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ずっとずっと、後悔していた

(やはり、オフィーリアがここにいる)


 あれは走馬灯などではない、彼女は私を助ける為に現れたのだ。たとえ頭がおかしいと言われようと、私には分かる。そして、この男も同様に。

「お前が本当に愛していたのは、自分だけよ」

「違う、私は」

 猫だった頃の記憶も含め、初めて垣間見るヴィンセントの表情。誰よりも恵まれた容姿と才能を持ちながら、寂しさに蝕まれた哀れな男の子。同じ境遇でありながら、澄んだ心の持ち主オフィーリアを羨み、求め、歪んだ愛で支配しようとした。

「可哀想に」

 ヴィンセントの体は、まるで金縛りにでもあったかのようにぴくりとも動かない。大きく見開かれた瞳は私を見つめているのに、その銀色の中には確かに別の誰かが映っていた。

「たったひと言、好きだと伝えていればよかったのに」

「オフィーリア……っ」

 硬く握り締められた拳に、手袋越しにそっと手を重ねる。そして耳元に唇を寄せ、清らかな声色で優しく囁いた。

「さようなら、ヴィンセント様」

 瞬間、ヴィンセントはがくりと膝から崩れ落ち、丁寧に撫でつけられた髪が頬に流れた。普段の冷淡な表情は消え去り、今にも泣き出してしまいそうに眉根を寄せている。

「オフィーリア……、私はただ、君と一緒にいたかった。本当に、ただそれだけで……」

 奴の言葉に、嘘はない。最初は純粋な感情が時を経つごとに歪み、周囲から歪ませられ、可愛らしい恋心が執着へと変わっていった。対照的に、オフィーリアだけが美しいまま。優しい彼女にはっきりと拒絶されることが、何よりも恐ろしかった。


――ヴィンセント様!


 私が知ることのない二人の思い出が、まるで走馬灯に流れ込んでくる。屈託ない笑い声を上げる女の子と、背伸びをしたい年頃の男の子。

「観劇、とても楽しかったです!また、一緒に行きましょうね!」

「……ああ、機会があれば」

「私もあんな風に、ヴィンセント様とずっといられたら幸せだなって」

 生意気でしたごめんなさい、と続けるオフィーリアの声色は申し訳なさげに沈んでいる。

「謝る必要はない」

 幼いヴィンセントも今と変わらず感情表現が乏しいが、それでも彼女の言葉を好意的に受け取っているのだと分かる。

「私達は将来夫婦となるのだから、一緒にいるのは当然だ」

「だったら、嬉しいですね!」

「……ふん」

 照れが先行しているが、オフィーリアは気に留めていない。温かな雰囲気が二人を包み、私の心にまでそれが伝染するようだった。


――きっとヴィンセント様は、ヘレナと結婚なされた方が幸せになれます。


――私などでは、貴方を幸せにできませんから。


「違う!私はずっと……!」

 眼前に蹲るヴィンセントから、悲痛の声が上がる。今の私はアレクサンドラでも金毛の猫でもなく、オフィーリアそのもの。

「ヴィンセント様」

 同じように跪き、彼の顔を覗き込む。悲しげな微笑みは、涙を流すよりもずっと悲痛に見えるだろう。

「約束を守れなくて、ごめんなさい」

「謝るな、オフィーリア……」

「私がもっと強ければ、堂々と貴方の側にいられたのに」

 泣けない私の代わりに、ヴィンセントの青白い頬を一筋の涙が伝う。

「私が悪かった、だからもう一度……!」

 美しい指が、彼の涙を優しく掬った。小さく首を振るだけで、オフィーリアは答えない。

「いつかまた別のどこかで出会えたら、その時は――」

 小さな唇から紡がれたのは、ヴィンセントにとっては全身を貫く毒にも似た、蜜のように甘い言葉だった。

「ここではない、別の場所で」

 潤んだ奴の瞳が捉えたのは、泥に塗れた不恰好な何か。それを取る手に迷いはなく、そのまま喉元に己の剣を突きつけた。

「……私はずっと、こうしたかった」

 深林には届かないはずの月明かりが一筋、ヴィンセントの手元を照らす。まるで、この男の幇助をしているかのように。

 あらゆる全てから解放された、穏やかな表情。ヴィンセントの手元が一文字を描き、その体が柔らかな土にゆっくりと沈みゆく様を、私は瞬きひとつせずに見つめていた。

「オフィーリア。貴女って人はどこまで人が良いのかしら」

 常闇を照らす一筋の光に手を伸ばしながら、私は呟く。彼女は最後まで、ヴィンセントを恨まなかった。あまつさえ希望を持たせるような言い方をして、幸福な死というプレゼントを与えるなど、最後まで彼女らしいとしか言いようがない。

 いや、本当は分かっている。初めて出会ってからこれまてずっと、オフィーリアは私を守ってくれていたのだと。

「永遠に愛しているわ、私のオフィーリア」

 静寂をたたえる深林の、誰も好んで足を踏み入れることのない鬱蒼とした場所で。私は確かに、彼女の澄んだ声に耳を傾けていた。


――私もずっと大好きよ、可愛い猫ちゃん。

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