れそうになる。
好いている男の隣にいるのに、そんなにも不細工な顔を晒して恥ずかしくはないのだろうか、と。
「お待たせして申し訳ありません、殿下」
適当なカーテシーさえ美しく見えてしまうのだろうと、自身に染み付いた貴族根性が恨めしく思える。この男と同じ空間に漂う空気を交換しているという事実だけで、今すぐ喉元に齧り付いてしまいたくなるのに。
ふうと憂げな溜息を吐いて、そのままじいっと二人を見下ろす。ヴィンセントの鋭い瞳が、ほんの数秒私を捉える。凡人ならばただそれだけで、棘の生えた蔓が足元から少しずつ這っているような気味の悪さを感じるだろう。
今すぐ裸足で逃げ出したくなる感情と、膝を折り曲げて傅きたくなるほどに魅了される心が、体の中で混ざり合う。畏怖と妖美を備えた、質の悪い恐人。
「王国の宝であるヴィンセント殿下に、ご挨拶させていただきます」
「堅苦しい挨拶は不要だ、座れ」
「はい、失礼いたします」
音も立てずにソファに腰掛け、和やかに微笑んでみせる。本来ならば唾を吐きかけてやりたいところだが、この男にとってはそれも褒美となるのが実に腹立たしい。
それに、オフィーリアであれば絶対にしないであろう仕草を選択した結果こうなっただけのこと。間違っても、媚など売ろうという意図はない。
「いやだわ、しおらしい振りなんて。殿下の前だからって媚を売ろうとしているのね」
ヘレナの小さな脳味噌では、王族への形式的な挨拶もただのごますりにしか見えないらしい。
「ヘレナ、随分と久し振りな気がするわ。今朝あったばかりなのに、おかしな話よね」
「な、何よ!私にしたことをもう忘れたの⁉︎」
「ええ、どうやらそうみたい。日当たりのいい部屋でくつろいでいると、ついまどろんでしまって。まだ夢見心地なのかもしれないわ」
頬に手を当て、いかにも悩ましげな仕草を見せる。実際、屋根裏に追いやられた理由などすでに記憶から消えている。
ヘレナは一瞬目を血走らせた後、ころりと表情を変えた。ヴィンセントの腕に縋りつくように体を傾け、めそめそと泣いている真似をする。
「まぁ、可哀想に!何か気に障ることをしたのなら謝るから。ほら、ハンカチを使って」
奴が行動を起こすよりも先に、ヘレナに駆け寄って抱き締める。案の定彼女はいやいやと身を捩らせ、私を突き飛ばした。
「あっ、いけないわ!」
少々白々しかっただろうか。私のドレスの袖元からクマネズミの死骸が数匹、ヘレナの膝にぽとりぽとりと落ちた。当然、彼女は耳をつんざくような悲鳴を上げる。
「い、い、いやああぁぁ‼︎‼︎」
隣に座るヴィンセントが煩わしそうに眉を顰めたのを見て、ざまぁみろと内心ほくそ笑んだ。払い除けられたクマネズミの死骸を拾い上げ、まるで我が子にするように胸に抱く。
「一体、それはなんだ」
「申し訳ございません、殿下。どうか説明させてください」
ふにゃりと眉尻を下げ、ことの次第をつぶさに詳述していった。
「どういうわけか、私の為にと運ばれた昼食を食べた途端にばたばたと……。あまりに不憫で、庭に埋めてやろうと袖元に忍ばせていたのです」
「それはお前が、毒を盛られたということか」
「さぁ、それは分かりません。すでに下げられてしまったので、人体にも害があったのかどうか確かめる術がございませんので。ねぇ、ヘレナ?今日の昼食はなんだったかしら?」
いまだにがたがたと身を震わせているヘレナに向かって問い掛けても、涙目で睨みつけられるだけ。
――まぁ!本当に涙が出てよかったわ!
そう言って拍手したい気持ちを堪えるのに、しばらく苦労してしまった。




