第三王子の婚約者として
その後クラリスの後について化粧品店に足を踏み入れ、視線だけをきょろきょろと彷徨わせながら店内を物色する。アレクサンドラだった頃は、こんな風に自ら足を運ぶなどあり得ないことだった。仕立て屋、調香師、結髪師などどれをとっても一流の人間が我が屋敷を訪ね、揉み手をしながら私に跪いた。自身の労力など使う気もなかったし、この私に何かを強要させられる人間は存在しなかった。
けれど猫として生きていく中で、自由気ままに外を歩くというのも案外悪くないと気付き、今に至るというわけだ。
「とてもお綺麗な肌をしていらっしゃいますね」
「ありがとうございます。実はほとんど化粧品をつかったことがなくて」
「まぁ、信じられない!何も塗っていないのにその透き通るような白さ、本当に羨ましいです。当店のモデルを頼みたいくらい」
店員がほうっと溜息を吐く度、クラリスの表情が曇る。わざとそのまま彼女の嫉妬心を煽った後で、この店に連れて来てくれたのは親切なあの方なのだと、大仰に褒めちぎった。
ヘレナとつるんでいる時には決して感じられない優越感をその姉から与えられることで、あたかも彼女に優ったかのような錯覚に陥る。今のクラリスは、さぞ気分がいいことだろう。
「オフィーリアさんは、何も買わないの?」
「お恥ずかしい話ですが、あいにく手持ちが多くありませんので」
「まぁ、仮にも第三王子殿下の婚約者ともあろうお方がですか?」
明らかな嘲笑と侮蔑の視線を、曖昧に笑いながら横へ流す。その言葉に反応したのは店員で、私がヴィンセントの婚約者だと気付いた途端に目の色を変えた。
「高貴なお方とは知らず、大変な失礼をお許しください。デズモンド侯爵様のお屋敷には何度も伺わせておりますが、ご長女のお姿を拝見する機会がありませんでしたので、どうかお許しを」
「そんな、頭を上げてください。これまでは部屋に篭りがちでしたので、無理もありません。本日も家族には内緒で、一人でこっそりお買い物に来たのです」
嘘と真を交えながら、親しみやすい表情と仕草でヘレナとの差を植えつけた。相手が馬鹿だと、立ち回りも楽で良い。
嫌味のつもりでヴィンセントの名を口にしたことが仇となったクラリスは、思いもよらない展開にぎりりと歯を食い締めている。そんな彼女に目もくれず、とうとう店主までもが私の前に顔を出した。
「いつもご贔屓にしていただいているから」と、代金を支払う必要はないと手を振るマダムの好意に甘え、ぱっと目についたパールホワイトの扇子を手に取る。
ずらりと並んだ白粉の側にこれを並べてある辺り、マダムはなかなかの商売上手といえる。肌の粗を隠したい貴婦人達が、白粉と共に扇子を購入する導線がしっかりと確保されていた。
かくいう私も、アレクサンドラだった時代にこの手法をよく用いていた。着飾ることしか脳のない高位貴族の婦人達にあわせ買いを勧めると、殆どの確率で成功するのだ。




