美しい自己犠牲
先ほどクラリスの肌を適当に褒めはしたが、あれは方便だ。彼女自身も、己の肌質や色味に満足していないだろうことがその化粧の仕方から見てとれる。先ほどの扇子をクラリスの眼前に差し出すと、私はにこりと微笑みながら頷いた。
「これは、今日のお礼です。どうか受け取ってください」
「わ、私にですか……?」
「ええ、もちろん。こんなに素敵なお店、私一人では入る勇気が持てませんでしたから。クラリスさんのおかげで、有意義な時間を過ごすことが出来ました」
まさか、私から何かを贈られるなど想像もしていなかったのだろう。驚きの中に罪悪感が微かに垣間見える辺り、彼女はヘレナの駒としてオフィーリアを馬鹿にしていた。
どうせ脇役の人生なら、泥舟よりも木舟の方がいくらもましだ。万一沈みそうになった時は、この女を突き落として私だけが生き残る。
――いや、違う。オフィーリアならきっと、一番に自分が飛び込むはず。
この人生のすべてを彼女の幸せに捧げると決めた私は、その意向に背いたりしない。自身を顧みない愚かな優しさを貫けというのならば、喜んでそれに乗ってやろうと。
「ありがとうございます、クラリスさん」
ためらう彼女の指先に扇子を握らせると、すぐに手を離す。十分恩に感じてもらいたいものだが、それを表に出しては意味がない。へりくだっていると侮られないよう、頭の天辺は常に天を向けていた。
店を出た後、あまり遅くなってはいけないからとクラリスとは早々に別れ帰途に着く。お茶にでも誘おうかと一瞬考えたけれど、人間とはあまり急に距離を詰めてくる相手を警戒してしまうもの。
彼女が今日のことをヘレナに告口する可能性は、現状五分五分といったところか。私を利用してさらに取り入ろうとするか、それとも扇子を受け取ったことを咎められないよう、保守に走り黙っているか。
どちらにせよ、私は今後ヘレナのテリトリーへ侵入する。もちろん、オフィーリアの名誉を傷つける真似などしない。この世界は地位と権力が全てであり、それを手にしているものはたとえ極悪であろうと決して裁かれない。
アレクサンドラだった頃は、些か調子に乗り過ぎてしまった。斬首と聞いて「ぜひ塔での公開処刑に」と進言したのは、他ならぬ私なのだ。思い通りの人生がつまらなくなり、高価な宝石も見目麗しい間男も何もかもが日に日に色褪せていった。
まさか小さな獣として再び生を受け、そこで愛を知ることになるとはさすがに予想していなかったが。