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アレクサンドラとオフィーリア

「誰かを愛する喜びも、自分がしてきた行いへの後悔も、失う恐怖も悲しみも、全部貴女が教えてくれたの」

 生まれて初めて、心からそう思えた。

「私はオフィーリアを、心から愛してる」

「……私、を?」

「そう、貴女を」

 華奢な体が震えても、肩口が涙に濡れても、決して彼女を離さない。垂れていたオフィーリアの手が、ゆっくりと私の背に回される。

「そんな風に言ってくれたのは、貴女が、初めて……っ」

 だんだんと声が掠れ、嗚咽も大きくなっていく。しまいには、まるで小さな子どものようにしゃくり上げながら、ぼろぼろと大粒の涙を溢していた。

 ぎゅうっと痛みを感じるほどに抱き締められても、ちっとも不快に感じない。あの優しいオフィーリアがこんなにも感情を剥き出しにしていることが、嬉しくて堪らなかった。

「私の前では、我慢なんてする必要はないのよ」

「うぅ……っ、ね、猫ちゃ……っ」

「そう呼ばれるのも嫌いではないけれど――」

 ゆっくりとオフィーリアの背中を摩りながら、耳元で囁く。彼女から香る私の好きな陽だまりの匂いが、なぜか今はつんと鼻奥を刺激した。

「アレクサンドラ。それが私の、本当の名前よ」

アレクサンドラ(守る人)……」

 初めて彼女の澄んだ声で名を呼ばれ、それがとても特別なもののように感じる。こうして抱き合うことなど、永遠に出来ないと思っていたのに。

 今、ひとつの体には二つの魂が宿っている。もしも神が存在するのならば、どうかこの体をオフィーリアに返してほしい。散々神を愚弄してきた私の願いなど、聞き入れてはもらえないだろうが。


(こんな時にも、後悔ばかりね)


 アレクサンドラ・レイクシスは、つくづく碌でもない人間だ。

「アレクサンドラ。貴女は猫ちゃんの姿で、私をずっと守っていてくれたのね。そして、オフィーリアとしても」

「……私は」

「ありがとう、アレクサンドラ。私、この世界に生まれてきてよかったって、初めてそう思えたわ」

 彼女は潤んだ瞳を細め、破顔する。その姿がこれまでに見たどんな宝石よりも美しく、私の心を強く打った。

「貴女が何者でも構わない。私にとっては、救世主だもの」

「貴女だって、私の救世主だわ」

「ふふっ、お互い同じことを言い合ってるなんて、ちょっとくすぐったくて変な感じ」

 互いにくすくすと笑いながら、こつりと額を合わせる。

「貴女に出会えてよかったわ」

「何度生まれ変わっても、その度に会いに行くから」

「ええ、ずっと待ってる」

 少しずつ、オフィーリアの体が光の粒子に混ざり合い消えていく。温かな感触が、私の手から簡単にすり抜けていく。


(このまま、私も貴女の元へ行けたなら……)


 そんなことを考える自身を押さえつけ、アレクサンドラ・レイクシスは尊大に微笑んでみせる。

「また会いましょう、オフィーリア。それまではこの私が、貴女を幸せに導いてあげるから」

 そうある限り、私達は二人でひとつ。この先どんな困難が訪れようとも、絶対に乗り越えてみせる。

「アレクサンドラ、私は貴女を――」

 言い終えることなく、彼女の姿は消えてしまった。残ったのはどこまでも続く青空と、虚しく揺れるかすみ草。

「初めて言葉を交わしたのに、もうお別れなんて」

 頬を伝う一筋の涙は、冷たくもあり熱くもあり、今この瞬間が現実なのかそうでないのか、判断がつかなかった。

「オフィーリア、私、貴女がいないと……っ」

 どれほど望んでも、すでにこの世を去った人間は二度と還らない。しくしくと嘆き悲しんでいても、ただ翌日の顔が腫れぼったくなるだけで、事実は何も変わらない。

 ならば生きている者が、その生を全うする以外に道はない。それも幸せに、生まれてよかったと心から思えるほどに。


(泣くのは今だけよ、アレクサンドラ)


 一度外れたタガは、簡単には元に戻らない。声にならない声を絞り出しながら、ぼろぼろと溢れる涙を拭うこともせず、私は存分に泣いた。みっともなく、年甲斐もなく、再びオフィーリアを失った喪失感に耐えきれず、意味もなく泣き続けた。

「もう、ひとりぼっちは嫌なのよぉ……っ!」

 稀代の悪女と呼ばれた女は、ただの寂しがり。何度も何度も彼女の名前を呼びながら、淡く色付くかすみ草の柔らかな絨毯に身を沈めた。


 ――泣かないで、アレクサンドラ。私なら、ここにいるから。


 オフィーリアが優しい笑みをうかべながらそう言って、私を慰めに戻ってくるのではないかと、そんな馬鹿げた期待のせいで泣き止むことが出来ないまま。いつまでもいつまでも、彼女を思い涙を流し続けた。

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